26 光明

「……は?」


 自らに立ち向かってくる吸血鬼ルリリカの言葉に、坂之上は呆けた。


 何だそれは?

 何を言っている?

 何故、そんな目をしている?


 ルリリカの瞳に宿った意志。それは坂之上も知っていた。絶望の中にあって輝く人間性。ルリリカのは、よく似ていた。

 坂之上がこの世界に来てから出会った、舞姫や三四郎、エイジやアリス、そして踊子やヘルシング教官といった――坂之上が大好きな人達と、同じ目をしていた。


「……ふざけるなよ」


 鉄血の甲冑で身を包み、疾風よりも速く飛び掛ってくる。人間離れした、まさに化け物の動き。

 ならば。怪物なら、吸血鬼ならば。そんな目をするな。仲間だとか弔いだとか、そういった感情は怪物には無いはずだ。


「人間をたくさん殺しておいて……!」


 奴らは血も涙もない異形。人類の敵。だから殺した。友の仇。憎むべき敵。だから坂之上はたくさん殺した。たくさんたくさん殺してきた。男も女も老人も赤子も区別なく、地球セカンドムーンで70億も殺し回ってきた。コイツらは化け物だから。


 それが、今更――。


「――ブチ殺す!! 吸血鬼ッ!!!」

「ブチ殺すわ、流血鬼ィィィィ!!!」


 復讐者と復讐者が、互いの殺意をぶつけ合う。

 もはや互いに後に退けなくなった、地球最後の生き残り達が。




***


 挑んだ者と逃げた者。どちらにせよ、ほぼ全ての人員がそれぞれの道を進んで行った、その後の支部内。

 正面ロビーは既に閑散とし、先程までの狂騒が嘘のように静かになっていた。

 そんな静寂の中で、踊子は未だ一人そこに立っていた。


『テメーにできる戦いをやれよ』


 エイジが残した言葉。それを何度も、頭の中で反芻する。


「ワタクシに、できる戦い……」


 分からない。どうすれば良いんですの?

 ドリルばかり作ってきた。性能に自信はある。ですが誰も使ってはくれない。戦おうにも、支部の娘としての立場がある。未来の魔導機甲兵団を支える大事なこの身。お父様は許してくれないでしょう。


 答えが出ないままそんな風に、立ち尽くしていると――。


「……あっ、あの! 川端さん!」


 不意に呼びかけられ、振り向く。いや、既に先程から何度も呼びかけられていたのかもしれない。


「夏目三四郎さん……」


 踊子の背後には、ドリルの右腕を取り付けた三四郎がいた。戦力にはならないからと、支部の中に残ったのだ。


 ――それも、全ては自分のせい。爆裂系魔力の保持者であるにも関わらず、切断形のドリルを押し付けてしまった。深い後悔と反省が、今更になって踊子の胸中にこみ上げてくる。

 きっと三四郎は、そんな自分を罵倒するのだろうと。どう詫びれば良いのか、そればかりを考えまた涙が滲んでくる思いだった。


 しかし――。


「この腕の使い方、教えて貰って良いかな……!? どうにも、起動した後に回転力を上げる方法が分からなくて……!」

「え……?」


 三四郎の言葉は、踊子にとって予想外のものだった。


「さっきは舞姫さんにアリスちゃんの傍にいてあげてって言われたけど……。戦力は少しでも必要だと思う。本当は炎の出せる魔導機甲なら良かったんだけど、今すぐは準備できないよね!? でも、この右腕でも出来ることはあると思う。魔力を注ぐことは出来ずとも、吸血鬼は倒せずとも、グールの頭部を破壊したりとか……!」


 三四郎は必死だった。早口で、焦って、恐怖しているのだろう。それでも尚、戦うと言う。自分に合わない腕を取り付けられ、それでも。

 そんな三四郎の姿に、踊子はただただ感嘆することしかできなかった。


「……お強いのですね、貴方は。……いえ。『貴方も』と言った方が正しいでしょうか」

「えっ……?」


 それは三四郎の期待した返答ではなかった。

 だが、踊子はもう決めた。目を拭い、前を見据える。その先は支部の正門。地獄の真っ只中。


「申し訳ありません夏目さん。ですが今は森さんが言っていた通り、非戦闘員の護衛に回って下さい。後日必ず、貴方に合った魔導機甲を開発します。世界最高の火炎を放つ右腕を作ると、お約束致しますわ」

「か、川端さん……!?」

「ワタクシはその『後日』を……! 明日を、未来を切り開きに行きますわ!!」


***


 支部正門を抜けた先にある、血塗れの中庭。

 そこでは既に、人外と人外じみた自称人間が、激しい応酬を繰り広げていた。


「パイル・バンカァァァァァッ!!!」


 坂之上の十字架が展開し、ハサミのようにルリリカの身体を捕らえる。そして太陽光の魔力が、彼女の心臓目掛けて杭のように撃ち出された。


「鉄血の甲冑!! 最大硬度ッ!!!」


 しかし。その魔力も、体内に注入されなければ意味がない。

 坂之上の奥義すらも、ルリリカの盾は防ぎ切る。心臓周辺に集めた岩盤のような血液が、太陽光の魔力を遮断する。

 そして集めたその血液を、今度は攻撃に転ずる。腹、腰、太もも、足首、そして爪先へと血は滴り落ち、その血液が蛇のように坂之上へ向かう。


「『ブラッド・ランス』」


 地を這う血液が、一気に槍のように形を変える。

 心臓を貫かんとするその血の柱を、坂之上は十字架の重量でへし折る。

 だが、槍は一本ではなかった。坂之上の死角、背後からも伸びていた。


「どルァ!!」


 背後から坂之上の心臓を狙った槍は、エイジのチェーンソーで叩き折られる。

 防御用の血液でないのならば、まだ通常の魔導機甲でも対処できるようだ。


「助かったエイジ」

「助けてねーよメガネ!」

「ケンカしないの!!」


 エイジを諌めながら、舞姫は炸裂する矢を放つ。

 それはルリリカの脳天に突き刺さる――ことはなく。頭部を覆う血液によって矢は防がれ、爆風すらもルリリカの髪の毛一本燃やすことなくかき消える。


「クッソ、このままじゃジリ貧だぞ……!」


 坂之上のミノタウロスの十字架すら効かない。あの『岩盤』を突破すれば勝てるのだろうが、その壁が分厚すぎる。

 増援に来た支部の兵士達も、どう対処すれば良いか分からず浮き足立っているようだ。ルリリカやその眷属によって生み出されたグールを討伐するので精一杯のようだった。

 これが訓練しかして来なかった者達の限界。結局は、本部崩壊の修羅場を生き残った舞姫やエイジしかマトモに動けない。

 しかし、そんな彼らすらも、ルリリカを攻略できない。攻略の糸口すら掴めない。


「はてさて、どうしたものかな……」


 この危機的状況で、あまり深刻そうに聞こえない呟きをする坂之上。

 そんな彼の態度が気に障ったのだろう。ルリリカは不愉快そうに、鋭い視線を向ける。


「……どうしてアンタはそうなのよ……」

「あァ?」


 全ての理不尽の塊。悲劇と不幸の体現。まるでこの世の巨悪を見つめるような目を、ルリリカはしていた。


「あれだけたくさん殺しておいて……! 70億も、人々をっ……! どうしてそんな平然としていられるの……!? 地球を紅く染め、進化を拒み! たった一人しか残らなかった旧人類のくせに、取り残されただけの殺戮者が!! 何でそうスカした顔して生きていられるのよ!!」


 ルリリカのその言葉を聞いて、真っ先に舞姫は思った。「まずい」と。そして恐る恐る、坂之上の方に視線を向けた。


 そこにいた坂之上はただ、目を瞑って静かに、立ち尽くしているだけだった。

 握り締めた左手を、小刻みに震わせながら。


「……『生きろ』って、言われたから……」

「はぁ……?」


 その声は小さすぎて、ルリリカの耳には届かなかった。

 たが、舞姫とエイジには辛うじて聞こえていた。そのあまりもか細く、消えそうで。怒られた子供が言い訳をするかのような、今にも泣き出しそうな震えるその声を。二人は聞いてしまった。


 しかし坂之上の見せたそんなは、ほんの一瞬だった。


「――だから何だって言うんだ?」

「は……」


 ルリリカは、呆気に取られた。


「俺がお前の言う通り、冷酷非道な殺戮者だとして。理不尽な巨悪だとして。全ての不利益な状況の根源だとして、だ。どうしろって言うんだ? 今すぐお前らにゴメンナサイして、この世界で生き残ってる全ての人間の命を差し出さなくっちゃあいけないのか? ……冗談だろ?」


 それは、開き直りだった。


「……もういいわ」


 再び全身を、鉄壁の血液で包む。紅いドレスが、月明かりに照らし出される。


「謝らなくて良い。償わなくて良いわ。ただ、死んで。もうどこの世界にも存在しないで。もう、その口を開かないで。お互い、永遠にサヨナラしましょうよ。流血鬼」

「お前らが全員土に還れば良いだけだろ。バァカがよぉ」


 もう、誰でもなかった。ヒーローのようだった芥川君ですら言わないことを。坂之上自身の言葉でもなく。道理も正義も何もない、本当にただの殺戮者のような口ぶりで。そんな風に、なってしまっていた。

 それでも少年は十字架を振り上げ、吸血鬼に立ち向かう。


 そんな坂之上の姿を、舞姫はもう直視することすら出来なかった。

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