30 明日の話

 紅き月が照らす中。絶望の世界を、それでも坂之上は上機嫌に歩いていた。


「嬉しそうだね、坂之上君」

「当然だろう三四郎。何せ! あの舞姫さんが! 俺のためにマフラーを編んでくれているのだから!」


 三四郎は白い軍服の上にコートを羽織り、更に通信機を背負う。

 林道の枯れ木を踏みしめ、隣を歩く坂之上を見上げる。

 相変わらず黒い学ランと金色の十字架が目立つ坂之上だが、今日は赤いマフラーを巻いていない。

 『今日は』と言うより、ここ最近ずっとだ。魔導機甲兵団本部より撤退する際に幽鬼に襲われ、その時のアリス奪還戦でマフラーは焼失させてしまった。

 今の時機の気候では寒いだろうに、と三四郎は何度も言ったが、坂之上は聞き入れなかった。それどころか、舞姫が密かにマフラーを編んでいる姿を目撃してからというもの、むしろ一人で盛り上がって暑苦しいくらいのテンションになっていた。


 余程楽しみなのだろう。本来は不安と恐怖の付きまとう『哨戒任務』にあっても、坂之上の足取りは軽やかだった。


「……まぁ良いさ。最近は吸血鬼や殺人鬼の襲撃もないし、楽しみなことは多い方が良いよね」

「その通りだ三四郎。お前もなかなか分かってきたじゃないか」


 「何で上から目線なのさ」と三四郎は笑い、それでももう慣れっこになってしまった坂之上雲という男の隣を歩いて行く。

 この林を抜けて何も異常が無ければ、また元来た道を支部まで戻って任務終了だ。

 赤き月と手持ちのランタンが照らす暗闇は薄暗く、しかしそれでも、決して見えぬ道では無かった。


「……坂之上君、さ」

「ん?」

「最近楽しい?」


 唐突な言葉の真意を図りかねていると、三四郎は間を入れず続ける。


「僕は楽しいよ。そりゃあ大変な状況には変わりないし、怖い事の方が多いけど……。でも、最近は怖い事ばかりじゃないって事にも気付き始めたんだ。余裕ができたのかな。坂之上君やアリスちゃん、舞姫さんにエイジ君や川端さんに……ヘルシング先生も。皆がいるから、なんかこの先もどうにかできそうな気がするんだよ」


 三四郎のその思いを聞いた坂之上は、少し笑ってからメガネを指で押し上げた。


「そうだな。……でもどうだろうな。楽しいかどうか、俺には……正直分からん」


 三四郎はすぐに気付いた。少しばかり落ちた坂之上の声色に、その心情の変化に。


「楽しくないわけじゃない。だが三四郎の言う通り、この世界は過酷で真っ暗だ。三四郎達がいたから、俺もここまでやって来れた。だが、生きて今日を迎えることのできなかった人も、たくさんいる……。そしていつ、俺やお前が『そう』なるかも分からん」


 そこまで発して、坂之上は自分の言葉が『失言』だと気付いた。らしくない。こんな弱気な発言、三四郎は怖がらせるだけだ。いつもの調子とは違う。悟られてしまう。

 もっと、こう、あるんだ。

 無敵で、素敵で、どんな時も高笑いしている、それが坂之上雲という『化け物を殺す男』なのだと――。


「……そんな時はさ、『明日の話』を考えると良いんだよ!」


 咄嗟に取り繕おうとした坂之上に、三四郎は屈託の無い笑顔を向けた。


「……明日の、話?」

「楽しい事を考えるんだ。こう……想像してワクワクするような、そんな話さ。それを目指しているうちは、きっとどんな辛い事も乗り越えられる。まぁコレ、僕のお爺ちゃんがずっと昔に教えてくれた事なんだけどね」


 気を使われたのだ、と。坂之上はここで何となく三四郎の思惑を理解した。


「僕はアレだね。皆でどこかピクニックにでも行きたいね! 暖かく晴れた日にさ、お弁当持って、どこか景色の良い場所に行くんだよ。そこでご飯食べて、昼寝して、それから……まぁ、そんな風にさ。行きたい場所とか食べたいものとか、やりたい事や将来の夢を思い描くんだ。坂之上君は、何かやりたい事はないの?」


 そう問いかけられ、考え、そこで始めて坂之上は『ある事』に気付かされた。


「……考えた事も、無かったな……」


 ずっと、独りで生きてきた。あの夜から。初めて化け物を殺した、あの日から。

 将来の事なんて考えたこともなかった。吸血鬼を殺して、殺して、殺しまわって。

 『流血鬼』と呼ばれ、この世界まで追いかけて来て。そんな風に、生きてきた。

 故に『将来の夢』など、坂之上は考える暇もなかった。自分の元いた世界が吸血鬼ウィルスに包まれる前は、何を思い描いていたか。それすらも、忘れるほどに。


 だが、一つだけ。か細く覚えている記憶の糸を、坂之上は掴んだ。


「……三四郎」

「何?」

「……笑わないか?」

「僕が他人の夢を笑うわけないだろ坂之上君」


そうだったな、そういう男だなお前は。と内省し、それから坂之上は小さな声で三四郎に教えた。


「……お花屋さん」

「え?」


 声が小さくて聞き取れなかったのか、あるいは内容を理解できなかったのか。

 どちらにせよ恥ずかしく、そう何度も言いたくなかったのにと、もうヤケになって声を張り上げる。


「花屋だよ、花屋! ……絶対誰にも言うなよ」

「何でだよぉ、良いじゃないかお花屋さん! 今は太陽が出なくてほとんど枯れてしまっているけど、いつかまた、種を植えれば育つだろうさ」

「……そんな未来が、来ると良いな」

「来るさ。きっとそんな『明日』が」


 あぁ。『強い』なぁ、と。


 三四郎の言葉を、姿を見て、つくづく思い知らされる。

 その強さを、ずっと昔から知っている。真似しようとしてもしきれない、そんな強さが。三四郎にも、あるのだと。



『花は良いよな坂之上。すぐに枯れても種を残して、また生えてくる。最も身近な生命のサイクルだ。俺はそれが好きだ。表面的な美しさだけじゃない。花が内包する生命の法則性が、俺は好きだな』



 そう言っていた。今は亡き友も、恋人も。

 花が好きな人達だった。

 そんな彼らが、好きだった。


 そして今、隣を歩いている小柄で勇敢な友の事も。支部にいる、この世界で好きになれた人達も。

 いつかの未来で、自分が育てた花を渡せるように。

 そんな明日を夢見て、坂之上は暗闇の先を見据えて歩いた。

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