34 死神少女
支部の通路を歩いていると、実に様々な人間とすれ違った。
絶望に顔を青ざめる者。グールを撃退しようと意気込む者。まだ何とかなると楽観視している者……。
しかしどうにも、ルリリカ襲撃時よりは混乱していないように見えた。化物による襲来はこれでニ度目。そして坂之上達の活躍によって、勝利をもぎ取った実績がある。
よく言えば肝が据わり、悪く言えば『弛緩』していた。警戒心の中ある緩み。まさか自分が死ぬことはないだろうという、根拠のない浮遊間。
そうしたムードが満ち始める中、坂之上の進路に一人の少女が立った。
「坂之上君」
「君は……」
それは、数日前に手紙を渡してくれた少女だった。
彼女は他に三人の友人を連れたっている。皆一様に、懇願するような視線を向けてくる。
「……だ、大丈夫ですよね……?」
「は……」
「だって坂之上さん、強いですし、かっこいいですし! だ、だから今回もきっと、グールなんていくらいようと、やっつけてくれますよね!」
信頼と期待の眼差し。それは彼女達だけでなく、坂之上の戦う姿を見た者なら、誰でもが当然に思う感情だった。
今までなら、自信に満ちた表情と大げさな仕草で「任せたまえ」とも言えただろう。
だが三四郎が離脱した今、そんな『英雄』を演じるのは容易ではなかった。
思い起こされる。痛感する。夏目三四郎という少年が、自分達にとってどれほど重要な存在だったかを。
飛び抜けた武力を持っているわけではない。知恵が回るわけでも。ただ、三四郎は誰よりも『勇気』を持った兵士だった。
三四郎のように小さな、そして臆病な男だからこそ。弱さを持っているからこそ、三四郎は――今までに一度も、戦いから逃げたことがなかった。
そんな彼の姿に引っ張られるように。背中を押されるかのように。坂之上を含め、皆は『闇』に立ち向かうことができた。三四郎がまだ諦めていないのに、どうして自分が真っ先に逃げ出す事ができようか、と。
「……坂之上君?」
呼ばれた声に、顔を上げる。
訝しむ少女達の視線に耐えられる、まともな返事もできぬまま。ただ小さく、「大丈夫」と伝えるだった。
「……でもやっぱり、無理……なんじゃないかな」
「ちょっと!」
「だって!」
一人の少女兵士が零した『失言』を、他の面々が咎める。しかし絶望の色が一層深い彼女からは、弱音が絶えず漏れる。
「……皆も分かってるでしょう!? グールに囲まれて、吸血鬼も殺人鬼も幽鬼もやってきて……。それに、あの人……。森さんが来てからじゃない。この支部が襲撃されるようになったのも……! 責任は、全部……!」
「……どういう事だ」
刺すような視線に、少女はあっと口をつぐむ。
しかし言い逃れを許さぬ、追及するような眼光と威圧感に負け、少女達は恐る恐る語り出した。
「……森舞姫さんが死神だって話、結構有名ですよ」
「『死神』……?」
その単語は、どこかで聞いた覚えがあった。
それは兵団本部にいた時。殴殺蓮華と斬殺水仙に襲われた面々と共に、本部別塔の医務室に押し込まれた時だ。傷ついた訓練兵達は、舞姫のことを『死神』呼ばわりしていた。
「森さんの近くにいると、皆死ぬって……」
「
馬鹿な話だ。無茶な言いがかりだ。
この世界、時世において、人死には珍しい事ではない。むしろ日常茶飯事。その中に偶然舞姫がいて、彼女の力量と幸運で、彼女だけが切り抜けてきただけの事だろう。
しかし同時に、生きるか死ぬかのこの世界で。舞姫の経歴はとても縁起が悪く、少しでも運気を上げて生き残りたい者達からすれば、『不幸のお守り』のように見えるのも無理からぬことだった。
「だが、それは……!」
「坂之上」
舞姫の名誉を取り戻そうとして。反論しようと口を開いた、その時。
背後からエイジの手が肩を掴んだ。
「ちょっと来い」
有無を言わさず、連れて行こうとする。
少女達はまだ坂之上と語り足りていない様子だった。化け物達を倒し、支部の全員を守るという確約を聞いていない。
しかしエイジの顔が、悪人面の恐ろしい眼光に射抜かれ。怯えた少女達が、エイジに連れていかれる黒い学ランの背を見つめることしかできなかった。
***
人気の少ない場所で、壁にもたれ。薄暗く細い通路にて、二人は睨み合う。
「テメーはどう考えてんだよ」
「……何がだ」
「舞姫が『死神』だって言われている話だ」
どうやら聞こえていたようだ。エイジの顔はいつも以上に険しく、返答によっては殴りかかってきそうな勢いだ。
「……くだらん妄言だな。ただの偶然だ。彼女が死神なら俺は死神大王か? 常に死と隣り合わせだ。だが優秀で強い者は生き残る。それを不吉呼ばわりなど――」
「偶然じゃねぇんだ」
「……は?」
エイジの言葉は冗談などでなく。そもそもこの男は、軽率に冗談を言う人間ではない。
「……舞姫と俺は昔馴染みだった。この世界が闇に包まれる前、アイツは良いトコのお嬢様だった」
そうして彼は語り出す。彼女の出自を。その残酷なる運命を。
「舞姫の母親はアイツを産んだ時に死んだ。元々病弱だったが、それはきっかけにすぎなかった。父親を事故で亡くし、祖父母も火事に巻き込んれて死んだ。アイツや俺と仲の良かった年上の退魔師――ヘルシング先生と同業だった兄ちゃんも、簡単な任務で不運にも殺された」
「……まて。待て待て」
「セカンドムーンが出現してからも同じだ。訓練中の事故、初めての任務、疑心暗鬼からの仲違い、そして殺し合い……。アイツの傍にはいつも必ず、誰かの『死』があった」
「エイジ!!」
胸倉を掴み、壁に叩きつける。
しかしエイジは冷静なまま、激昂する坂之上を見つめ返す。
「俺やお前が否定しようと、誰よりも
望むと望まざるとに関わりなく。死を呼ぶ不吉な経験は。本人にも否定しきれないほど、悲しみを生み蓄積されてきた。
ただ。それでも。
「だがアイツは変わった。少しずつ。……お前と出会ってから」
「……!」
「感謝してるなんて言わねぇ。何かが決定的に変わったわけじゃねぇ。俺の気のせいのかもしれねぇ。だがアイツはきっと、少し安心したんじゃねぇかなって思う。……化け物すら殺す、お前の強さに」
人は弱い。たやすく闇に負け、命を奪われる。
その中で身の丈ほどの十字架を振り回し、太陽の魔力を扱い、化け物達を屠る坂之上という男は。そんな人間の登場が、どれほど鮮烈だったか。
「……だからよ。勝手な行動して、アイツに負担かけんなよ。もしお前が死んだ、きっとまたアイツは自分を責める。もしそうなったら、俺はテメエが死んでもぶっ殺す」
舞姫が初めて出会った、『死なないかもしれない存在』。そんな人間に向ける感情が、どれほどの物か。それは坂之上にもエイジにも分からない。
だがその光明を軽々しく扱い、途切れさせることは、光明本人にだってさせない。エイジの言いたい事は、それが全てだった。
「……分かったら踊子達の所に戻るぞ。支部を脱出する作戦は、教官が上の連中に説明して説得されてる。テメエも頭に叩き込んどけ」
「……あぁ。……なぁ、エイジ」
「何だよ」
「……お前は、俺にもそうであって欲しいか。どんな敵でも倒し、決して死なないと……」
坂之上を先に行こうとしていたエイジは、「ハッ」と鼻で笑い、白い軍服の背を見せた。
「死んで欲しい奴なんかいねーよ。いけ好かない眼鏡野郎でも」
「……そうか」
それは人として当然の思考であり、普段厳しい態度のエイジからしてみれば、優しさに満ちた言葉だった。
しかしその言葉を素直に受け取ることは、今の坂之上にはできそうになかった。
極夜の国の流血鬼 及川シノン@書籍発売中 @oikawachinon
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