9 ブラム・ヘルシング

「ヘルシング家の三男坊じゃないさ! こんな所で出会うなんて奇遇さねぇ。今日は色々と、運命的なものを強く感じちゃうさ」

「ちっ……!」


 殴殺蓮華に親しげに名を呼ばれた男は、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。そしてすぐさま負傷した訓練兵達を庇い、銃のような武器を殺人鬼達に向ける。

 しかし斬殺水仙もまた、振るえば神速にすら達する太刀を人間達に向ける。


「オイオイおっさん。『ヘルシング家』って言えば、セカンドムーン登場以前から化け物と戦ってきた一族だ。腕には覚えがあるんだろうな。でもアンタのその『ネイルガン』で俺を殺しきる前に、後ろのガキ共を何人犠牲にする気だ?」

「ッ……!」


 斬殺鬼の言いたいことは、白衣の男性が誰よりも理解していた。

 彼の魔導機甲――釘打機ネイルガンは、高速で釘を撃ち出すことで化け物の体表に傷を付け、そこに魔力を流し込む。

 しかしこの状況。既に刀剣の間合いに入ってしまっている立ち位置で、銃使いがどれほど戦えるというのか。加えて彼の背後には、約30人の訓練兵がいる。斬殺水仙は銃使いと戦いながらでも、動けない怪我人達を次々と斬り殺していくだろう。

 それを理解しているからこそ、白衣の男はネイルガンを下ろした。血が滲むほど、下唇を噛み締めながら。


「賢い先生で良かったなぁボーイズ&ガールズ。お前らの寿命が、ちょっとだけ延びたぜ」


 水仙はヘラヘラと笑いながら、それでも日本刀は鞘に納めない。圧倒的優位であることを、そして圧倒的絶望をもたらす側の存在であることを示すように。


 負傷した訓練兵達は悲鳴を上げることもできず、ただ床やベッドの上で恐怖に震えるばかりであった。立ち向かうことも泣くことも、発狂することすら許されない。勝手な行動をして殺人鬼の機嫌を損ねれば、皆殺しにされることは明白だからだ。


 そんな彼らへ追い討ちをかけるように、2体目の殺人鬼――殴殺蓮華が、壊れた外壁から入室してくる。

 蓮華は室内にいる人間達をぐるりと見回し、そして白衣の男を捉えると、旧友に再会した時のような笑みを浮かべた。しかしそれは、蓮華以外にとっては忌避すべき再会でもあった。


「……スイセン君。ボクは今、とても面白い企画を思いついたさ。乗ってくれるさね?」

「どーせ後輩の俺には拒否権なんてないんでしょ? ……ま、どんな内容であれ、人殺しができるならノリノリで参加しますけどね……!」


 そして、絶望の『ごっこ遊び』が開催された。


***


 白衣の教官は満員超過の医務室で、舞姫の右腕の具合を確認する。


「……怪我は大丈夫みたいだな、森」

「はい、応急手当はしてもらいましたから……」

「……そうか。なぁ、森……」


 聞きにくい質問を彼が口に出す前に、舞姫は返答した。


「ブラム・ヘルシング教官に報告致します。本日午前8時に本部を出立した第11真祖討伐隊は、同日11時頃に壊滅しました。生存者は……私一人です」


「……分かった。……お前だけでも、無事で良かった」


 包帯を巻き替え、白衣のブラム・ヘルシング教官は立ち上がる。全てに納得したような、あるいはというような表情を浮かべて。


 舞姫も一つのことを得心していた。

 雪山で吸血鬼グレゴリー・ピスケス・リッチモンドと交戦していた時。どれほど魔導機甲兵団本部に救援要請をしても、受信すらできていないようだった。それは当然だ。何故なら、救援を出すはずの本部が、既に壊滅していたのだから。


 討伐隊の帰りに望みをかけていた三四郎やエイジも、滑稽なものだ。とっくに壊滅した部隊の存在を信じて、帰って来るまで必死に戦ってみせようなど。そういう意味では、この状況はある意味、好転したと言っても良いのかもしれない。


 しかし少なからず安堵しているのは、彼らだけだった。壁に背をもたれ、床に座る舞姫、エイジ、三四郎、そして坂之上雲。この4人以外にとってみれば、過ぎ去ったはずの災厄殺人鬼が舞い戻ってきただけなのだから。


「……また森だけ生き残ったのかよ……」

「ちょっと、やめなよ……!」

「でも事実だろ……!」

「『死神』だもの……。アタシ達も、きっとここで死ぬんだわ……」


 部屋のあちこちから、不穏な会話が小さく聞こえてくる。

 絶望、苛立ち、諦め。

 それらの感情の一部が何故か、舞姫に向かっているようだった。


 それを不思議に思った坂之上は、隣に座る舞姫を見た。

 しかし、彼女の顔に。陰口を言われて落ち込むことも、怒ることもなく。ただただ、『何も無かった』。それはある意味、彼女への風評を払拭するよりも過酷なことであった。


 そんな雰囲気を断ち切ったのは。殴殺蓮華が両手を合わせ、空気を破裂させた音だった。


「ハイハーイ。みんな注目さー。これからルール説明するさよー」


 気楽な声と拍手、そしておどけた表情。しかし彼こそが、この場にいる全員の命を握っている。生殺与奪も、殴殺蓮華の思うがまま。


「これからボクとみんなで、『鬼ごっこ』をするんさ。鬼役はもちろんボクさね」

「って、アンタはまんま鬼じゃないっすかセンパーイ!」


 無音。

 道化を演じる殺人鬼には、恐怖しか抱けない。


「……今の笑うところさよ?  まぁ良いや。でもケガしている皆には、逃げたり隠れたりは大変さ。そこで優しい優しいボクは『代理』を立てることにしたさ」


 蓮華の視線が、坂之上達に向けられる。舞姫も三四郎もエイジも直視できず顔を逸らしたが、坂之上だけは真っ向から睨みつけていた。


「ここにいる坂之上雲クン、森舞姫ちゃん、夏目三四郎クン、重松エイジクンがボクから逃げる役割さ。無事に『時間内』に逃げ切れたら、この場の全員を解放すると約束するさ。ゼッタイに危害は加えないさ。信用できない? んさよ」

「あれあれレンゲセンパーイ? でもその『時間内』って、何時間のことですかー?」

「それは『魔導機甲兵団』が戻ってくるまでの時間さスイセン君。皆大好きブラム・ヘルシング先生に今から、撤退した部隊に『安全は確保された』と通信をしてもらうさ。そして彼らが皆を救助しに来たら、ゲーム終了さ」


 要するに、これは『ヒマ潰し』でしかない。

 負傷した訓練兵達を人質に取り、撤退した部隊に偽の連絡を入れる。そして万全の状態で到着した軍隊に、殺人鬼達は殺戮を開始する。

 その代わり、この場の負傷者達の安全は確約すると言うではないか。鬼は人間と違い、嘘を付いたりはしない。

 しかしそれでも、遅かれ早かれ誰かが死ぬことになるのは変わりない。


「でもセンパイ? 鬼ごっこで逃げる連中が途中で捕まったら、どうするんですか?」

「え? そりゃあ、殺すさ」


 舞姫達に緊張が走る。おちゃらけた口調の中から、明確な殺意が伝わってくる。


「逃げる4人の誰かが捕まったら、殺してこの部屋に持ってくるさ。坂之上君達は代行だから、一人死ぬたびにこの部屋の誰かが、スイセン君によって斬り殺されまーす」


 一人捕まって殺されれば、負傷者の一人が殺される。一度の捕獲で、二人の人命が奪われることになる計算だ。


「4人全員が捕まったらゲームオーバー。生き残ってるキミ達も全員殺すさ。……説明はこんなもんさね。何か質問ある人~?」


 『鬼ごっこ』で4人の誰かが捕まれば、捕まった本人と医務室の誰かが死ぬ。

 4人全員が捕まれば、即座に全滅。

 仮に逃げ切ったとしても、偽報を聞いて戻ってきた兵団の人々が死ぬ。


 どう転んでも、惨劇の未来しか訪れない。しかし抗うことすらできない。無力な自分達には、最悪の未来を変えることなどできはしない。


 この場でのは、坂之上雲ただ一人だけだった。

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