17 ファイア・ロケット・パンチ

 『現実』に、引き戻される。


 坂之上の眼前に広がるのは、地に倒れ呻くグール達。

 そして舞姫もエイジも三四郎も、同じように蹲って何か呟いている。

 上空では、変わらず苦しみに顔を歪めるアリス。そんな彼女が放つ、生命エネルギーを変換させた防御球。

 それを包み込むようにして保持する、この現状を作り出した幽鬼。


 坂之上の胸元では、小さなペンダントサイズに戻った十字架が淡い光を放っていた。その温かな光を握り、坂之上は寂しげに呟く。


「……悪夢から目が覚めても、悪夢みたいな現実しかないな……。ミノタウロスの十字架よ」


 ぎゅっと、十字架を握る手に力を込める。

 再び眉間に皺を寄せ、眼光鋭くし、一番近い場所に倒れている三四郎に歩み寄る。


「ぐっ……ああああああ……!」


 三四郎は機械の右腕を押さえ、涙を流しながら苦しんでいる。生身の腕は無いはずなのに、酷く痛みを感じているようだった。


「『幻肢痛ファントムペイン』……!」


 失ったはずの部位が痛む症状。人間の脳が生み出す苦しみ。

 三四郎の状態は、明らかに幻肢痛と呼べるものだった。


「しっかりしろ坊ちゃん……!」

「父さん……! 母さん……! 皆……! う、腕がァあああ……! 誰か、誰か助けてよぉ!!」


 三四郎の肩を掴み、坂之上は必死に呼びかける。

 だが混乱する三四郎は、過去のトラウマとそれが呼び起こす痛みに襲われている。

 恐らく幽鬼の攻撃によるものだろう。坂之上も見たような、過去の映像を映し出す精神攻撃。魔力の塊となった幽鬼ならではの、厄介な攻撃だ。


「それはただの幻覚だ……! もう過ぎ去った出来事だ! 戻って来い! 坊ちゃん!!」


 しかし三四郎は泣きじゃくる。家族や、大切な友人の名を口にする。その様子はまるで、過去の気弱だった坂之上のようで――。


 坂之上の顔が曇る。どうすれば良い。こんな時、芥川君なら何と言うだろうか。彼ならきっと、強い言葉で皆を勇気付けるだろう。不思議なカリスマで心を照らし、安心を与え、その笑顔でこの現状をひっくり返してくれる。


「ッ……!」


 そこまで考えて、坂之上は気付いた。

 まだ、芥川蜘蛛に縋っている自分に。

 目の前の三四郎のように、『誰かに助けを求めている』ことに。


 そうじゃない。『芥川君なら』じゃない。彼のようにはなれない。今必要なのはそんなことではない。何故なら――。




「……もう、いねーんだよォ!!!!!」




 ゴーストタウン全体に響くかのような声に、昏迷する三四郎はピクリと反応した。


「お前の右腕も! 父さんも! 母さんも! 大切な友人も皆、もう死んでいなくなったんだ! 帰ってこないんだ! どこ探したって、いないんだよォお!」


 三四郎は過去の坂之上自分じゃない。むしろ、同じなのだ。だが少しだけ、違う部分もある。


「だけどお前にはまだ、残ってるモンがあるだろうが! お前の助けを待ってる人が、いるんじゃないのかよ!!」

「ア、リス……ちゃん……」

「そうだ、彼女はまだ戦ってる! 生きてる……! お前がゴーストを倒して助けてくれることを信じて、まだあそこで踏ん張ってんだろうが! そこから目ェ逸らして、昔のことばっか考えてんじゃねぇよ!!」


 三四郎の瞳に、光が戻りつつある。ミノタウロスの十字架の光を浴び、そして何より、坂之上の言葉で少しずつ『戻って来て』いる。


「あ、僕……アリ、ス……ちゃ……助……」


 狭間で揺れている。失ったものと失いたくないもの、悪夢の過去と地獄の現実との間で。恐怖と勇気の、その中で。もうしばらくすれば、正気を取り戻すかもしれない。


 ――そんな悠長には、していられないだろうが……!


自分テメェの命と自分テメェの女の命、どっちが大切かって聞いてんだ!!!!! 夏目三四郎ォォオ!!!!!!」


 三四郎の眼が見開かれる。

 そして一度うな垂れ、小さく、だがハッキリと、言葉を発した。


「……坂之上、君……」


 言葉を待つ。絶望の静寂の中で、彼の『決意』は聞き逃さない。


「……アリスちゃんを助けるのに、協力してくれ……っ!」


 顔を上げ、命の灯火が宿った瞳を坂之上に向ける。

 坂之上は、心底嬉しそうに笑った。


「……良い面構えになったな。今まで坊ちゃんなどと呼んで悪かった」


 三四郎に手を貸し、立ち上がらせる。

 最早時間はない。アリスの命が尽きる前に、幽鬼を倒す。その決意を宿した少年二人、弱虫二人、上を向く。


「行くぞ三四郎。もうこれ以上、失ってたまるかよ……!」

「あぁ!!」


***


 もう一度、三四郎は幽鬼に向かって拳を構える。

 だが今度は、先程とは違う。まず単に火炎を放射することが目的ではない。それと、三四郎の小さな肩を坂之上が強く掴んでいる点だ。


「よく狙えよ三四郎……! それから魔力も、出し惜しみしてやるな……!」

「勿論さ……!」


 坂之上にはもう魔力がない。三四郎の火炎では幽鬼にまで届かない。

 そんな状況で、どうやってアリスを捕らえる幽鬼を撃破するのか。

 その突破口は、逆転の発想にあった。


 三四郎は右腕のワイヤーを引く。リコイルスターターに回転が与えられ、エンジンが動き出す。その動力でエアコンプレッサーとファンも回り、圧縮した空気を噴射させることを可能とする。

 だが今回は、幽鬼に向かって吹かせるのではない。むしろ、逆だ。


「逆噴射!!」


 本来なら排気ガスを放つ噴射口から、勢いよく新鮮な空気が吹く。

 その勢いに飛ばされないように、坂之上は三四郎の肩を握る手に力をこめる。


「じゃあ、点火するけど……! 本当に、良いんだね!」

「あぁ、構うことはない!!」


 機械腕に巻きつけられた、。そこに、三四郎は着火する。

 煌々と燃え上がる布の温度に、三四郎は顔をしかめる。

 しかし、狙いは変わらず幽鬼。幽鬼に捕らえられながらも、顔色を悪くしながらも、防御を解かず足掻き続けるアリス。


「俺が砲台バッテリー、お前が大砲カノン、放つ弾丸は、俺とお前の……!」


 逆噴射した空気を利用し。

 着火させたマフラーに込めた三四郎の魔力を。

 あとはそれを、大切な人に届けるだけ。


 三四郎は髪も右頬の皮膚も焦がしながら、それでも。高温になった『接続部』の留め金具パチン錠に指を伸ばし、外した。


 燃え盛る機械の右腕は飛び道具となって。

 真っ赤に輝くその腕が――撃ち上げられた。




「「ロケットパアアアァァァァァァァァンチッッ!!!!!!」」




 一直線に、暗黒の夜空に赤い彗星が道を描く。


 幽鬼はアリスの盾を利用し防ごうとしたが、坂之上達の本命はパンチそのものではない。

 防御壁に到達したパンチは、そこで止まる。アリスもまた、最後の余力を振り絞って硬度を上げたのだろう。

 そして、火炎が防御球全体を包み込む。アリスを捕らえていた幽鬼の全身を、純白の骸骨を、灼熱が赤く赤く染め上げた。


 やがて火炎に込められた三四郎の魔力が、幽鬼の思念を浄化し尽くす。他者の精神に干渉しその命を求めた亡霊は、淡い光の粒となって消えていった。


 その光景に数秒間、坂之上と三四郎は見惚れていた。

 だがすぐに、危機に気付く。


「アリスちゃん!!」


 解放されたアリスは、魔力が尽きたのか、魔導機甲を停止させる。だが、彼女がいた場所は高い上空だ。このままでは、落下死してしまう。

 三四郎はすぐに駆け出す。だが右腕を射出し片腕となった身体では、どうにも普段通りのバランスが取れない。

 魔力切れと疲労もあって、足がもつれた。

 そんな。ここまで来て。一気に顔が青ざめる。助けと、思ったのに――。


 真っ逆さまに墜落するアリス。このまま頭から落ちれば、間違いなく即死。起き上がって駆けつけても、もう、間に合わない。


「『ミノタウロスの十字架』!!」


 アリスが落下する直前。もはや巨大化すらできない十字架で、それでも坂之上は、十字架の『チェーン』を伸ばしてアリスの身体に巻きつけた。

 そのまま長さを調整して引き寄せ、落下のスピードを弱めながら、三四郎の元へと送り届けてやった。


「ぐえっ」


 倒れている三四郎の身体が、ちょうど良いクッション代わりになったのだろう。三四郎の呻く声はしたが、アリスの身体が硬い地面に叩きつけられることは、なかった。


「な、なんだよ坂之上君! 魔力が残ってるなら……!」

「これで本当の本当に最後だ。……それより三四郎」


 三四郎は自分の上に倒れるアリスを大切そうに抱えながら、坂之上の方を見る。

 今こうして大切な人を抱きしめることができるのも、あの素敵な眼鏡が似合う坂之上のおかげだ。


「アリスの手を、握ってやれ」

「……? こう?」


 不思議に思いながら、衰弱したアリスの手を握る。自分の右腕はないので、生身の左手で。


「どうだ」

「……温かいよ。小さくて、壊れそうで……でも、確かに温度がある」

「そうか……。なら、良かった。あぁ、本当に……。良かったよ」


 心底安堵したように、坂之上は笑みを浮かべる。釣られて三四郎も、アリスを奪還できた安心感からへにゃりと笑った。


 幽鬼を倒したことで精神作用も解け、舞姫もエイジも正気に戻った。

 だがそれはグール達も同じことで、すぐに起き上がって坂之上達を再び襲い出すだろう。


 故に坂之上と三四郎はアリス達を連れ、急いで場を離れることにした。

 いつのまにか戻ってきたアリスと、片腕のない三四郎と、焦げた三四郎の機械腕を持った坂之上の三人を、舞姫とエイジは不思議そうに見つめていた。ちゃんと後で説明するからと、とにかく彼らは再び走り出した。


 特に坂之上の姿は。舞姫には驚きの思いで見つめるしかなかった。

 学ランと同じくらい黒く煤けた機械腕。そして。だが彼の表情は、この世界で出会ってから一番輝いて見えた。

 何か一つ吹っ切れたような顔になった坂之上を、深く追求することもなく。舞姫はただ、その背中に着いて行くだけであった。

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