16 彼が流血鬼へと至るまで

「こっちだ! 急げ!」

「ま、待ってよクモ君!」


 照りつけるの下、黒い学ランに眼鏡をかけた少年が、後方の友人を急かさせる。

 友人は体力が無いのか、半袖の白シャツに汗が滲んでいる。

 対する学ランの少年は、暑そうな見た目に関わらず、素敵な眼鏡をクールに装着していた。


「ここまで来れば、もう『奴ら』も追って来ないだろう……!」

「あ、危なかったね……」


 子供の頃に秘密基地として使っていた洞窟に、二人の少年は命からがら帰還した。

 その手には、無人となったスーパーの倉庫から調達してきた食物や生活用品が。


「やはり昼間は吸血鬼どもの活動も鈍るらしいな……。日の出ている時間がチャンスだ」

「うん……。でも、これだけ食べ物があれば……。しばらく僕ら二人だけで生きていけるんじゃないかな」

「バカヤロウ、相棒!」


 素敵な眼鏡の少年の一喝に、気弱そうな友人は肩を跳ね上げる。どうして怒られたか分からず、小さな悲鳴も漏れてしまった。


「まだどこかで人間が生きているかもしれない。きっといるはずだ。その人達を見捨てて、俺達だけ生き残っても仕方ないだろ」

「で、でも……」

「まだ人類は負けてない。きっと俺達以外にも、戦ってる人がいるはずだ。ならば俺も諦めないぞ。いつか吸血鬼どもを倒して、人間の世界を取り戻すんだ……!」

「う、うん……」


 はたして本当に、そんな事が可能なのだろうか。友人は、実現困難な大望だと思っていた。


 世界に突如として蔓延した『吸血鬼化ウィルス』。それは瞬く間に人々を蝕み、人間を夜に生きる怪物へと変貌させた。

 吸血鬼は人間の生き血を吸い、唾液からウィルスを注ぎ込まれた者も吸血鬼となり、死者は墓の下より這い出てきた。

 だが、全ての人間が吸血鬼になったわけではない。ここにいる素敵な眼鏡の少年と、その友人のように。吸血鬼達の捜索から逃れ、隠れるように生きる人間も少数いた。


 だが夜が来れば、世界は闇の王国となる。

 外出などできるはずもなく、少年と友人は、蝋燭の灯りを頼りに洞窟で過ごすしかなかった。節約するため、食事も缶詰一つを二人で分け合いながら。


「できれば新聞かラジオが欲しいな……。明日は生存者を探しつつ、その辺を調達しに行こう」

「……ねぇ、クモ君」

「どうした相棒」

「本当に……いるのかな。僕達以外の、生存者なんて……」


 友人が気弱になるのも当然だった。この数週間、生きた人間に出会ったことがない。外界の状況も分からず、世界にどれだけの生存者がいるのかも。

 だが、少年は諦めていなかった。その素敵な眼鏡の奥に光る瞳は、希望を失ってなどいなかった。


「……なぁ、相棒」

「な、なに……?」

「もし、生き残っている人に出会ったら……。その人の手を握ってやれ。その人の手はきっと、温かいだろうから。奴らと違って、生命の温度があるはずだ」

「……質問の答えになってないよ……」

「オイオイ、話を聞いていたか? まだ人間は必ずいる。だからソイツの手を取ってやれってことだ」

「……そんなの、キミがやれば良いじゃないか。だいたい、僕は人見知りだし……」


 初対面の人間の手を取って握手するなど、友人にはかなりハードルの高い行為だった。


「お前がやるんだよ」


 穏やかで、それでも有無を言わせない、いつもの不思議な説得力を秘めた口調だった。


「……それじゃあ、まるで遺言みたいだよ。クモ君」

「酷い奴だ、俺を誰だと思ってる? 素敵な眼鏡の似合う無敵のクモさんだぞ?」

「ホント、どっから出てくるんだよ、その自信……」


 呆れたように、しかし確かに、友人は小さく笑った。

 その笑顔を見て少年もまた、安心したように笑ってみせた。

 そうして夜が過ぎ、また日は昇る――。

 彼らにとって、忘れられない『あの日』が来る。


***


 翌日。二人は予定通り、太陽が高く昇る時間帯から行動を開始した。

 欲しい物は情報を得られる媒体。新聞でもラジオでも、何か世間の現状を把握できるものを。そして、生存者がいればその保護を。


 日中の時間は限られている。いくら十字架や杭を持っているとは言え、それは木で作った即席の装備だ。できれば吸血鬼との遭遇は避けたい。

 そのため眼鏡の少年と気弱な友人は、二手に分かれて街を探索した。時間を有効に活用し、尚且つ、


 ――そしてその『最悪』を引いたのは、素敵な眼鏡の少年だった。


「サイレン……!?」


 学校の白シャツを着た友人は、遠方から聞こえるパトカーのサイレン音を聞いた。

 無人であるはずの街に響くけたたましい音。

 友人はすぐさま、そのパトカーの音が聞こえる方向に走った。


 ――続けざまの銃声。


 誰かが地に倒れる音。


 友人は、大量の汗をかいているのに、身体の芯に氷柱を詰められた気分にさせられた。


 そして住宅地の曲がり角から、その光景を見た。見てしまった。


 足から血を流す黒い学ランの少年。彼は額に脂汗を浮かべ、警官の服を着た吸血鬼二体に、囲まれている。


「あ……!」


 助けなきゃ。彼を。大切な親友を。

 その瞬間――。




「生きろ坂之上ェェェェェェェェェッッ!!!!!」




 町中に響く声で、最後の力を振り絞り、素敵な眼鏡の少年は叫んだ。


「お前はッ! お前だけでも! 逃げるんだッッ! そして生きろ!! 坂之上ェェェェェェ!!!!!」

「コイツ……!」

「仲間がいるのか……!?」


 愕然とする思いで。だがその声に弾き飛ばされるように、友人は――坂之上雲は、同じ『クモ』の名を持つ少年に背を向けた。そして走った。

 何度も謝り、何度も涙を流し。それでも坂之上はひたすらに逃げた。


「ゴメン……! 蜘蛛君……っ!」


 そして……。

 ほとぼりが冷めた数時間後、坂之上は少年が撃たれた現場に戻った。

 そこにはもう、吸血鬼達の姿は無かった。少年の遺体も。

 ただ、広がる血溜まりと、その傍に眼鏡が一つ落ちていた。

 どんな時でも黒い学ランを脱がず、自信家で、でも論理主義者で、人望もあった、素敵な眼鏡の似合う無敵の彼が――『芥川あくたがわ 蜘蛛くも』の宝物だけが、残されていた。


 坂之上はそれ拾い上げ、そしてクシャクシャになった新聞紙を握って帰路に着いた。一面記事に『世界人口の98%、吸血鬼化を終える』と見出してあった、その新聞を握って。


***


 二人では狭いと思った洞窟も、一人では広く感じた。

 友を失い、己だけが生き延び。坂之上は秘密基地の中で、食事も摂らずに呆然としていた。


 ふと、何者かの足音がした。誰か近づいてきている。隠れ家がバレたのだろうか。

 ……もう、別にどうでも良い。自分だけで生きることもできないと思った坂之上は、脱出することもなくただ座っていた。


 そして、蝋燭の灯りに来訪者の姿が浮かび上がった時。坂之上は驚愕に目を見開いた。


「キミは……!」


 その姿は。その顔は。見間違うはずもない。顔色は青白くなって生気を感じさせないが、それでも確かに、坂之上にとって大切な人の面持ちだった。


「やっぱり、ここにいたのね……」


 亜麻色の髪にショートヘアーが似合う、坂之上の想い人だった。

 分かりきっていたことだが、彼女もやはり、吸血鬼となっていた。


「どうして、ここが……」

「分かるわよ……。昔、貴方達に連れて来られたことがあったもの。芥川君と、芥川君のお兄さんと、貴方と、私……。泥団子や葉っぱで、おままごとをしたじゃない」


 懐かしい。そんな温かな記憶が、時間が、最早二度と戻らないことを想うと、坂之上は胸が張り裂けてしまいそうだった。


「……僕を殺しに来たのか」

「違うわ……! 貴方を、助けに来たのよ……! もう一人で、こんな所で過ごす必要はない! 私達の仲間になれば、もう苦しまずに済むのに……!」


 、か。


「人類はウィルスによって進化した……! 飛躍的な身体能力の向上に、少量の血液だけで活動できるエネルギー効率……! 貴方にしてみれば私達は人殺しの化け物かもしれない。でも私達は、進化した新人類と呼べる存在なのよ!」

「『進化』……? 僕の父さんも、母さんも、飼っていたクロも……。先生や学校の皆、そして何より、芥川君を殺しておいて……! それが、高尚な新人類ってやつなのかい……!」


 悲しみは、怒りに変わる。孤独と不安は、激情と憎しみに色を変える。


「……貴方、私達の間で何て呼ばれてるか知ってる……? 日中に休んでいる人々の寝床を襲って、心臓に杭を突きたてる恐ろしい『流血鬼』だって……! そんな野蛮な存在として、いよいよ本格的に『狩り』が始まる。吸血鬼にすらされず、本当に殺されるかもしれないのよ……!」


 一歩、彼女が前に出る。

 坂之上は咄嗟に、手元の杭を掴み取る。そして丸太を削って作ったその杭の先を、彼女に向かって構える。


「近づくな、吸血鬼……!」

「……貴方に私は殺せないわ。どうせ、人々を殺していたのは芥川君なんでしょう……? 貴方は昔から優しい人だったもの。……私が編んだマフラー、まだ持ってくれているほどだものね」


 テーブルに置かれた、赤いマフラー。彼女が誕生日にプレゼントしてくれた、手編みのマフラー。坂之上にとって何より大切な、宝物。


「ッ……! く、来るな……!」


 手が震える。足が小刻みに揺れる。彼女の白い肌と、赤く輝く瞳に射抜かれ、坂之上は身動きができずにいた。

 一歩、また一歩と、彼女は近づいて来る。死を与えるためでなく、吸血鬼達の仲間に引き入れるため。『流血鬼』として恐れられる坂之上を、助けるために。


「怖がらないで……。一度死んでしまえば、もう二度と死ななくて済むのよ……!」


 口内に牙が見える。その鋭い牙に噛まれ、血液を吸われ、ウィルスを注入されれば、全てが終わる。


 ……いや、新たな生活が始まるだけかもしれない。もう闇に怯えて過ごす必要はない。

 ずっと彼女と一緒にいられる。芥川君にも会えるかもしれない。

 そう思うと、身体の震えは止んだ。

 汗が引いたように思えた。

 不思議と、全てを受け入れて良い気になった。


「さぁ、力を抜いて、坂之上君……」


 ――でも。




『生きろ坂之上ェェェェェェェェェッッ!!!!!』




 その声が。あの言葉が。

 坂之上の身体を、突き動かした。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!!!!!!」


 彼女の瞳が大きく開かれる。美しいと思った。


 宙に舞う彼女の血液を浴びながら、坂之上は更に深く、心臓に杭を押し込んだ。


「どうし、て……」


 赤い水溜りが、広がっていく。坂之上の足元を濡らす。だが坂之上の右手は、もっと赤く染まっていた。

 彼女の瞳よりも、彼女が編んでくれたマフラーの色よりも、ずっとずっと濃い色に。


***


 ――洞窟の外は、雨が降っていた。


 雨粒が、坂之上の身体を濡らす。風邪を引かないよう黒い学ランを来て、血に濡れた杭を持って外に出た。

 大切な友の眼鏡をかけて、大切な人がくれた赤いマフラーを巻いて、坂之上は夜の世界へ歩き出した。

 涙も、鼻水も、口の周りの胃液も雨水が洗い流してくれる。だがその眼光に宿った『意志』だけは、流れることなく熱と輝きを放っていた。


「……て、やる……。殺してやる……。殺してやる……。殺してやる……! 一匹、残らず!!」


 ――その日、坂之上雲は鬼を殺した。

 後に『流血鬼』として世界中の化け物達から畏怖される存在が、産声を上げた瞬間だった。


 70億の吸血鬼を屠る『化け物殺しの化け物』が、坂之上雲が最初に殺したのは――生まれて初めて好きになった、恋人の女の子だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る