15 幽鬼《ゴースト》
雄叫びを上げ、若き兵士達は散開する。
緩慢な動きで新鮮な肉を求めるグール。そんな腐りかけの死人の頭部目掛け、舞姫は剣先スコップを叩きつけた。
フルスイングで殴打された頭部は彼方へ吹き飛び、肉体は大地に倒れその活動を停止させる。
更に他のグールの首筋を返す刃で裁断し、肉体へ信号を送る神経をも断絶させる。
スコップ一本で数多のグールをなぎ倒す舞姫。だが数の差は圧倒的であり、背後の死角から来る攻撃に対応するのが一秒遅れた。
「しまっ……!」
右肩を捕まれる。腐った手でありながら尋常ではないパワーを放つ握力を、振りほどくことができない。そして舞姫の細首に、大口を開けたグールの牙が――。
「油断してんじゃねぇぞ!」
チェーンソーが、掴んだ腕を斬り落とす。
そしてエイジは左手に持った日本刀で、首を一刀両断する。
まるで小枝を切るかのように。エイジは大して力も入れていないのに、刀は腐肉すらも容易に切断してみせた。
その切れ味、感触に。使用者のエイジは密かに感動していた。
「ありがとう、エイジ……!」
「実技訓練の成績は俺ンのが上だからなァ! しゃーねーから守ってやるよ!」
「座学は私の方が上よ。それに総合成績でも。あと、私は弓使いだから、今の状況は本来の実力――」
「ケンカしてないで戦ってよ二人共ぉ!」
三四郎は悲痛な声を上げながら、それでもガス灯の柱を用い、動く死体の頭を粉砕する。
仮に噛み付かれそうになっても、三四郎の右腕は義腕である。魔導機甲の腕を囮にし、その隙にグールの首をへし折る。
だが飛び散る脳漿と血液、散らばる腐肉に、三四郎は恐怖から失神寸前でもあった。
三者三様に善戦する若き勇士達。だがそんな状況下で最も戦果を上げていたのは、やはり素敵な眼鏡と赤いマフラーが似合うあの男だった。
「しっかり掴まっているんだぞアリスさん! かなり激しく揺れるものだからな!」
嬉々とした表情に高笑いを上げ、黒い制服を着た坂之上雲は、並み居るグールの大軍を十字架で粉砕していた。
身の丈ほどもある十字架の重量に任せ、ただ乱雑に振り回すだけでも10体近くのグールの首が飛ぶ。まるでモグラ叩きかトマト祭りでもするかのように、坂之上は豪快に死者の頭を潰していく。
「坂之上君!」
「!」
アリスの声に、一瞬坂之上の笑いが止まる。
彼には背に乗る
だが同時にアリスもその危機を察知し、彼女は自身の魔導機甲を起動させていた。
坂之上の背でワイヤートリガーを引き、左腕に装着した回転鋸をスタートさせる。するとその回転鋸から魔力が拡散し、アリスと坂之上の背を守る半透明の『膜』を形成してみせた。
その膜にどれほど爪を立てても牙を向けても、グールの腕力で打ち破ることはできないようだった。
「魔力の防壁か……!」
「私の魔力は特質系なんです……! 後ろは任せて下さい……!」
「心強い……!」
これで、憂いはほとんど無くなった。
元より、ここにいる若者達は吸血鬼や殺人鬼との邂逅を果たし、修羅場をくぐってきた猛者ばかり。
いくら肉体の限界を無視した膂力を放つグールとは言え、その緩慢な動きでは彼らを捉えることはできない。
どれほどの数が相手であろうと、坂之上達の敵ではないのだ。
事実、周囲にいたグール達の数も既に減った。
体力や魔力の消耗も少ない。客観的事実として理解できる。勝てる、と。
このままグール達を蹴散らし、中年の男性とアリスを連れて、先に撤退して行ったヘルシング教官達の後を追う。全員が口に出さずとも、その未来を予想していた。
――だからこそそれは、慢心とも呼べない感情のはずだった。
誰かが悪かったわけではない。
ミスをしたわけじゃない。
油断と呼ぶには、あまりにも小さな心の安定だった。
ならば何故、アリスと中年男性は『掠め取られた』のか。
それは、『敵』が全員の予想を超えていただけなのだろう。真の脅威が突如現れ、その存在をギリギリまで感知させなかっただけだ。
「なんっ、だと……!?」
坂之上がこれほどの動揺を見せたのも、この世界に来てからは初めてのことだった。
今まで背に乗せていたはずのアリスが。足を負傷しながらも魔導機甲のバリアで果敢に参戦していた彼女の重みが、するりと消えていった。
振り向く。いない。どこへ消えた。そういえばあの太った中年男性も。みっともなく恐怖に怯えていた彼の声も、ピタリと止んでいた。
そしてその異変に、舞姫達も気付く。
「坂之上君……!?」
「どうした!?」
「あっ、アリスちゃんッ!!」
真っ先に把握したのは、三四郎であった。彼はこの戦場にあって、上空を見上げている。それは兵士として失格であり、自殺行動にも等しい。
だがそこに、坂之上達の求める『答え』があった。
家屋の三階程の高さに浮かぶ、中年の男性。だが今は顔も青白く、唇は紫で、虚ろな瞳に光はない。
「たす、け……」
白い『もや』のようなものに包まれる中年は、上空で見る見るうちに痩せ細り、ミイラのように干からびていった。あれほど太って汗を浮かべていた男が、一瞬のうちに。
そして同じく白いもやに取り囲まれるアリスも、苦しい表情を浮かべていた。
だが彼女は魔導機甲を展開していたため、バリアが彼女の全身を球状に包んでいる。そのおかげで、彼女は中年のように衰弱死することはなかった。
そんなアリスを包む『もや』が、形を変える。
雲ではない。もやですらない。大気現象ではない『それ』は、白いローブを身にまとった巨大なガイコツの外見を形作る。
全長で3メートル程だろうか。下半身のない骸骨の胸に抱かれ、アリスは必死の抵抗を続ける。
だが純白の骸骨は、静かにアリスの生命を捕らえる。中年男性にしたように、その生気を奪うため。
「『
その姿を見て、舞姫は口に出す。彼の者の正体を。
吸血鬼、殺人鬼と並んで、この世界に存在する『鬼』の種族。
「デケェぞ……!」
「き、きっといくつものゴーストの集合体なんだ……! 早くアリスちゃんを! 彼女を助けないと!!」
「落ち着け坊ちゃん。あの高さでは、そう簡単に手出しできん」
坂之上だけは冷静に、現状を確認する。
幽鬼自体を見るのは初めてだが、化け物を退治する基本は変わらないはず。
肉体に傷を付け、そこに魔力を注ぎ込む。肉体を持たないゴーストは恐らく、直接魔力を届けるだけで良いはずだ。
だがそのための手段が、今は限られている。
「こんな時のために、私がいるのよ……!」
グレゴリーに切り裂かれた傷も既に塞がり、得物をスコップから持ち替えた舞姫は、魔導機甲の弓のエンジンを回す。そして武器を構え、本来の実力を発揮し、魔力を込めた矢を放った。
周囲のグールは男子達に任せている。集中し、ゴーストに確実に命中させる。そもそも巨大な的だ。外す方が難しい。
そう、思っていた。
「……!?」
確かに矢はゴーストに届いた。だが爆煙が収まる頃にはゴーストは消滅しておらず、むしろ『盾』にされたアリスの姿が浮かび上がるだけだった。
「そんな……!」
矢の先端に取り付けられた火薬。それが炸裂し、舞姫の魔力が注ぎ込まれるはず。
だが幽鬼はアリスの防壁を利用し矢を防ぎ、爆風も大したダメージになっていない。
「こうなったら、僕がァ……!」
三四郎の右腕が唸りを上げる。エンジンが高速回転し、熱を帯び始める。そして右腕から僅かに噴き出す液体。その臭いを嗅いだ坂之上は、三四郎の魔導機甲の本質を察した。
「石油……」
「僕の魔力も舞姫さんと同じ爆裂系! 圧縮した空気に乗せてオイルを飛ばし、それを、着火するッ!!」
上空の幽鬼に向かって、三四郎は拳を振り上げる。小柄な体躯の彼のパンチが届くことはない。
だが、空気なら。空気に乗った油なら。機械の指を擦り合わせて着火させた、可燃性の拳圧ならば――。
「『バーニング・スピリタス・ショット』!!」
燃え盛る爆風が幽鬼に迫る。例えアリスの防壁で防ごうとも、舞姫の矢と違って『面』による攻撃である。その巨大な全身を、炎から守り切ることなどできないだろう。
――だがその淡い期待は、脆くも崩れ去る。
三四郎の試みは、全て『火炎が命中すれば』の話。幽鬼とアリスのいる上空まで、機械弓の高速矢なら難なく届いた。
だが、三四郎の火炎は。右腕を真っ赤に燃やし放ったその業火は、幽鬼の目前ギリギリで消滅してしまった。
「届か、ない……!」
僅か。あとほんの少しの距離なのに。攻撃範囲では弓に勝っても、射程距離が足りない。
「坂之上君!」
舞姫が瞬時に叫ぶ。その意味を坂之上も理解していた。
雪山でグール達を蹴散らした時のように、『刀槍の霊園』をもう一度放って欲しい。あの大技なら、あの光る柱を生み出す攻撃なら、きっと幽鬼の直下から貫くことができるはず。
だがそれができるなら、坂之上は言われるまでもなく最初からやっていた。
「残念ながら俺の魔力はもう残ってない。斬殺水仙にありったけ注ぎ込んでしまった。飯でも食べて一晩寝れば回復するだろうが……。今は十字架を巨大化させる程度のことしかできないんだ」
全力であったが故に。グール程度は退けることができても、巨大なゴーストを相手にするには、余力がなかった。
絶望が広まる。嫌な感覚だ。坂之上はこの感触が嫌いだった。いつだってそうだ。恐怖は伝染し、諦めが心に巣食い、そして最後に人は『死』を選ぶ。
そんな彼らの感情を幽鬼も察知したのか、それまでアリスを捕縛しているだけだった骸骨も、行動を起こそうとしていた。
「ヤベェ……! 何か来るぞ!」
エイジの警戒が、各々が距離を取ろうとする。
だがもう、間に合わない。
幽鬼から放たれた白い波紋。凝縮された空気が弾け飛んだかのようなそれは、周囲にいた人間もグールも関わらず、全ての者を包み込んだ。
そしてそれは、坂之上も例外ではなく。眼鏡の奥に光る瞳は、真っ白な景色だけを映していた。
あぁ、これは――。
まだ、彼が『太陽のある世界』にいた頃の景色だ。懐かしい、大切な思い出の映像。
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