23 ヴァンパイアハンター
警報が鳴ってすぐさま、支部の中は混乱と狂騒に包まれた。
パニックになるのも無理はない。殺人鬼・殴殺蓮華と斬殺水仙によって兵団本部が崩壊させられたばかりのこのタイミングで。本部より命からがら退避してきた者達が、まだその傷を癒しきっていないタイミングだというのに。吸血鬼は攻めてきたのだから。
だがトラウマを抱えようと彼らは兵士。人類の希望。休息から叩き起こされた者達は既に、迎撃隊を組織し支部の正門へ急行していた。
「警備部の報告によると、敵の数は3! 真祖一体及び、その眷属二体!」
「吸血されないようにしながら包囲すれば、支部内の戦力でも殲滅可能だ! 急げ! 先遣の警備部隊に加勢する!!」
せわしなく現状確認と報告を重ねながら、迎撃隊の魔導機甲兵達は現場に向かう。
それぞれが手に持った武器にエンジンを灯し、闇夜の静寂を打ち破る。恐怖を胸に、しかし生存への気概を手放さず。訓練の成果を見せる時は今ぞと、士気も充分だった。
充分だった、はずだった。
「……ぅ、ぁ……」
「……!?」
全員の足が止まる。声とも言えない音が喉から漏れる。起動している魔導機甲を、落としそうになった。
迎撃隊の彼らが見たのは、血の海だった。比喩でも何でもない。文字通り、大量の血液が支部内の敷地の芝生に溜まっている。
そしてその中心で、二体の吸血鬼が『元同僚達』の血肉を喰らっている。先遣隊は、既に全滅していた。
「三島、さん……。どうし、て……」
門番からの報告を受けて一番に駆けつけた増援部隊。詰め所に待機していた警備部の彼らこそが先遣隊となり、そして、真っ先に犠牲になった者達だ。他でもない、報告をくれた『門番』達の手によって。
同部隊所属の三島金閣とその後輩の女兵士は、顔馴染みにすら一切の慈悲を見せることなく、皆殺しにしてみせた。
そして次に、この地獄を呆然と見ている迎撃隊に牙を向ける。
「ひっ……」
誰の悲鳴だったかは分からない。そしてそれが、最後の言葉になったのかすらも。
数十人の喉笛が一瞬にして斬り裂かれる。そこから吹き出た鮮血が、吸血鬼の眷属となった三島金閣の白い軍服を真っ赤に染める。
温かで粘性のある血液を、三島は恍惚な表情と共に全身で味わう。
そんな彼の背中へ、同じく人外と成り果てた後輩が語りかける。
「ちょっと先パ~イ。私の分も残しておいて下さいよ~」
「お前はルリリカ様の命に従い、『流血鬼』とやらを探せ。俺はここで派手に暴れて、向こうから出てくるのを待つ。二人で殺しまくるより、そっちの方が効率が良い」
「とか何とか言って~。自分だけ楽しみたいだけでしょ~」
返答の代わりに口角を釣り上げ、『生前』の性格では想像すら付かないほどの満面の笑みを浮かべる三島。
人間をやめたことで、彼本来の表情を見せてくれるようになった先輩を見て、後輩の女兵士もニヤニヤとした悦びを顔に現している。
「仕方ないな……。じゃあ、二人で支部の連中を皆殺しにするか」
「キャー先輩ステキ~。惚れちゃいますよホント~。今夜は寝かせませんよ~!」
――そんな吸血鬼二体の脳天に、魔力を込めた釘が撃ち込まれる。
「うるせぇ寝てろ」
三島と後輩は瞬時に理解した。人外の解放感に酔いしれ、遊び過ぎたことを。派手にやり過ぎたことを。
そして、眠れる狼を呼び寄せてしまったことを。
「『エル・ウル・マビレス。ジャベルバッド・ホリラ・ジャベリン』」
二丁の
「……安らかにな」
呆気なく灰へと還った三島金閣とその後輩。
血濡れの軍服だけを残して浄化された彼らを想い、白衣のブラム・ヘルシング教官は眉間に深いシワを刻んでいた。
遅かれ早かれ、こうなる可能性が高いことは全ての兵士が覚悟している。しかしいざ成り果ててしまうと、そしてそれを処分しなければならないとなると、どれほど場慣れしていようとも簡単に割り切ることはできない。
「……やっぱり現地調達の即席じゃあ役に立たないわね。ま、でもこれだけ血の臭いを撒き散らせば充分かしらね」
沈痛な面持ちを浮かべるヘルシング教官に対して、場に似つかわしくない軽快な声が響く。
青いツインテールの少女が。この地獄において異様とも思えるほどの可愛らしいゴスロリ服を身に着けた少女が、血溜まりの中を歩いてくる。
「『流血鬼』はどこかしら。あんまり面倒をかけさせないでよね。アンタもコイツらみたいになりたくないでしょ?」
それは灰になった者のことか、あるいは肉の塊となってしまった者達を指しての言葉か。
どちらでも良い。ヘルシング教官は一人の兵士として、ネイルガンの銃口を吸血鬼に向ける。
「……お前達の目的は流血鬼か。ソイツを差し出せば、もうこれ以上の殺戮は行わないと誓えるのか?」
心当たりは一人しかいない。坂之上雲のことだろう。本部で殺人鬼達からの襲撃に遭った時、奴らは坂之上のことを『アルカルド』と呼んでいた。
身元も経歴も不明な、軍服や魔導機甲の装着を拒否する怪しい少年。判断材料は充分過ぎた。この災厄を招いたのが坂之上なら、その始末を付けるのも彼の責任だろう。
「人間の分際で、取り引きしようっての? ……まぁでも良いわ。用があるのは流血鬼だけだし。今ここで死ぬか、後で他の化け物達に殺されるかの違いしかないもの。居場所を教えるなら、今は生かしてあげるわよ」
坂之上一人を差し出すことで、この状況が解決するなら。それに勝る好条件はないだろう。まさに千載一遇。この取り引きを成立させない手はない。
――だからこそ、ヘルシング教官はネイルガンの照準をルリリカの脳天に合わせる。
「だが悪いがアイツはもう既に兵団に所属した兵士だ。そして俺はアイツの先生だ。仲間や教え子を売るような奴が、魔導機甲を握る資格はない」
交渉は、決裂した。元より取り引きなどする気はなかったのだ。
「……正気かしら? このアタシと戦ろうっての? そんなに死にた――」
返答を待たず、銃口より無数の釘が連射される。
ルリリカは吸血鬼としての移動スピードを発揮し、回避してから距離を詰める。
そして全力の殺意を込め、その鋭い爪でヘルシング教官の心臓を狙う。
不敬の輩め。命知らずな愚者目掛けて。目にも止まらぬ速度で、白衣を朱に染めようと――。
「『三十護符結界』」
ヘルシング教官まであと数センチという距離で、ルリリカの右手が後方に弾き飛ばされる。
半透明の光る壁が突如出現し、二人の間を遮断した。見れば、ヘルシング教官の足元が光り輝き、一瞬蹴り上げたように見えたその靴裏には、複雑な紋様が描かれた符が貼り付けられていた。
「防御用の術式を、靴底に隠して……!」
初撃で仕留めることができなかったのは、ルリリカにとって久しい出来事だった。このヘルシングという男は、間違いなく戦い慣れしている。
認識を改めつつ距離を取る。しかしそれは、『銃士』の間合いだった。
着地したばかりのルリリカの足に、ネイルガンが撃ち込まれる。魔力を込めた釘達は太ももや足首に突き刺さり、ルリリカの機動力を奪う。
「こんなもの――ッ!」
しかしルリリカの反応も早かった。即座に鋭い爪で両足を切断し、欠損した部位を回復させようとする。動かない足を引き摺るより、こうして新しい足を生やした方が早いと判断したからだった。
「遅ぇよ」
そんなヒマを与える、『ヘルシング家』ではない。
「『ライト・リング』」
白衣の裏に隠していた、鉛筆程度の大きさを持つ鉄棒を数本、ルリリカに投擲する。
それらは空中で輝いてからグニャリと形を変え、ルリリカの首や手足、腰や生えてきた足首に巻きついて輪状と成った。
「拘束、術式……!?」
身動きできなくなったルリリカに向かって、ようやくヘルシング教官は長い息を吐く。
「……こちとら、有史以前から人知れず化け物共と戦ってきた一族だ。テメェらのせいでご先祖様達の隠蔽努力は全部水の泡になっちまったが……。彼らが遺してくれた技術は、テメェらにもまだ通用する」
セカンドムーンが登場してから約一年。それから闇の存在を認識し、訓練しようと戦力には程遠い。
しかし。太古より戦ってきた彼らは違う。川端家と並ぶ化け物狩りの名家。特に
「……それが何だって言うのよ! どれほどアタシの動きを止めようと、アンタのその短小な針じゃ、アタシを殺し切ることは――」
その時。ルリリカは再び、認識を改めざるを得なかった。
ヘルシング教官の持つ釘撃機。それは、そもそも魔導機甲ではなかった。当然だ。むしろ、何故今まで気にも留めなかったのか。
魔導機甲は魔術と機械の力を用いる兵器。しかし彼のネイルガンには、燃料を点火させ動力とする機構は搭載されていない。ならば、その正体は。
「ったく……。こちとら化け物退治に嫌気が差して、医者の道に進んだってのに……。またこんな所で、吸血鬼を狩ることになるとは……。逃れられない、宿命ってやつかね」
ネイルガンが、巨大化する。
持ち主の魔力に呼応して巨大化する、旧時代のマジック・アイテム。坂之上雲のミノタウロスの十字架にも似たその武器は、長い歴史の中で研鑽されてきた人類の牙。
ヘルシング教官の身長すら越えて。地面に設置されたその巨大な二丁の釘撃機は、もはや釘や杭を撃ち出す機械どころではなく――。
「『
城砦すら打ち破る、二連の退魔槍。
射出の衝撃で粉塵や血潮が舞い上がり、その膨大なパワーがそのまま、ルリリカの心臓目掛けて撃ち込まれた。
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