25 不倶戴天の敵
最強の盾でその身を武装したルリリカが、ヘルシング教官に襲いかかる。
咄嗟に足裏に隠した防御術式を発動させるも、その結界を維持できたのは数秒だけだった。
ルリリカは吸血鬼の膂力で浄化の結界を強引に突破し、しかし鉄血の甲冑によって拳や腕が焼き切られるのを防ぎつつ、教官の脇腹を殴りつけた。
「がァ……っ!」
か細い少女がパンチした威力ではない。車が正面衝突してきたようなものだ。
喀血と激痛、内臓へのダメージと肋骨が折れるのを認識しながら、ヘルシング教官の身は大地へと転がった。
攻撃の全てが速く、重く、硬い。三拍子揃った化け物を前にして、人類がここまで追い詰められた由縁を身体で理解した。
今まで戦ってきた『この世界の吸血鬼』、在来種とは何もかもが違う。当然だ。
在来種を全て駆逐し、この世界を闇に包んだ外来種。それが十三真祖。
その中でも格別の硬度を持つルリリカを、ヘルシング教官単騎で倒せるはずがない。最初から、ムリな戦いだったのだ。
「……こちとら、有史以前から同種族同士で殺し合ってきた『人類』なのよ。その人類が進化して今の吸血鬼になった。人間の壊し方なら、殺す技術なら、アンタらよりも遥かに知ってる。……大人しく降伏なさい。血液を提供する家畜としてなら、アンタ達が生き残る道もあるでしょ」
その言葉を聞いて、ヘルシング教官は――笑みを浮かべた。
「……ハッ、ハハ……」
「……とうとう気でも触れたかしら」
「いや……。ただ、一個確信したんだよ。そうだよな、そうだもんなァ……」
「確信……?」
芋虫のように這い蹲りながら、それでもヘルシング教官は、眼前の怪物を見上げる。一つの『可能性』を認識しながら。
「さっきは『人類が滅ぶ』と思った。誰もお前の装甲を討ち破ることができないなら、人類に勝利はないってな。だが違う。何故ならお前達も、人類を絶滅させることはできないからだ。……人間の血液がなきゃお前達は存続できない。人類は確かに負けるかもしれねぇ。100年200年と家畜になるかもしれねぇな。だが『勝ちの目』は残る。1000年かかっても、人類が生き残りさえすれば、逆転の可能性が必ず残る……!」
「減らず口を……!」
不愉快な言葉を垂れ流すヘルシング教官を黙らせるため、ルリリカは拳を振り上げる。ハンマーのようなその攻撃で、頭部を叩き潰すため。
死を覚悟したヘルシング教官は自らに迫るその紅い拳を、『人類の勝利』を夢見つつ真っ直ぐに捉えていた。
――しかし。彼にもたらされたのは、死の暗黒ではなかった。
次の瞬間、炸裂の赤と爆煙の黒が眼前に広がる。
「ッ!?」
ルリリカも教官も、ほぼ同時に驚いた。不意の攻撃。炸裂する矢の一撃。これは――。
「今よエイジ!!」
「オッラァ!!!」
黒煙の中から、チェーンソーを握り締めた重松エイジが飛びかかる。
回転するチェーンソーの刃を、ルリリカは小鹿のような腕で受け止めた。
当然、折れることも切断されることもない。チェーンソーはただガリガリと、刃こぼれしながら火花を撒き散らすだけ。
「なんだコイツ、かってぇ……!」
全力を込めて斬りつけたのに、切れ込み一つ入らない。
先程の森舞姫の弓矢も、ダメージにはなっていない。目くらましに成功した程度だ。
あまりにも硬すぎる武装血液に、エイジは動揺を隠せなかった。
「ダメだ重松! ソイツには並みの魔導機甲じゃ効果がない! 森を連れて逃げろ!」
ムリに声を張り上げたせいか、ヘルシング教官は再び血を吐き出す。
「先生、叫んだら……!」
舞姫に抱えられながらも、ヘルシング教官はうわ言のように「逃げろ」と繰り返す。
混乱の中で駆けつけたエイジや舞姫の勇気は賞賛に値する。しかし現状、どうやってもルリリカの攻略は不可能。刺激すればかえって、寿命を縮めることになる。
教え子の危機を前に、とにかくヘルシング教官は離脱の道を模索していた。
「次から次へと……。アンタみたいなモブに用はないのよ。いいからさっさと、流血鬼を出しなさいよ! 全員ブチ殺すわよ!!」
気の長い方ではないルリリカが、エイジのチェーンソーを押し返す。
そしてガラ空きになった腹部目掛け、槍状に変化させた血液を足元から伸ばした。
「やべッ……!」
体勢を戻せない。重量のある魔導機甲では、槍を防げない。ならば斬殺水仙の日本刀で防ぐ――のも、間に合わない……!
「『
ルリリカの槍を、光る槍が地中から跳ね上げる。
ルリリカとエイジの間に割って入った、一本の眩い刀槍。
その光を見てルリリカは顔を歪め、エイジは舌打ちをし、舞姫は笑みを溢す。
この緊急時であってもゆっくり歩いてくる、黒い学ランの男。
ステキなメガネをその顔にかけ、太陽光を放つ巨大な十字架を、肩に抱えて歩を進める。
「お・ま・た・せ」
化け物を殺す化け物。極夜の国の流血鬼。地獄にあって、笑う男。
不死なる者に死を与える坂之上雲が、ようやく戦場に現れた。
「坂之上君……っ!」
「おせーんだよクソメガネぇ! 何チンタラしてやがった!」
「風呂入ってたら遅くなった。ちゃんと髪を乾かさないとこの季節、風邪をひいてしまうからな。しかし随分とお祭り騒ぎだな。ヘルシング先生も年甲斐なく、血を吐くまでハシャいでしまうとは、いやはやまったく――」
「――流血鬼ィィィィイイイッ!!!」
エイジへの興味を無くしたルリリカが、一直線に坂之上に迫り来る。最高スピードと全力の腕力、そして最硬度の拳で、坂之上の頭部を狙う。
今までどこか余裕めいて、他者を小馬鹿にした態度を崩さなかったルリリカが、ここへ来て初めて激情を見せた。
そんな彼女と相反するように、坂之上はクールな顔のまま、十字架でルリリカの拳を受け止めた。衝撃の余波で身体がビリビリと震え、坂之上の周囲の大地が割れる。常人がマトモに喰らったら、どんな盾を持っていても粉砕されていただろう。
「殺す……ッ! アンタだけは!!」
「ウルセェよヤブ蚊風情が。耳元でプンプン喚くな。叩き潰すぞ」
拳を押し退けすぐさま、坂之上は躊躇いなく、人間大の十字架を少女の脳天に振り下ろした。見た目など関係ない。少女だろうが老人だろうが赤子だろうが、相手が化け物なら坂之上は変わらずこの攻撃を選択する。
だが、ルリリカの頭部がトマトのように粉砕されることはなかった。回避もせず甘んじて十字架を受け止め、一瞬の動揺を見せた坂之上に両の拳を突き出す。
咄嗟に坂之上はバックステップで避け、距離を取る。しかし十字架を握る手から伝わるジンジンと痺れるような感覚に、密かに舌を巻いた。
「大した硬さだ。グレゴリーとは比べ物にならんな」
その言葉に、ルリリカの瞳は揺れる。
「じゃあ、やっぱり……。グレゴリーは……」
そこかと思った坂之上は、できる限りの悪役めいた笑みを浮かべる。精神の弱い部分を押して、少しでも優位に立つため。
「あァそうだ。お前の仲間は、第11真祖は俺が殺した。グレゴリー・ピスケス・リッチモンドは俺が殺した。ブッ殺してやった。心臓を太陽の杭で貫き、灰に還してやった。お前も今からそうしてやる。お前が殺した人間達に詫びながら、惨めに死んでいけ……!」
「……そう」
グレゴリーの末路を聞いたルリリカは、だらんと両腕を垂らした。
「……?」
おかしい。坂之上は瞬時に感じた。
ルリリカは悲しみも怒りも見せなかった。いや、心の奥では思っているのかもしれない。
だが、先程のように激情を見せて喚き散らすことはしなかった。ただ、静かに――『覚悟』をその瞳に宿した。
「……正直言ってグレゴリーのことは苦手だったわ。『吸血鬼の誇り』がどうとか言って、ステレオタイプなヴァンパイアスタイルを押し付けてくるし。何で全員がお揃いのマント着なきゃいけないのよ。仲良しクラブじゃないのよ、アタシ達」
過去を、想起しているようだった。淡々と呟かれるその言葉からは、懐かしむ口調には、少しばかりの寂寥が込められていた。
「でもね、アイツのおかげでアタシ達には『自覚』が生まれた。人間から吸血鬼になってどうすれば良いか正直混乱していたアタシ達の心に、『指標』を示してくれた。グレゴリーの言葉はいつだってウザくて演技臭くて、でも確かに、誇りに満ちていた……! 吸血鬼としての、尊厳に!」
坂之上を見据える、ルリリカの真紅の瞳。
そこには幼稚な怒りも悲しみもなく、ただ一つの『誇り』だけが満ちていた。
「第七真祖、ルリリカ・カプリコン・バートリー。吸血鬼の誇りにかけて、アタシは流血鬼を倒す。……ねぇ、グレゴリー……今だけ、アンタの神に祈らせて……! 死して尚、決して砕かれない想いがあるのなら! アタシという存在をかけて、証明してみせる!! アタシ達が、進化した人類が、吸血鬼が進むべき道は、まだ閉ざされていないはずよ!!!」
誇りを託され、ルリリカは未来へ進む。流血鬼・坂之上雲という障壁を乗り越え、夜の世界に生きるため。
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