10 リアル鬼と鬼ごっこ
そして、ゲーム開始の時間が近付く。
指名された4人が部屋を出た瞬間から、殴殺蓮華のカウントダウンが始まる。100数え終わったら、殺人鬼は逃げる坂之上達を追いかけ始めるのだ。
既に舞姫、三四郎、エイジは医務室から出ている。残すは坂之上だけ。
不安そうな顔を浮かべる三人を余所に、彼は大股で一歩踏み出そうと――。
「――ちょっと待て」
退室する瞬間に坂之上の左手を掴んだのは、白衣のブラム・ヘルシングだった。
「……お前は魔導機甲兵団の人間じゃねぇ。本来なら無関係だ。巻き込まれてリスクを負うことはない。今からでも
ヘルシング教官なりに、坂之上の身を心配しているのだろう。『決死の覚悟を決めた兵士』でもない人間を巻き添えにして殺してしまったら、責任問題どころではない。
だが坂之上は不敵に笑い、掴まれた腕を静かに引いた。
「問題はないです。貴方はここで彼らの傷を癒し、救援の兵士達を呼んで下さい。なぁに大丈夫、森さん達は俺が守りますから」
そう言って坂之上は反論を待たず、部屋から出て行った。
身の危険を案ずる大人に、『守ってやる』と言い放つ度胸。その傲岸不遜とも言える態度に、ヘルシング教官も呆気に取られてしまった。
「それじゃあ、ゲームスタートさ!」
かくして、命を懸けた鬼ごっこが開始された。
***
魔導機甲兵団本部は既に崩壊した。
現在彼らがいるのは、第二医務室などを有する本部別塔。数百年前にこの城を建築した貴族が、遠方の景色を楽しんだり書や音楽に興じたり、あるいは怒れる妻から避難する『離れ』の意味合いが強かった。
そのため五階建ての石作りの塔は部屋数も少なく、シンプルな円柱型をしていた。
そんな別塔の三階、現在は第六作戦会議室として使われている……使われていた部屋に、逃亡者達4名は隠れていた。
部屋名の通り、作戦を立てるため。
「始まっちまったな……」
眼光鋭い重松エイジは己の
「捕まったら即アウト。でも逃げ続けても、駆けつけた正規兵の軍団が襲われる。……退くも進むもできないわね」
黒髪の森舞姫は、武器庫から調達してきた爆裂矢を数えつつ、冷静に状況を再確認する。
バラバラに逃げることを良しとせず、一旦集合して作戦会議しようと提案したのも彼女だ。吸血鬼との死闘を経て、誰よりも肝が座ったのだろう。
「ど、どうしよう……! 逃げるにしたってこの広くない塔の中じゃ、すぐに見つかって捕まっちゃうよ……!」
不安げな夏目三四郎は、機械の右腕を左手で強く握りながら弱音を吐く。その身体は小刻みに震え、今にも泣き出してしまいそうだ。
「――なら、逃げなければ良い」
全員の視線が、一人に集まる。
注目を集めた素敵眼鏡に赤マフラーのその男は、坂之上雲は、冗談でもなく『本気の言葉』だけを口から出す。
「逃げてもダメ。逃げ切ってもダメ。なら、問題の根幹となっている原因を取り除けば良いだけだ」
三四郎もエイジも、言葉の真意を測りかねているようだった。
ただ舞姫だけは、少しばかりこの男のことを知っている彼女は、呆れつつも言葉の意味を理解していた。
「……殺人鬼を逆に仕留めるのね」
「ハァ……!? 何バカなこと言ってやがんだ素人が! いいか、殺人鬼1体を殺すのに正規兵15人は必要なのが常識の中で、アイツらはこの本部に乗り込んできて3ケタは殺した! そんな連中を、俺ら4人だけで仕留めるってか……!」
「エ、エイジ君落ち着いて……!」
今にも坂之上に掴みかかっていきそうなエイジを、三四郎が必死に喰い止める。
しかしエイジの怒りは治まらず、坂之上もまたエイジの目を見据え続けるのを止めない。
「さっきは失敗したが、大量の魔力を流し込んでやれば良いだけだろう? 少し傷を付けることができれば、撃破は可能だ」
「兵士でもねぇテメエが、勝手なことを抜かすんじゃねぇ! 『あの』殴殺蓮華に傷を付ける!? それができりゃ、俺達はこんなに仲間を失わずに済んでるんだよ……!」
「じゃあどうする。他に方法があるなら言ってみろ魔導機甲兵。この状況を打破する、最善の方法があるなら」
「そ、れは……!」
「……お前はどうなんだ夏目三四郎」
「ぼ、僕……!?」
唐突に話を振られた三四郎の肩が跳ね上がる。坂之上とエイジの目線が痛い。何を言っても、どちらかに怒られてしまいそうだ。
だが率直に、三四郎は思っていることを吐き出すことにした。震えながら、恐る恐る、しかし確かな声で。
「……正直、怖いよ。殺人鬼を僕達だけで倒すなんて、ムリだと思う」
「ほら……!」
「……でも」
賛同を得たと思ったエイジの動きが、止まる。
三四郎の話はまだ、終わってない。
「でっ、でも……万に一つ、何かの間違いがあって……。殺人鬼を倒して皆を助けることができるなら……僕はその可能性に命を賭けたい」
「三四郎、お前……」
それは、エイジ自身が三四郎に向かって口にした覚悟だった。
舞姫より背も小さい、少年から抜け出せていないような三四郎の決意を見て、坂之上は口角を吊り上げた。そして表情を和らげたのは、舞姫も同じことだった。
「……これで賛成派は三人みたいね」
「ねぇエイジ君。僕としてみない? 僕と、坂之上君と、舞姫さんと……。最高に分の悪い賭けを」
無理に歯を見せて笑おうとする。誰よりも逃げ出したいはずなのに、誰よりも戦いたくないと思っているはずなのに。
それでも青ざめた顔に不格好な笑みを浮かべる三四郎を見て、エイジはもう細かいことを言うのを止めた。
そしてエイジもまた、冷汗を流して笑ってみせる。
「……ったく。俺以上の不良になりやがってよ三四郎……! 良いぜ、乗ってやるよ! 俺の命も全額ブチ込んでやる! 負けたら全員仲良く地獄行きだ……!」
坂之上は、声を出してしまいそうになるのを抑えるのに必死だった。腹の底から声を出して笑いたい。しかしそれでは居場所がバレてしまう。
それでも。昂ぶらずにはいられなかった。
生命の危機にあって、絶対的な絶望を前にして、それでも足掻くことを選択した少年少女を目撃して。拍手喝采呵々大笑の想いが溢れていた。
――そんな彼らに近づく、『絶望』の声。
「蓮華の花がー咲きまして~♪ 彼岸の彼方に吹っき飛っぶ頭部♪ 愛しいあの娘は焼き殺されて♪ 明日は誰をー差~し~出~しましょう~♪」
悪趣味な童謡を唄いながら、足音を鳴らす『鬼役』の殴殺蓮華。既に100秒は数え終わり、三階にまで到達したようだ。
坂之上達全員の気が張り詰める。会敵するか、見つからずにスルーされるか。一旦逃げるか、先制で奇襲するか。戦いの選択肢が、瞬時に眼前に表示された気分だった。
「……それにしても古臭い塔さねー。こんなカビ臭い所は、都会派殺人鬼のボクには似合わないさ。さっさと見つけて、さっさと殴り殺したいさねぇ……」
『お風呂にでも入りたい』と言う時のようなまま。日常化した殺意を口にするバケモノ。
壁を隔てて距離もまだ離れているというのに、その殺意だけで全身が泡立つようだった。
「……まずは屋上にでも行ってみるさね。新鮮な空気を吸ってから、シラミ潰しに探すとするさ」
そして殴殺鬼はそのまま、三階を捜索することなく階段を上がっていった。
その様子を隠れながら確認した三四郎は、押しとどめていた長い息を吐いた。
「た、助かった……。殺人鬼は上に行ったよ」
「これで少しは時間が稼げるな……」
「今のうちに、どうやってあの殴殺蓮華を倒すか考えましょう」
「……それなら、俺に考えがある」
またしても口を開く坂之上。殺人鬼の撃破を提案したのだから、ある程度のプランは考えていたのだろう。そうでなければ困る。
他の三人が興味深げにその話を聞こうとした、その瞬間――。
「ッ……!?」
――轟音と共に、別塔の全体が激しく揺れる。
地震? 爆発? 違う。これは――。
「……オイオイ蓮華センパーイ……。本当、アンタって人は……」
悲鳴と動揺が響く医務室から出て、外の様子を確認した斬殺水仙は苦笑いを浮かべていた。
周囲に広がる『ガレキ』。そして上方から聞こえてくる、先輩殺人鬼の高笑い。
「さぁ人間さん達! 鬼さんが今から、壊して見つけて殺しに行くさ!!」
屋上を破壊した殴殺蓮華は、高らかな宣言と共に階下を目指す。
次は五階部分。壁も床も天井も全て剥がして、『シラミ潰し』に探して行く。
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