22 襲撃

 魔導機甲兵団第四支部の正門を守る衛兵二人は、深夜の空に浮かび上がる黄金の月を見上げていた。

 セカンドムーンではない、この世界本来の月。紅く禍々しい昼間の月と違って、その月光にはいくらかの安心感を覚える。もっとも、太陽の光こそが一番ではあるが。


「……先輩」

「無駄口を叩くな」


 門前の若い女の兵士が、隣に立つ先輩兵士に語りかける。

 しかし先輩と呼ばれた眼光鋭い男の兵士は、任務と関係のない談笑を許す気はないらしい。


「えぇぇ……。ちょっとくらい良いじゃないですか……」

「……いつどこから、吸血鬼や殺人鬼が襲ってくるか分からないんだぞ。本部が崩壊した今、もうこれ以上支部を落とされるわけにはいかない。見回りや門番の仕事を怠るということは、この門の奥にいる仲間達、ひいては人類全体を危険に晒すことと同義だ」

「クッソ真面目ですねぇ……。面白みもない。そんなんだから彼女さんにフラれるんですよ」

「今何か言ったか? ああ?」

「ナンデモナイッス」


 先輩に睨まれた後輩女兵は、寒さだけではない理由で身を震わせる。

 誤魔化すためにいつものようにお茶らけた雰囲気でも作ろうかと思ったが、それでもやはり、沈む心と共に目線は落ちる。


「……でもあれですね先輩。人類を守るとか何とか言いますけど、そう簡単に行きますかね……。本部を倒壊させるような連中を相手に、私達だけで……」

「簡単なわけないだろ」


 薄雪の足元から、先輩の顔に視線を移す。

 その顔は相変わらず目つきが鋭く、ただ真っ直ぐ前だけを見つめ、しかし諦めや絶望とは無縁の強い光を瞳に宿していた。


「何年何十年かかるか分からない。これから先、何百何千人と死んでいくだろう。だが俺達は諦めるわけにはいかない。俺達は兵士だ。与えられた任務を、淡々とこなしていくだけだ。その果てに……太陽の輝く世界が、もう一度陽の光が降り注ぐ世界が訪れると、健気に信じてな」


 それしかないんだ、と先輩は小さく付け加える。そしてまた固い表情のまま押し黙った。

 そんな先輩の言葉を、横顔を、眼の奥に光る希望を目の当たりにして。後輩もまた背筋を正した。


「……そっすね。たまには先輩も良い事言いますね」

じゃないだろう。俺はいつも正論と有益な事しか喋らない」

「えっ、それ本気で言ってます? それともジョーク? それにしてはつまらな過ぎる……」

「お前本当、手足縛ってグールの群れに放り込むぞ」

「きゃーこわ~い。殺人鬼も驚きの鬼畜がココにいるわー」


 後輩がからかうような声を出すごとに、先輩兵士の額には青筋がビキビキと浮かんでいく。相当ウザがっているようだ。

 それでもやめない。大事な任務の途中とはいえ、これくらいの馬鹿話は許されるだろうと後輩は思っていた。常に死と隣り合わせの張り詰めた世界で、これくらいの戯れくらいなら。

 願わくばこの目つきも口も悪い、それでも優しく不屈の心を持った先輩と、平和な世界でずっとふざけ合っていられるなら――。


「――先輩」


 過酷な現実は、そんなささやかな願いすらも許してくれない。


「……支部に報告。警報鳴らせ。時間は俺が稼ぐ。――走れ!!」

「はっ、はい!」


 後輩は支部正門のすぐ近くに設置された、門番兵士専用の詰め所に走る。


 先輩は数メートル先しか把握できないような視界の中、それでも暗黒を注視していた。

 訓練と実戦、あらゆる知識と経験を積んだ兵士としての感覚が、全てを察知する。

 冷気の中に混じる明確な殺意。動植物が萎縮する、『化け物』の気配。

 あぁ、何度目だろうか。死神の鎌を首筋に感じ、走馬灯が上映され、それを――強引に押さえ込むのは。


「……良い夜ね。人間」


 暗黒の夜に、絶望の世界に似つかわしくない、鈴の音のような透き通る声と共に。その少女は、門を守る兵士の前に現れた。


「魔導機甲兵団第四支部、正面門番兵の『三島みしま 金閣きんかく』だ。貴様の所属と名を名乗れ」


 先輩は手に持ったチェーンソー魔導機甲を起動させる。


 懐かしさを感じるエンジン音と白い排気ガス、石油が燃焼する臭いを嗅ぎながら、その少女は――青髪をツインテールにまとめた美少女は、『地球』を思い出していた。


「第七真祖、『ルリリカ・カプリコン・バートリー』。死にたくなかったら、『流血鬼』を出しなさい」

「流血鬼……?」


 聞きなれない単語に、先輩兵士こと三島金閣は疑問符を浮かべる。彼はこの支部に移動してきたばかりの坂之上の存在を知らない。故にその反応は無理からぬことだった。


 だが初めからすんなり出てくるとは微塵も思っていなかったルリリカにとっては、どうでも良いことだった。

 どのみち、ようにするつもりなのだから。


「……何の事だか分からんが、単騎で突っ込んでくる吸血鬼一体なら何とかなる。殺人鬼のように支部の外壁を打ち破るパワーも、幽鬼ゴーストのように精神干渉して門鍵を開けさせるようなこともできない。日光十字架ニンニク流水銀の弾丸心臓に杭そして何より、。お前が俺を殺そうと、門が開かない限りお前は支部の中に入れない」


 三島の言葉を、ルリリカは静かに聴いていた。

 この間にも、後輩兵士の通達によって支部内には警報が鳴り響いているだろう。じきに増援も来る。そうなれば、ルリリカは支部に入ることもなく包囲殲滅させられるだろう。


「そう」


 なのに。それでもルリリカは表情を変えなかった。


 ――驚愕に表情を変えたのは、三島金閣の方であった。


「なッ、ん……!?」

「先輩ッ!!」


 支部への報告を終え、加勢に戻ってきた後輩は見た。見てしまった。

 口から血を流す三島先輩。そんな彼の背後から、心臓を突き破って大地から生える紅い槍。

 それらを静かに見つめる、青髪の少女。


「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 後輩は半狂乱になりながら、手元の火炎放射器を少女に向けた。吹き出る火炎。周囲に降り積もり始めた粉雪が、一瞬で水へと状態を変えた。

 見た目など関係ない。相手は化け物だ。焼き尽くし殺し尽くす。そうしなければ三島先輩も、自分も殺されてしまう。増援を待っている暇などない。一刻も早く、殺さなければ。


 ルリリカの服や髪を、その肌や爪を、火炎が包む。

 爆裂系の魔力を込めた浄化の炎。いくら再生能力に優れた吸血鬼とはいえ、この至近距離での直撃を受ければ――。


「え……」


 そんな考えは甘い幻想だと、眼前の光景が脳に直接知らせてくる。


「何すんのよ」


 再生すら、していない。人体が燃える臭いなど一切せず。ルリリカは全身を炎に包まれておきながら、その身体に焦げ一つ付着させてはいなかった。


「嘘……」

「嘘じゃないわ。現実よ。本当に、残念だけどね」


 ルリリカの長い爪が、後輩の喉下に突き立てられる。訓練を積んだ兵士に、反応すらさせないほどの速さで。


 恐怖と絶望を感じるヒマすら与えず、ルリリカはほんの数分で門番二人を殺してみせた。

 そして彼女は三島金閣とその後輩の遺体の首を両手で掴み、上空へと高く放り投げる。弧を描いた彼らの遺体は大きな鉄門を通り抜け、支部内の敷地へと落下した。

 どちゃり、ぐちゃり、と。大きな肉の塊が二つ落ちた音がした後、支部の正門はゆっくりと開かれた。


 そこには、青白い肌をした三島金閣と、後輩の女兵士が。ルリリカを迎え入れるようにして扉の脇に立ち、恭しく頭を垂れていた。


「我らが主、ルリリカ・カプリコン・バートリー様」

「私達を夜の眷属へと招き入れて頂き、心よりの感謝と従属をお誓い致します」


 吸血鬼化した門番二人に一瞥もくれず。ルリリカは堂々と、正門から支部へと足を踏み入れた。


「眼鏡をかけた黒い学ランの男を見つけなさい」

「しかし、我々が呼んだ増援がもうすぐ到着します」

「いかがなさいますか?」


 愚問を問いかけられ、ルリリカは面倒そうに溜息を吐いた。


「殺しなさい。邪魔する者は一人残らず。逃げる者も追いかけて殺しなさい。肉を絶ち骨を折り血を啜り、月まで届くような断末魔を響かせるのよ。そうすれば、流血鬼は嫌でも出てくる」

「「かしこまりました、我が主」」


 そうして元門番の二人は、風よりも速く敷地を駆けていった。人間を、守るべき対象だったはずの仲間達を、殺しに行くため。


「ふざけんじゃないわ……。アタシ達が滅ぼされるなんて、そんな結末は受け入れない……! 今度こそ滅ぼし、息の根を止めてやる……。流血鬼……ッ!!」


 開け放たれた正門から吹き込んでくる寒風を背に浴びながら、ルリリカは宿敵のいる方向へと足を進めた。

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