27 魂のドリル
互いの存続を賭けた攻防は、激しさを増しつつも長引いていた。
ルリリカの『鉄血の甲冑』は、吸血鬼達の中でも最大の硬度を誇る。どれほど攻撃を打ち込んでも、斬り付けても、炎で包んでも。決定打にはなり得ない。
こうなってくると、苦しいのは坂之上達の方だ。体力、魔力は共に有限である。
前衛を努めるエイジは肩で息をしている。何度も魔力を込めた攻撃を繰り出し、同時にルリリカの反撃もかわさなければならない。何よりも、集中力を途切れさせないようにするのが辛かった。しかし一瞬でも気を緩めれば、それは即死に繋がる。
舞姫も矢の残数を気にし、ヘルシング教官は既に重傷を負い戦闘不能の状態。
そんな中で一人涼しい顔をする坂之上。しかしそれは表面上の姿であって、内心は大きく揺れ動いているのだろうと、舞姫は察していた。
攻撃にキレがない。防御も荒く、エイジにカバーされる場面が数回あった。
そして、安心感を与える
ジリ貧――。
突破口の見えない戦況に、エイジも舞姫も焦りの色が隠せなくなってくる。脳裏に浮かぶのは撤退の二文字。しかしこの世界で今更、逃げ場など存在しない。
ルリリカの狙いは坂之上だが、逃がしはしないだろう。それに坂之上も退却は承服しないはず。
(だけど……! あんな状態の坂之上君を、置いていくわけには……!)
自分達だけ逃げるなど以ての外だ。だが現実的に、どうすれば良い。
そんな風に、舞姫が出口の無い思考を巡らせていると――。
「ぐぁ……!」
「エイジ!」
「ッ!!」
宙に舞う
エイジにはまだ日本刀がある。だが腰の刀に手を伸ばすよりも、ルリリカの拳がエイジの顔面に叩き込まれる方が速い。
眼前に迫るその小さな拳を、エイジはスローモーションのように迫っていると感じた。頭蓋骨ごと粉砕されるだろう。せめて痛みは一瞬であって欲しいと、エイジがささやかに願った、その時。
「『螺旋弾』ッ!!!」
「!?」
誰よりも速く『その者』を察知したルリリカは、エイジへの攻撃をキャンセルし飛び退く。
しかし何発かの小さな『ドリル』が彼女の甲冑に突き刺さり、それでも尚ドリルは回転を止めず、体内に侵入してこようとする。
「ちッ……!」
手で強引に叩き落とす。
大地に落ちた水筒程度の大きさのドリルは、芝生を巻き込み土を掘りながら、ようやく回転を止めた。
「……グッッッドイブニングですわね皆様方!! ヒーローがドリルを引っさげ、遅れて華麗に絢爛に、ただ今到着しましたわ!!!」
スーツケースのような『小型ドリル射出機』に片足を乗せ、月夜に照らされた金髪ロールをなびかせて。
彼女――川端踊子の大きな声が、支部の中庭に響き渡った。
「……来ると思っていたよ」
「オドリルコ……!? どうして……!?」
「川端さん……!」
「邪魔なザコが次から次へと……。どうしてアンタらって奴は……!!」
それぞれがそれぞれの反応を示す中。
この死地において誰よりも注目を集める踊子は、背筋を伸ばし虚勢ではない笑みを浮かべ、
「……何よ、そんなモン……! そんなドリル程度で、吸血鬼最硬の甲冑は、私の岩盤は砕けはしないわよ!」
「吸血鬼最硬! それは結構! 実験の相手にはこの上ない! つまり貴女を貫くことができれば、ワタクシのドリルは残り全ての吸血鬼に通用するということ!!」
無骨なその姿はまるで黒光りする丸太。
あるいは城砦を打ち砕く短槍。
最早一つの攻城兵器。
そんなドリルを両手で抱え、踊子はルリリカと対峙する。それが、『己に出来る事』と信じて。
「待てよオドリルコ!」
「何ですの重松さん! 止めても止まりませんわよ、今のワタクシは!」
「そうじゃねぇ。舞姫も坂之上も、よく聞け。俺に考えがある」
「……?」
踊子の参戦。そして体勢を整え直し、ルリリカを取り囲む兵士達。そこに加わる、エイジの『策』とは――。
ルリリカは、陣形を組むそんな彼らを酷くつまらなそうに見つめていた。
例えどう足掻こうと、己の岩盤のような鉄血は敗れはしない。その自負があるからこそ、単身この地に乗り込んできた。
「行くぜ!!」
エイジの掛け声で、兵士達は駆ける。
先陣を切ったのはエイジだった。日本刀を上段に構え、兜割りの要領で振り下ろす。全力と重力を込めた一撃。しかし、棒切れのような刀で岩盤は崩せない。
作戦など、あって無いようなものではないか。ルリリカは酷く落胆する思いで、エイジの顎にアッパーカットをお見舞いしようとした。
「舞姫ェ!!」
「!!」
瞬間。エイジは攻撃を止め、後ろに飛び退く。
最初から斬り付けるつもりなどなかったのだ。彼は単なる囮。本命は、後衛の舞姫の炸裂矢。
しかしそれも、既に通用しないことは理解しているだろうに。ならば真の目的は。
「今更、目くらましなんて……!」
ルリリカは舌打ちと共に腕を交差させ、矢を防ぐ。爆炎は鎧に延焼せず、ただ黒い煙が周囲に立ち込めるだけ。
そしてその煙幕から、二人の影が飛び出す。ルリリカの左方から踊子、右方には坂之上。
囮を使って煙幕を起こし、その隙に挟撃する。作戦としてはそんなところだったのだろう。
「――どれだけアタシをナメれば気が済むの?」
ドリルと十字架の一撃を、それぞれ硬質化した腕で掴む。ドリルの回転も太陽光の魔力も吸血鬼にとっては脅威だが、体内への侵入を『岩盤』は許さない。
このまま両者を叩き付け、体勢が崩れた所を踏み砕く。ルリリカがそう決断した、その時。
「オラァァァァァァッ!!!」
「ッ!」
囮だったはずのエイジが、単身突っ込んで来る。魔導機甲ですらない、ただの日本刀で。
しかしルリリカは咄嗟に踊子と坂之上の武器から手を離し、彼らを突き飛ばす。
刃が坂之上達に危うく刺さりそうになったので、エイジは突進を止めた。
そうして再び距離を取った人間達と吸血鬼。作戦は失敗。戦いは振り出しに戻ってしまった。
そう思っているのは、ルリリカだけだった。
「――作戦は成功だ。確信したぜ」
エイジは笑う。突破口を、暗闇の中で光を見つけた歓喜の笑みを浮かべる。
踊子も坂之上も、エイジを信頼して先程の行動に乗った。しかし、エイジは何を確信したというのか。
「考えてみりゃ単純な話だ。奴が『最硬の吸血鬼』ってなら、わざわざ防御したり回避行動を取ったりする必要はねぇ。全身をガチガチに固めて、そのまま相手の攻撃を全部無視してブン殴れば良いんだからな。それで全部済む。俺ならそうする。……だが奴はそうしない。何故か分かるか?」
「まさか……」
「そうだ。奴は、『攻撃と防御を同時に行うことはできない』……!」
今までの戦闘で、エイジは理解していた。
最強の盾は最強の矛にもなる。だがルリリカは攻撃する時は攻撃のみ、そして防御する時は防御しかしない。それはつまり、使い分けているのだ。あるいは、同じ血液に見えても攻撃用と防御用で種類が違うのかもしれない。
詳細はどうでも良い。そこまで敵の能力の根源を理解する必要はない。ここで重要なのは、ルリリカにも弱点があるということ。それさえ分かれば、勝機は十分にある。
「重松さん、貴方……。ガサツに見えて、かなり論理的な御人だったのですね……」
「あァそうだ。エイジはこう見えてもな、なかなかに冷静な男なんだ」
「そうなのよ。見た目は悪人だけど、頭はよく回るの」
「ウルセーよお前ら! 今の話で食い付く所はそこじゃねぇだろ!!」
「――茶番はもう良いかしら?」
吸血鬼が、飛び掛ってくる。
瞬時に緊張が張り詰め、同時にエイジの仮説を証明する絶好の機会でもあった。
「『刀槍の霊園』!!」
地面に突き刺した十字架から、光の槍が地下を泳ぎ、ルリリカの足元より立ち上がる。
ルリリカは相殺することも防御もせずに、俊敏な動きで更に跳躍し、踊子に拳を振り下ろす。
「頭下げて川端さんッ!!」
舞姫の矢が放たれる。どれだけ速くとも、空中にいる敵は舞姫にとってマトでしかない。
ダメージは無いものの身体を撃ち落とされたルリリカに、踊子はドリルを突き出す。
高速回転する螺旋の破壊力。可憐な少女の心臓を突き破るべく、踊子は持てる力の全てを振り絞る。
「ふんッ、ぐぐぐ……!」
「最大、硬度……ッ!!」
ルリリカもまた、ドリルを正面から受け止める。全身で包むようにドリルの刃を押さえ、肉体そのものを堅牢な砦とする。
素手で強引に押さえ込まれていることによって、負荷のかかる悲鳴をドリルは上げる。火花が踊子の髪や肌を焦がし、苦痛に顔が歪む。
しかし。踊子はドリルを放さなかった。何としても貫く。通用する。最強の武器であることを、今ここで示すために。
「ドリルは、ワタクシのドリルは……!」
「人間、ごときがァ……!」
「どんな暗闇も岩盤も、削って掘って突破する!!」
意地と意地のぶつかり合い。互いの誇りを賭けた、ギリギリの攻防。
――その決着は、機械の砕かれる音で勝敗が告げられた。
散らばる部品。
鳴り止む回転音。
踊子のドリルはルリリカの心臓付近の鎧を削ったところで、ついに限界を迎えてしまった。
「残念だったわね」
最も硬い甲冑を破ったことは賞賛に値する。しかしその刃先が更に奥、皮膚と肉と骨を突破して心臓に刺さらなければ、全ては無意味。
ルリリカは拳を握る。せめてもの礼儀として、一撃で苦しませずに殺す。
だがルリリカは気付いた。踊子の瞳はまだ、絶望していない。
「残念でしたわね。相手がワタクシだけでなくて」
――ルリリカの心臓に、日本刀が突き刺さる。
エイジが投擲した斬殺水仙の刀。その斬れ味鋭い刃が、的確に吸血鬼の弱点を捉えた。
「今だ坂之上ェ!!!」
そこを、回り込んできた坂之上が刀を掴む。重い十字架は既にネックレスに。身軽な状態で瞬時に切り上げ、鮮血が舞う。
だが坂之上の魔力は特質系。切断系の魔力でない故に、ルリリカを消滅させることはできない。
しかし『穴』は空いた。トドメは舞姫の矢だろう。そう思ってルリリカは咄嗟に坂之上の腕を掴み、舞姫の方に投げた。現在武器を持っているのはこの二人だけ。鉄血の甲冑の防御を解き、『ブラッド・ランス』で憎き流血気を貫く。
それで、全て終わる計算だった。
豪腕によって投げ飛ばされる際、坂之上は言葉を残した。ルリリカにではない。ドリルが破壊され手ぶらになった、踊子へ。
「決めろ、お前のドリルで……!」
ルリリカには意味不明だった。だが次の瞬間には理解していた。ドリルが破壊されて尚、踊子の目が死んでいなかった理由も含めて。
――踊子の右手に、魔力で出来たドリルが生まれる。
それは彼女の特質系魔力。工房で坂之上に見せた、踊子の『戦えない理由』。
既に場は整った。ヘルシング教官が、エイジが、舞姫が、そして坂之上が、ここまで自分を連れて来てくれた。
刀傷はまだ再生していない。胸の隙間から僅かに見える小さな心臓。あとはそこに、魔力の塊であるドリルを、刺し込むだけ。
「……御機嫌よう、『岩盤』」
手の平を、ルリリカの心臓に押し当てる。
傷口から侵入したドリルは心臓を破壊し、ルリリカの全身にその魔力を流し込む。
「があああぁぁぁぁぁァァァァァァァァッッ!!!!!」
断末魔の悲鳴が夜空に響く。鉄血の甲冑が剥がれ、ルリリカの肉体が灰へと変わっていく。
勝てる……! 吸血鬼を完全に消滅させるため、踊子は更にドリルを押し込もうと――。
「――ッ! いかん! 『ミノタウロスの十字架』ッ!!」
坂之上は瞬時に、チェーンを伸ばし踊子の身体を捕まえる。
腰にチェーンが巻きつき、後方に引っ張られた踊子はワケが分からなかった。もう少しで倒せそうだったのに、何故。
その『理由』が――『危機』とも呼べる存在が、支部の中庭に降り立った。
粉塵を巻き上げ大地を割り、2秒前まで踊子が立っていた位置に墜落する。
それは金髪の少年だった。ルリリカの身長よりも更に低い、しかし紅い瞳を持った少年。
そんな少年は崩れ去るルリリカの身体を受け止め、彼女と口付けを交わした。
突然のことに坂之上達が驚く中、ルリリカの唇の端からは、赤い液体が零れる。
「何てことですの……!」
踊子は奥歯を噛み締める。もう少しで倒せそうだったから。違う。
せっかく追い詰めた吸血鬼が、乱入者の与えた血液によって一命を取り留めてしまったから。それも違う。
踊子が愕然とする思いに至っているのは、少年の正体を知っているからだった。
「『始まりの吸血鬼』……! 『第一真祖』!! 『ヴァン・ヴァルゴ・ヴラド』!!! どうしてココに……!」
金髪赤目の少年。その正体は、ルリリカと同じ十三真祖の一角。
だがヴラドは踊子達には目もくれず、死に体のルリリカを抱え、背中の両翼で空に舞う。
「一人で無茶をして……。まったく困った子だよ」
「……ヴ、ラド……公……ごめ……グレゴリーの仇……討てな、かっ……!」
うわ言のように謝るルリリカは、ついには気を失う。
そんな彼女の頭を撫でてから、第一真祖は穏やかに語りかける。
「……帰ろうルリリカ。皆心配している」
「待て……逃がすものか……!」
十字架を巨大化させる坂之上。このまま逃がすつもりはない。あと一歩のところまで、追い詰めたのだから。
「黙れ」
――そんな思いも、ヴラドの視線に貫かれ、全員が硬直する。
「……応急処置の血液だけじゃこの子は回復できない。すぐに帰って治療をしないと、ルリリカはこのまま死ぬ。今僕がキミ達と戦えばなるほど確かに、キミ達は真祖の一人を討伐できたことになる」
身動きも、言葉を発することも、呼吸もできない。今だかつてない圧力の正体が『恐怖』であると、理解するのには長い時間を要した。
「だがそうなったら、僕は今この場でキミ達全員を殺す」
脅迫ではなかった。「風が吹けば枯れ葉が舞う」と同じような。単なる、仮定される未来の事実を述べただけだった。
ヴラドは最後に坂之上に視線を向けてから、しかし何かを語ることもなく、東の空へと羽ばたいていった。
静寂が戻った魔導機甲支部には、大量の血と遺体と、冷や汗を流す生存者達だけが残された。
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