第6話 白濱薫

 私の名前は白濱しらはまかおる


 自分で言うのもなんだけど、私は結構モテる。高校生の頃は友達から、薫はこの学校の四天王の中でも最上クラスの――ともてはやされたものだ。これまで付き合ってきた人たちも結構な人気者達ばかりで、周りからはうらやましいとか、あやかりたいとか言われる事が多かった。

 でも、本当に付き合って欲しい人は私に目もくれなかった。高校で――いや、この地区で羨望の眼差しを欲しいままにしていた、北司伊馬君がそうだった。彼を見ているだけで幸せを感じた。噂では地毛らしいサラサラの金髪、すらりと伸びた長い脚、手を伸ばせば、ふいとそっぽを向いてしまう気位の高いシャム猫のような人だった。恋愛感情とは違うのかもしれない……ただ、出来るだけ近くにいて話をしたい、そう思っていた。


 高校を卒業した後は、大学のサークルの先輩や、バイト先の店長に誘われて付き合ってみたけれど、ちょっと気になる事が目に付くと、だんだん嫌な気持ちが膨らんで行って、私の方から別れを告げると言う事が続いていた。

 気が付けば、私は人に告白した事が無い。誘われて付き合って、嫌になって私から別れる(これって本当に恋愛なのかしら……)何か分らないけれど、本当はこうじゃいけないという声が、頭の隅にこびりついている、そんな気がしていた。

 こんな中途半端な気持ちから、いつか誰かが解放してくれる、そんな願望を抱えていた私の前に、その人は現れた。ある、猫とともに……。



 道の脇の自転車のカゴで昼寝をする猫がいる。野良っぽいけど、人の良さそうなキジトラだ。遠目にも美猫と分る佇まいで、気持ち良さそうに我が物顔で自転車のカゴを独り占めしている。

 誘われるように猫の方へ向かって歩き出すと、先客が現れた。その人がキジトラの頭を撫でると、猫は彼を見上げて微笑んだ――ように見えた。やはり、可愛らしい顔立ちをしている――猫も、彼も……。


「猫の世界でも、美しさの概念はあるのかい? モテてしょうがないんじゃない?」


 彼が語りかけると、キジトラは、ニャーんと返事をした。きっと、もっと撫でてと言っている。その気持ちはよくわかった。だって、私もそう思ったから……。彼はなんだか、金色に輝いて見える。


「可愛い猫ね、よしよし」


 彼の気を引く為ではない。キジトラを撫でたいと思ったのは間違いない。ただ、彼と話をするきっかけになるかもしれないという邪心が無かったとはもちろん言わない。それぐらいの強かさはあっても良い年頃のはずだと、誰に言い訳するでもなく心に念じた。


 彼は驚いた様子で猫から手を引いた。(悪い事をしてしまった。嫌な印象を与えてしまっただろうか……)そう思って視線を猫から外すと、そこには、あの、伊馬君がいた。


(ユーマ君……久しぶりに見ても、やっぱりかっこいい。何故だかわからないけれど、こちらを見つめている。どうやら、私を私だと気が付いている様だ)


 私は嬉しくなった、あの憧れのユーマ君に覚えていてもらったのだ。それと同時に、高校の頃の思い出が蘇って来た。


 ユーマ君は私が話しかけてもこちらを見る事もなく、そっけなく返事をするだけだった。多分嫌われているんだと思う。何か、悪い事をした記憶は無いけれど、なんだかいつも機嫌が悪くて……私はユーマ君に話しかける事が出来なくなって、いつもユーマ君と一緒にいた杜生君に話しかけた。

 杜生君も愛想の良い方ではなかったけれど、私に気を使ってくれているのを感じていた。なんとか、ユーマ君と話すきっかけを作ろうとしてくれていたのだと思う。


「ニャーん」キジトラがまた声を上げた。見れば、気持ち良さそうになついてくれている様だ。キジトラに促されるまま、撫でろと要求されている耳の裏を優しく撫でた。それから、彼の視線を感じて、痒くなりそうなその眼差しに重ね合わせて彼を見た。


(杜生君……いつも、ユーマ君と一緒にいた杜生君だ、今気が付いた。でも、こんなにカッコよかったかしら、まるで別人だ。時は男の子をこんなにも変えてしまうものなのかしら……)


「杜生くん、猫好きなの?」なんだか、ドキドキしながら話しかけた。


(きっと不自然ではないはず……だって、高校生の頃はたまにお話しをしていたんだから……別に、ナンパとか……そんなんじゃないんだし)


「猫? 好きだけど……」彼は少し戸惑ったように返事をした。もしかしたら、私を覚えていないのかもしれない。


「久しぶりね。元気にしてた? いつもユーマ君と一緒なの? 今も二人は仲良しなのね」

「仲良しって事もないと思うけど……」

「嘘よ……とっても仲良しだったわ。だから私は……」ユーマ君に話しかけられずに、いつも杜生君に助けを求めていたんだから。


「ユーマに何か用かい?」

「違うの、杜生君に話しかけたのよ。杜生君、しばらく見ないうちに雰囲気変わったね。何か、こう、別人みたい――と言うより、別人だわ。杜生君だってすぐに気が付いたのが不思議だわ。それこそ、ユーマ君と一緒じゃなかったら分からなかったんじゃないかしら」


 本当にそうだ、彼とキジトラを見つけてから、この人が杜生君だと気が付くのに随分と時間がかかった。ユーマ君を見つけて蘇ったあの頃の記憶が、彼と杜生君を重ね合わせた。


「僕に話しかけたの? 僕に何か用かい?」

「用は……特にないの。杜生君を見つけたら、話しかけたくなって……。なぜかしら、迷惑だった?」


 言うが早いか、ユーマ君が話しかけてきた。彼から話しかけられた事がこれまでにあっただろうか。


「白濱、俺にも久しぶり何だから、いい加減挨拶したらどうよ。それに、俺達忙しいんだけど」


 初めての事で戸惑ったが、ユーマ君は相変わらず機嫌が悪そうだ。やっぱり、何故だかわからないが、私は嫌われている……。


「ごめんなさい。ユーマ君、相変わらず格好良いわね。おかげで杜生君にも、すぐに気が付けたわ。ねえ、ユーマ君、杜生君ってすっごく雰囲気変わらなかった? 私びっくりしちゃって……」


 あんなに苦労したユーマ君との会話が普通にできる。私も少しは成長したのかもしれない。ちょっと落ち着いてきた。ユーマ君と杜生君の仲間に入れたような気がして、嬉しくなった。


「そ、そんな事ないよ」

「杜生はそりゃ変ったさ。俺が魔法をかけたんだからね! いきなり恋に落ちたんじゃないの? お嬢さん」

「そうね、魔法にかかったのかもしれないわ。私、杜生君の事……好きみたい。変かな? こんな事言うの? ねえ、杜生君、こんな事言って、私の事嫌いになった?」


(私はやっぱり変だ、こんな事、良く言えたものだ、客観的に見て……気持ちが悪い……でも、本当にそう思ってしまったから、だから……)


「え? そ、そりゃ大変だね……」

「じゃあな、白濱。俺達急ぐんだ。バイバイ」そう言うと、ユーマ君は彼の手を引いて足早に去ってしまった。


「ニャーん」

 彼らの背中を見送った後、キジトラは私の気持ちを知ってか、慰めるように私に向かって優しい眼差しをくれている。


「じゃあね、バイバイ……」


 私は最後にもう一度キジトラの頭を撫で、高揚感と絶望感を同時に抱えてその場を離れた。自宅へと向かう道すがら、私はこれまでの恋愛を振り返ってみた。付き合って欲しいと言われて、自分から嫌いになって別れを切り出したこれまでの恋愛を……いや、やっぱり恋愛ではなかったのじゃないだろうか。私は、これまで付き合ってきた人達を、本当に好きだったのだろうか。


(人を好きになるってどういう事? 何か、はっきりとした決まりでもあれば分かりやすいのに)


 私はこれまで本当に誰かを好きになった事は無いのかもしれない、誰にも告白した事もないし――いや、今日初めてしたのだった。自分が変になってしまったと思った、客観的に気持ちが悪いと思ってしまった。なぜあんな事、さらりと口から出たのだろう……分らない……もしかして、これが恋なのかもしれない。頭が変になって思いもよらない事を口走ってしまう事が――恋の定義。


 だとすれば、うまくいくはずが無い。好きになればなるほど、私はきっとヘンテコな事ばかり話してしまうに違いない。こんな変な女を好きになる人なんているはずが無い。そうだ、今までもそうだったのだ、好きだと言われて嬉しくなって付き合い始めたのは良いけれど、本当の自分は凄く変で、きっと、本当の自分を知られたら私を嫌いになってみんな去って行ってしまう。

 だから、嫌われる前に嫌いになった。そうやって自分を隠して、守っていたのではないだろうか。

(だとすれば、私の理想の男性像って……)

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