32 灰燼少年

「……坂之上君。やっぱりキミだけ先に戻ってくれ」

「三四郎、何を……!」


 グールの軍勢に包囲され、三鬼と対面する若き魔導機甲兵。

 その片割れである三四郎は、再び先程の提案を口にする。

 しかし坂之上としては承諾などできない。こんな場所に三四郎を一人置いて、自分だけが兵団支部に戻ることなど。


「……正直言って僕の実力じゃ逃げ切れない。グールだけならまだしも、吸血鬼の速度には敵わないんだ。……さっきの見えない斬撃も含めてね」

「だが……!」

「役目を果たせよ魔導機甲兵!」


 三四郎が吠える。

 いつも気弱な彼に怒鳴られる、なんて体験は初めての事であった。

 言葉に詰まる坂之上に対して、三四郎は小さく笑いかける。


「……キミなら一人でも追撃を振り切って、支部の皆に伝える事ができる。そうすれば戦う準備を整えられる」

「俺が一人でコイツら全員を倒せば良いだけだ! 俺にはそれができる! 俺は……!」

「……ねぇ、頼むよ。坂之上君……!」

「……!」


 それは懇願だった。

 震える義腕を握り締め、逃げ出しそうになる足を必死で踏ん張り、己の『死』を見据えたまま、三四郎は坂之上に乞う。

 最善を尽くしてくれと。たとえ自分の命がここで尽きても、『次』へ繋げて欲しいと。

 それができるのは誰なのか、三四郎はよく分かっていた。


 小さき兵士は既に、覚悟を決めていたのだった。


 脱出は不可能。だが坂之上だけなら逃げ切れる。哨戒任務を達成できる。

 二人がかりで戦いを挑むこともできる。だがもし失敗したら、あるいは三鬼のうちどれかが戦場を離脱し、単独で支部を奇襲したら。

 何も知らずに攻撃を受ければ、ルリリカの時のような惨劇がまた起こる。だが坂之上か三四郎、どちらかからの連絡を受ければ、せめてもの迎撃準備は可能。

 その役目を果たすことができるのは、その確実性がより高いのは――どちらの少年か、それは明白だった。


「あぁ……。くそっ……! 三四郎、俺は……!!」


 坂之上の脳裏に『記憶』がよぎる。

 友の最期。二手に分かれ、そして吸血鬼に襲われた、もう一人の『クモ』。

 またか。また失うのか。過呼吸ぎみの挙動と共に、あの日の出来事が、あの日の悲劇が。坂之上の心に押し寄せる。


「……つくづく面倒だな、人間という生き物は。どれ。ならばこの私が、そこの聡いチビの願望を叶えてやろう」


 幽鬼のチャンネルメーカーが手をかざす。

 すると坂之上も三四郎にも反応する間を与えず――坂之上の姿は、暗夜の林から消え失せた。


「なっ……!?」

「安心しろチビ。ただ『チャンネル』を開いてやっただけだ。あの流血鬼は貴様のお望み通り、貴様らの住処近くに転送してやった」

「送り届けてあげるなんて、やっさすぃー。紳士的なゴーストはモテモテさね、チャンネルメーカーさん」


 幽鬼の言葉を信じるわけではない。

 しかしもし本当に、坂之上が兵団支部に送られたのなら。それは三四郎にとって僥倖だった。

 ならば後は、少しでも長く時間を稼ぐだけ。一分でも、一秒でも。

 吸血鬼と殺人鬼と幽鬼と、グールの大群を相手にして。


「……ハハッ」


 思わず笑ってしまう。確定した死を前にして、三四郎は笑うことしかできなかった。

 ――だがそれもすぐ、握った拳と共に闘志へ変える。まだ幼さの残る少年の顔付きが、決死の覚悟を浮かび上がらせる兵士の顔へと。


「魔導機甲兵団第4支部所属、夏目三四郎訓練兵! これより……っ!! 敵勢力を迎撃する!!!」


 ――鬼が、嗤う。


「……ザトーインさん。チャンネルメーカーさん。彼は僕が殺すさ。邪魔したら、ブッ倒す」

「……好きにしろ」


 混じり気のない威圧が、吸血鬼と幽鬼に注がれる。

 森の動物も、植物すらも萎縮させるその殺気は、無数のグールすらも立ち止まらせた。

 その中であって唯一、三四郎だけは、機械腕の構えを解いていなかった。


「素晴らしいさ……! 逸材さ!! 人間とは、かくあるべきさ! 夏目三四郎君!!!」


 心底楽しそうな表情と声で、殴殺蓮華もまた『武器』を取り出す。

 斬殺水仙と共に兵団本部を襲った時には持っていなかった、凶器。丸腰でも建築物を破壊することのできる化物が、更に得物を携えてきた。


「殺人鬼、殴殺蓮華! 清く、正しく、残酷に!! 跡形無しにボッコボコさぁ!!!」


 背に抱え、闇に隠れていたその得物が月光に姿を晒す。

 『殴殺鬼』とはよく言ったものだ、と三四郎は恐怖するより前に舌を巻いた。

 それは、バットだった。金属製の、野球で使うようなシンプルなバットであった。だが普通だと思ったのは形状だけで、その長さは人間大もあり、何より地に置いた時に自重で土が陥没する――それほどの質量を持っている事が推察された。


 殴殺鬼はその怪力で悠々と持ち上げる。バットと呼ぶにはあまりも重々しく、あまりにも殺意に満ちたその『鉄塊』を。


「『遊び』はしないさ! 全力で――殺す!!」


 殺意と質量が人の形となって、猛烈に飛び込んでくる。

 三四郎は昔、まだ世界に陽があった頃、祖父の牧場で興奮した牛に追いかけられた事を思い出した。

 だが今この瞬間。目の前に迫る殴殺鬼は、そんな生易しいものではなかった。


 寸でのところで左に飛んで交わす。

 地に亀裂が入る。

 露出していた木の根が、丸太よりも太いその根子が叩き付けられ、たったの一撃で紙切れのように薄くなった。


 分かっていたことだ。たったの一発で痛む間もなく死ぬ。

 だが速度はそれほどない。追いつける。見える。かわせる……!

 三四郎は殴殺鬼の初撃を回避したタイミングで、左足の軸足に力を込め、目一杯に右足で踏み込む。

 そして右腕のマシンアーム、そのエンジン回転数を全開にし、腰と体重と覚悟を乗せて、殴殺鬼のどてっ腹を殴りつけた。


「バーニング、スピリタスショットォォ!!!」


 殴打と共に、殴殺蓮華の身体に風と油を吹きかける。そして内臓された火打ち石が火花を散らし――化物の全身を火炎で包んだ。

 三四郎の魔力は爆裂系。生命エネルギーを炎に付与し、化物を灰になるまで焼き尽くす。


 その、はずだった。


「え?」


 一瞬、何が起きているのか分からなかった。

 飛び散る部品。ひしゃげる腕。踊子に開発してもらった、最新式の自慢の右腕。

 その素材にはルリリカの壁を突破したドリルと同じ鉱物が使われていた。最硬の吸血鬼にも匹敵する強度を持った、歪曲しない義腕だった。


 だが今は。関節の辺りから粉々に砕け、油と風をめちゃくちゃな方向に撒き散らすだけのガラクタへと成り果てていた。


 殺人鬼は火炎に包まれながら、その灼熱の中で白い歯を覗かせる。恍惚とした表情は、まるで己の皮膚を焦がす熱すらも楽しんでいるかのようだった。

 そして殴殺鬼は左手を握り、三四郎の小さな頭部を破壊しようと――。


「うあああああああああああああッッ!!」

「!!?」


 小さな拳が、殴殺鬼の頬を『殴る』。


 その衝撃の展開に殴殺蓮華はもとより、吸血鬼すらも目を見開き、幽鬼は空中でその身を乗り出した。


「負けて、たまるかぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」


 三四郎の叫びが森に響く。

 魔導機甲の腕が壊された。だから何だ。

 炎はまだ消えていない。生命活動が停止するまで、その魔力は『邪』を焦がし続ける。

 拳はまだ、片方残っている。


 右腕を失い、バランスを崩したことがかえって三四郎の命を繋いだ。

 殴殺鬼が反撃で横に薙いだバットは三四郎のをかすめ、巨木を殴打で伐り倒す。

 地面に倒れこんだ三四郎はすぐさま立ち上がり、殴殺鬼の懐に飛び込んだ。


「待っ……!」

「燃ォォォえろぉぉぉォォォあああああああああああああッッッ!!!!!!」


 狂人のように。狂乱のように。しかし今の三四郎は、過ごしてきた歳月の中で、極限まで冷静な状態だった。

 左腕を殺人鬼の首に回し、両足でガッチリと腰をホールドする。燃え盛るその身に己も組み付き、全ての魔力を火炎に注ぎ込む。


 服が、皮膚が、髪が燃える焦げ臭さすら、既に三四郎は感じ取れていなかった。

 全身を包む痛みも、肺の焼ける苦しさも、全てを取り払っていた。


 坂之上やアリス、エイジや舞姫。踊子やヘルシング教官といった大事な人達が、死んでしまう事の恐怖に比べたら。

 今ここで殴殺鬼を道連れに焼け死ぬのであれば、それは小柄で出来の悪い、弱虫な自分としてこれまでにない戦果だと思えた。


「死んじゃダメさ!!!」

「!!?」


 殴殺鬼はバットを放り出し、地面に倒れこむ。

 そしてゴロゴロと転がりながら三四郎の服を掴み、自らの燃える身体から強引に引き剥がした。

 三四郎はそれでも尚、掴みかかろうとしてくる。

 そんな彼に殴殺蓮華は、まだ燃え切っていないコートを脱ぎ、三四郎に燃え移った火を叩き消そうとする。


「何を……! 何をしている殴殺蓮華ェ!!」


 ここで。事の成り行きを見守るだけだった座頭院が、声を荒げた。

 何故火を消そうとする。放っておけばじきに死ぬ。何なら今すぐ殴り殺せば良い。

 それなのに何故、助けるかのような真似をする。


「黙ってろさ!! 殺人鬼でもないくせに!!!」


 そんな座頭院の呼びかけに、殴殺鬼は激昂で返した。


「このまま三四郎君を焼き殺してしまったら、『殴殺鬼』の名折れさ……! 僕は殴り殺す以外の方法で人は殺さない……! 火傷まみれで、抵抗もできない人間を手にかけるのも論外さ!! 大丈夫さ、そんなに深くまで焼けてはいないさ……!」


 呆気に取られる座頭院など見向きもせず、蓮華は消化と救命措置を迅速に行っている。

 それはただ、己が『殴り殺す鬼』であるが故。その縛りを曲げることだけは、決してしない。できないのだ。


「……おかしな奴だろう? この世界の化物は」


 ふと、座頭院の頭上で、白き幽鬼のチャンネルメーカーが静かに語りかける。

 座頭院は視線を蓮華と三四郎に向けたまま、沈黙によって肯定した。


「殺人鬼は自分の決めた殺害方法でしか人間を屠らない。殺す前には必ず名乗りを上げ、使用する凶器も生涯変えない。気に入った人間は時たま逃がし、最上の状態で自分が殺すまでは、他の殺人鬼にだろうと手は出させん。……奇妙な習性だ。だがそれが殺人鬼なのだ。人を辞めた人でなし共。だからこそ、他の何者よりも『嘘』を付かない。他人にも、自分の決めた掟にも。人間はたやすく約束や決意に嘘を付く。だが鬼は嘘を嫌う。……そういう連中なのだ」


 座頭院はただ、チャンネルメーカーの説明を黙して聞いていた。

 もはや戦闘不能になり、それでも一命を取り留めた三四郎。そんな彼の様子を見て、心底安心した顔を見せる殴殺蓮華。

 そんな彼は、彼の表情だけを見れば、座頭院のいた世界――地球セカンドムーンにおいて、『善き人』に分類されるであろうものだった。

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