31 不可視の斬撃

 ――隣を歩いていた三四郎の姿が消える。


 一陣の風が吹き抜けた。

 地に落ち、割れるランタン。

 「うっ」という小さく低い呻き声の後に聞こえた、樹木に何かが叩き付けられる音。

 そして飛び散る、通信機部品。


「は?」


 坂之上でさえ、認識するのに数秒を要した。

 ゆっくりと後ろを振り向くと、そこには、右腕の袖部分がざっくりと斬られた三四郎の姿があった。

 三四郎自身も理解が及んでいないようで、ぽかんと口を開けたまま、背中を木に打ち付けていた。正確には背の通信機がクッション代わりになったため、大した痛みはない。

 だが。だからこそ。

 二人はようやくその『攻撃』を理解した。


「――エンジンをかけろ三四郎ォ!!」


 襲撃。それも斬撃の類。しかし敵の姿は見えなかった。

 三四郎の右腕が魔導機甲の義手で良かった。もしそうでなければ、間違いなく今の奇襲で三四郎の腕は斬り落とされていた。


 坂之上の叫びで三四郎は跳ねるように立ち上がり、慌てて右腕のリコイルスターターに指をかける。

 坂之上は既に巨大化させたミノタウロスの十字架を構え、林道の奥を注視していた。


「来るぞ三四郎、それも一体じゃない……!」

「楽しい未来を思い描いた後にコレとか……ホント、『最悪』って感じだね……!」


 坂之上達の焦りも絶望も嘲笑うかのよに、『彼ら』は悠々と近付いて来る。

 枯れた小枝を踏みしめ、闇の奥から姿を現したのは。

 青いテンガロンハットとコートを着込んだ、爽やかな笑みの青年だった。


「……『殴殺蓮華』……!」

「ハロハロハロー。お久しぶりさね人間諸君」


 魔導機甲兵団本部を壊滅させた、殺人鬼。後輩の斬殺水仙と共に数多の兵士を殺し、本部別塔を破壊しながらの『鬼ごっこ』に興じ、しかし坂之上との戦闘はしなかった狂気の徒。

 坂之上はよく覚えていた。忘れるはずもない。「殺人鬼が殺すのは人間だけ」とのたまい、坂之上を人間扱いせず去っていった。あの日の屈辱と怒りは、今も忘れていない。


「……どっちが『流血鬼』だ? メガネの方か?」


 そんな殴殺蓮華の頭上で、突如姿を現した下半身のない亡霊が問いかける。

 冷えた闇の空気をただ振るわせたかのような声が、三四郎の鼓膜を不快に揺らす。

 しかしその幽鬼ゴーストの姿は、坂之上も三四郎にも心当たりは無かった。


「大正解さチャンネルメーカーさん。小さい方は……えーっと……名前なんだったっけさ?」


 数年ぶりに再会した旧友の名前が出てこないかのような、そんなフレンドリーな口調で。躊躇い無く人を殺す化け物は、臨戦態勢の三四郎達に問いかける。

 そもそも『下』に見ているからこその態度。小馬鹿にし、マトモに相手の信念や情熱に寄り添おうとしない。それが殺人鬼。彼らは誇り高き戦士でも騎士でもないのだから。


 首輪に繋がれた子犬をあやすように。

 その子犬が牙を向こうが威嚇しようが、苦笑いを浮かべるそんな心持ちで。

 殴殺鬼は幽鬼と共に近付いてくる。


 だが、何よりも。そんな態度さえ目に入らなくなってしまう『三体目の化け物』に、坂之上と三四郎は息を呑んだ。

 殴殺蓮華によってイマイチ締まらない雰囲気を、一瞬で凍てつかせてしまうような。そんな気迫と共に、その『吸血鬼』は闇より姿を現した。


「……名などどうでも良い。貴様は軽口が過ぎるぞ、殺人鬼」

「ありゃりゃ怒られちゃったさ。誰かに注意されるなんて久しぶりすぎて、逆にちょっと感動してしまうさ。あぁ、こういうのがダメなんさね。ゴメンねゴメンねさ、『ザトーイン』さん」


 大柄な体躯の老人。その衣服はサムライを思わせる和服にして、腰には大業物の刀剣を差している。

 白い髪とヒゲの中に際立つ、赤く光る眼光。セカンドムーンを思わせるその双眸が坂之上だけを射抜き、並々ならぬ感情を伝えてくる。


「……だ、第三真祖……! 『座頭院・サジタリウス・左衛門玄山』!!」


 十三真祖の一角。ヴァン・ヴァルゴ・ヴラドやルリリカ・カプリコン・バートリーと同じ、赤き月より舞い降りてきた吸血鬼。

 そんなドラキュラの姿を見て。あるいは同行する者達を見て。三四郎の理解は、既に許容量を超えていた。


「な、なんで吸血鬼と殺人鬼と幽鬼が一緒に……!? こ、こんな事今まで……!」

「『今まで起きなかった事が今後も起きるはずない』と思ってしまうのは、人間の悪い癖さよ、マシンアームの少年」

「あぁそうだ三四郎。ヤツ蓮華の言う通りだ。そして化け物が集まろうと、全部まとめてブチ殺せば良いだけだ」


 坂之上のその言葉で、座頭院の眉間には深い皺が寄り、蓮華は笑い、チャンネルメーカーは興味深そうに仮面に手を添える。

 人類を脅かす悪鬼達が三者三様の反応を見せる中で、三四郎の顔は酷く青ざめ、尋常ではない量の冷や汗をかいていた。


「……撤退しよう坂之上君。そもそも哨戒は『接敵したらすぐに支部に戻って報告する』任務なんだ」

「悪いが一人で戻ってくれ三四郎。ここは俺一人でどうにかする」


 相も変わらず勇敢とも蛮勇とも取れる言葉を口にする坂之上に、三四郎は声を荒げて反論する。


「たった一人の魔力量で殺しきれるわけないだろ!? それに僕一人の力だけで、ここから離脱できるとも、させてくれるとも思えない……!」

「ほう、なかなか賢いな。そこのチビの言う通りだ。チビも貴様も、この林から逃がしはしない」


 チャンネルメーカーが半透明の指を鳴らす。すると林道の四方八方から、人間のうめき声と腐乱臭が微かに届いてくる。


「グールか……!」


 一体いつの間に、周辺を包囲したのか。そもそも、本能のみで動くグールにそんな統率された動きができるはずがない。

 何か引っかかる坂之上に対して、因縁の『流血鬼』に、ついに座頭院が語りかける。


「……今日こそ我々は貴様を滅ぼす。例え独断専行であろうと、殺人鬼や幽鬼の力を借りようと、ワシは流血鬼である貴様を……!」

「うるせぇジジイ。バケモンになってまでハシャイでないで、さっさと墓に入れ」


 殴殺蓮華は唾を噴き出して笑う。

 幽鬼のチャンネルメーカーはますます興味深そうにし、隣に立つ三四郎は頭を抱えたくなった。

 だが座頭院だけは、表情を変えることはなかった。


「――それが遺言で良いのか?」


 坂之上は瞬時に十字架を正面に出した。

 だがそれは、防御としては『失敗』だった。

 何故なら斬撃は、降りかかったのだから。


「坂之上君ッ!」


 咄嗟に坂之上の身体を、三四郎が横からタックルして割り込む。そして右腕の魔導機甲を頭上にかざし、『斬撃を受ける』。

 火花が上がり金属を削る音がした後、座頭院が納刀する。

 踊子に新調してもらった自慢の右腕に衝撃が走り、頑強なる鋼のフレームには、深々と刀傷が入っていた。つくづく、生身であったら対処のしようがない。


「まぁまぁ皆さん落ち着こうさ。そう血気盛んにならなくても。僕達は今日は、『ゲーム』をしに来ただけさ」


 またごっこ遊びか、と苦々しい思いで身構える坂之上と三四郎。三種の化け物が集って、何を為そうと言うのか。


「そろそろお互いに白黒付けようってことで、『戦争ごっこ』でもして遊ぼうさ」


 グールの軍勢を引き連れて、殴殺蓮華は無邪気に笑った。

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