第13話 金色の光り

鍋島なべしま君……だから、何で北朝鮮が友好関係を求めてくるの?」

「まあ、ざっくり言うと、大日本帝国が戦争に負けて、アメリカが勢力下においたのが日本や韓国。逆らったのが北朝鮮、書簡には、佐賀国が旧日本政府を『踏襲しない』のならば、我々には手を携える大義がある――と書いてある」

「それって、すぅごく大変なことじゃない? どうするの? 英章えいしょう先生」

「それは理沙が決めなきゃ……大統領なんだからね」

「えーっ! マジっすか? マジなんすか?」

「マジって……いつからそんなに言葉遣いが悪くなった、僕はそんな風に教えたつもりは……っていうか、なんでここにマックの店員さんがいるの?」


 マックの制服……バレバレだったのか――三人の視線が一気に僕に集中した、リサと、二人の男性が広いホールの小さな円卓に座っていた。三人とも、とても大統領とその側近には見えない――若過ぎる、こんな人達が国を立ち上げたのか……。

 ゆっくりと三人を見渡した後、僕はリサを見つめた、アイドル出身だけあって、綺麗な顔立ちをしている。大統領演説で見たのと同じ、赤いピアスが光っていた……。

 そして、彼女が僕を見て――目が合った。僕の鼓動は、段々と落ち着きを取り戻して……魔法の効力が現れ始めたのだ。

「あの……どちら様でしょうか?」アイドルに話しかけられたのは始めてだ。

「僕は杜夫です。リサさんに質問しに来ました。あなたの理想の男性は、どんな人ですか?」

 馬鹿正直に質問してしまった。これでは、魔法の意味もない。他の二人の男性は苦笑している。

 恥ずかしい……その筈だが、少しも恥ずかしくはない。これは、魔法の効果なのかもしれない。

「そうですね……馬鹿正直な人ですよ、自分がやりたい事に向かって真っ直ぐに突き進めて、大切な人達を大切にできる人……そんな人です。ここにいる、みんながそうですよ、きっと、あなたも含めてね」



 二人の屈強なSPに両腕を抱えられるようにして、マックの店員が大帝都ホテルのエントランスまで連れ出された。それは違和感のある光景だったに違いない。ホテルの外ではユーマが待っていた。

「やっぱり、ダメだったか」

「いや、上手くいったよユーマ……ところで、聞きたいことがあるんだ」

「なんだよ、聞きたいことがあるのはこっちの方だよ、リサはどうだった?」

「リサは……綺麗だったよ、なあ、この魔法って、どっから持ってきた? 東京の魔法使いから魔法を掛けられたって言っていたけど、魔法使いになるための条件って、何かなかったの? 損することはないって言っていたけど、本当にそうなのか?」

「なんだよ、急に……杜夫には……関係ないだろ」

「関係ないことがあるか! ユーマは僕のために魔法使いになったんだろ? 家から出ない僕を心配して、どうにかしようと思ったんだろ?」

「杜夫……」

「教えてくれユーマ! 僕はみんなに支えられてここまできたよ。でも、僕だって支えたい、支えられる様になりたい、だから、教えてくれよ、本当の事を……」

「――実は四つ目の条件がある。魔法を使うと、寿命が縮むんだ」

「ユーマ……何て事を……」

「でも、大丈夫、縮むのは、一回あたり一年だけなんだ、寿命が半分になるとか、今日死ぬとか言うわけじゃない」

「なぜ、そこまでして僕に魔法を……それじゃ、ユーマの寿命は、もう、一年も縮んだんだな……」

「俺も初めはそのつもりだったんだけどな……実は、もう三年縮んでしまった」

「何だって!? 三年も……どうしてそんな事に? 一体誰にかけたんだ?」

「まあ、誰だっていいじゃないか、ただ、健康に気を付けていればいい、三年ぐらい長生きできる程度にね……」

「そういうわけにいくか! よし、丁度、東京にいるんだし、その魔法使いに会いに行こう、僕が話して、魔法をなかったことにしてもらう、ユーマの寿命を取り戻してやる」

「それがそうもいかないんだよ、まあ、諦めな」

「なぜ! とにかく会いに行こう! 話はそれからだ」


 僕は荒くなった呼吸を抑えることができない。それに反してユーマは低く、落ち着いた声で伏し目がちに答えた。


「――実は亡くなってしまったんだ……俺に魔法をかけた魔法使いは……俺に魔法を掛けた直後、恐らく寿命が……尽きてしまったんだろう」


 僕は身体中の力が抜けた。大切な人を大切にする――僕には遠く、難しい事だった。


 急に、祖母の笑顔が頭に浮かんだ。幼い頃の僕は、何かあるたびに祖母を頼って話を聞いてもらっていた。あの時の様に、僕は祖母に頼っている。それほど打ちのめされている。


『おばあちゃん、僕、どうしたらいいかな? おばあちゃん……』


『そうだねえ、杜夫はそのままでいいよ、大丈夫、きっと大丈夫、だって、お祖父ちゃんの孫だからねぇ……』



 千葉の自宅に戻った僕は、母と食卓についていた。今日はカレーだ。三日に一回はカレーだ。母は僕に好きなものを食べさせたいと思っての事だろうが、流石にそろそろ飽きてきた。しかし、母には言わなかった。今まで親不孝してきたんだから、そんな事を言ったら、罰が当たると思った。


「ごちそうさま、おいしかったよ」

「あら、今日はおかわりはいらないの? 何だか元気がないわね、どうしたの?」

「実はね……」


 母に悩み事を相談した事があっただろうか、小さい頃、母は病気で入院したことがある。その時祖母から聞いたのは、実は、母は小さな頃は病気がちだったという話だ。その後、数ヶ月で母は元気になったのだが、それから心配をかけないようにと、母に自分の胸の内を打ち明けない様になった。

 しかし、いつしか母との会話は少なくなり、母に話せないで心の内にしまっていた沢山の辛い事がのしかかってきて、僕は部屋から出なくなった。心配を掛けない様にと頑張っていた事が仇となり、返って心配を掛けてしまう事になった、それが、祖母の心労に繋がり、ユーマにも大きな代償を払わせることになった。

 僕は、小さな頃からの――母が入院してからこれまでの事を、ぽつりぽつりと話した。もちろん魔法の事は省いて話したので、つじつまを合わせるのが大変だった、多分矛盾だらけだったと思う。しかし、その拙い話でも母の心には届いた様だ、聞き終わった頃には母は泣いていた。そして、僕を優しく抱きしめた。

 母に抱き締められたのはいつだったろうか――多分、あの時以来だと思う。母が退院して来た時、預けられていた祖母の家に母が迎えに来てくれた時――


 祖母は退院の手伝いやらをするために午前中から出かけて行った。僕も一緒に行きたかったのだけれど、いろいろ忙しいから、おうちで待っていてくれた方が助かると言われた。

 僕は母の入院中には学校へ行っていなかった。車で二十分ほど離れた祖母の家に預けられていたので、通える距離ではなかったし、初めは何ヶ月もかかる予定ではなかったから、転校の手続きも取らなかったからだ。


 その日、一人で時間を持て余して、祖母の家の学区の小学校へ遊びに行った。もちろん、僕はただの部外者だ。午前中の小学校は授業中で、校庭はひっそりと静かだった。体育の授業もないらしく、沢山の子供達が通学してきているはずなのに、何の気配もしないのが不思議だった。僕は一人で学校の遊具で遊んだ。二階建ての建物ぐらいもありそうな、大きなジャングルジムのてっぺんが僕のお気に入りだった。

 暫くすると、校舎から沢山の子供達が飛び出してきて、我れ先にとジャングルジムに飛びついてきた。ジャングルジムが少し揺れて怖かった。この小学校へは何度か遊びに来ていたので、友達と呼べるような子も何人かはいた。でも、その日は、知っている子は見当たらなかった。沢山の子供達が集まって来て、楽しそうに遊んでいる。鬼ごっこをして、すごいスピードで行ったり来たりしている子や、高いところから飛び降りて度胸試しをしている子もいた。

 でも、僕が知っている子は一人もいない。さっきまで、誰もいなかった寂しい校庭にいる時よりも、沢山の知らない子供達に囲まれている時の方が、余計に孤独を感じた。何故かは分からなかった、不思議に思うだけだった。

 僕は、とぼとぼと祖母の家に向かって一人で歩いた。道すがら、茎のしっかりと真っ直ぐ生えた草を引っこ抜き、葉っぱを落として剣の様に振り回しながら帰った。生えている草の葉を片っ端から剣でそぎ落とした。しゅっと縦に振り下ろすと、真っ直ぐに長く伸びた草の右側半分の葉っぱが、シャリっと音を立ててきれいになくなる。もう一度やると、左側の葉っぱが全部落ちて、草は先端の芽を残して丸裸になった。何だか自分が強くなったような気がした。調子に乗ってどんどんと剣の腕を上げて行ったが、後ろを向くと、歩道に沢山の葉っぱが散乱していて、見つかったら怒られると思って急いで帰った。

 誰もいない祖母の家で、二人の帰りを待った。昼には帰ってくると言っていたのに、遅れている様だ。そろそろ昼休みも終わる時間だ。また、あの校庭が、ひっそりと静まり返る様子が頭に浮かんだ。

 二時過ぎぐらいにようやく祖母が退院した母を連れて帰って来た。母は僕を見つけるなり、荷物を放り出して、僕を抱き締めた。僕は何にも言わないで、ただただ泣いた。嬉しかったし、寂しかった。どう表現していいのか今でもよくわからないが、せき止められていた何かがどっと流れ出した――そんな感じだった……。


 そして、今もそんな感じだ。僕を抱き締めた母は何も話さない。

 僕も何も話さなかった。

 あの時は、細く、硬くなってしまった母の腕に、病気の恐ろしさを感じた。

 しかし、今は、一度途絶えてしまった母との心のやり取りが、これから再開するのだと知らせる鐘の音が頭に響いてる様だった。僕は何だかクラクラした。


 翌朝、二人で朝食を取っている時、母の口から、なかなか言葉にならなかったその何かが、ようやく絞り出された。母も言葉にするのが難しいと感じていた様だった。意を決してどうにか言葉にした、そんな印象だった。曖昧だったけれども、伝えたい事はしっかりと伝わってきたのではないかと思う。


――実は、自分もお婆ちゃんに同じ様に言えない事があったのよ、だから、杜夫の気持ちは良く分かる、よく分かるはずなのに、分かってあげられなくてごめん、それから、ありがとう。自分も杜夫の話を聞いて、おばあちゃんに対して突っかかっていたものが、溶けてなくなったような気がするわ。杜夫のおかげよ、ありがとう。


 この一連の事で、母がいかに弱く、脆い、普通の一女性なのだと知った。守ってあげるつもりが、それが原因で抗ってしまったことを、今では馬鹿馬鹿しくも思う。でも、それも人間だからだ。母も、僕も、そして、祖母も、一人では弱くて脆い、危うい存在なのだ。人はありのままの自分の姿で生きて行くのは難しい。


 朝食を終えると、僕は祖母の病院へと向かった。足取りは軽かった。祖母に対しても、いつからか、話す言葉を失ってしまっていたけれど、今日は話せる――そんな自信が溢れていた。


 病室で祖母は笑顔で迎えてくれた。

「おばあちゃん、今まで心配を掛けてごめんね。これからも、迷惑をかけるかもしれないけれど、ちょっとずつ強くなれるように頑張るからね、だから、心配しないで早く元気になってね。おばあちゃん……」


 それから、僕は、祖母に会わなくなってしまった事を詫び、これまでの事を包み隠さず話した。なぜか、祖母には魔法の話をしても良い様に思った。祖母は、ずっと笑顔のまま頷いていたが、僕が話し終わると、頭を撫でてくれた。


「頑張ったねぇ杜夫。杜夫はもう、充分強い子だよ。流石、お祖父ちゃんの孫だねぇ、いいえ、もう、お祖父ちゃんよりよっぽどいい男に成長したよ。ありがとう、杜夫……これでおばあちゃんも心置きなく……」


 言い終わる前に、祖母の周りから金色の光が溢れ出し、祖母を包んで行った。僕は、何が起きているかも分からずに、ただ見守るだけだった。やがて部屋中を明るく照らす程になった金色の光が、だんだんと小さくなって行く。

 その光を、僕は一所懸命に手で掴もうとした。しかし、光たちは、僕の手を、指をすり抜け、さらさらと流れ落ちてしまう。

 やがて、最後の一粒の光が消えてしまった時、ベッドの上には、旅立ってしまった祖母の体だけが残されていた。


「――おばあちゃん、さようなら、ありがとう」


 僕は、まだ暖かい祖母の手を握り、とても穏やかな気持ちで別れを告げることができた。気が付けば、窓に射し込む夕日が眩しい。僕はカーテンを開けて空を見た。今日の夕日は金色に輝いて見えた。

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