5 セカンドムーンから来た男
全身を赤の装甲で固めた吸血鬼が、再び迫り来る。
坂之上はそのスピードに対応し、細身な見た目からは考えられない程の
十字架の長棒の先から伸びる、光の針。それは確かにグレゴリーの心臓を正確に捉えた。どんな化け物でも共通の弱点であるはずの部位を。
――しかし。十字架は心臓を貫くことなく、暴発した攻撃のエネルギーが十字架をあらぬ方向に逸らす。
同時に、顔をしかめるほどの甲高い音が鼓膜をひっかく。それは単に不愉快な高音というだけでなく、絶望を知らせる
「十字架が……!」
「通らない……!?」
舞姫と共に坂之上が見せた動揺を、グレゴリーは見逃さなかった。空中で身を捻り、頭部めがけて蹴りを放つ。
咄嗟に坂之上は左腕で頭部を庇う。しかし威力を殺すことはできず、数メートルは吹き飛ばされてしまった。
「坂之上君ッ!」
心配する舞姫の声に応えるように、積雪の中からすぐに立ち上がる坂之上。しかし左手は力なく垂れ下がっていた。間違いなく、折れている。
「……
怒りに燃える坂之上。怒るところはそこなのか、と舞姫は指摘したかった。
しかし、鉄血の甲冑に包まれたグレゴリーの威圧感が、和やかなコメディの雰囲気にはさせない。
「
いよいよ追い込まれてきた。
舞姫は利き手が使えず、仮にムリヤリ矢を放っても、あの装甲に矢は通らないだろう。
坂之上も、十字架を握る右腕は健在であるものの。逆を言えば、もうそれしか希望が残されていない。
「……森さん!」
一瞬。坂之上が舞姫を呼んだ。そして頷くようにして舞姫に視線を送る。
「相談するヒマなど与えん!!」
戦いに終わりを告げるため、グレゴリーは坂之上の首筋を狙って突進する。憎き流血鬼を殺して同胞達の仇を取り、舞姫は夜の僕として永遠に飼うのだろう。
迎撃する坂之上の十字架。だが最早、光の針は吸血鬼に対しての有効打でありはしなかった。
「今だ!」
そこへ。吸血鬼が坂之上の喉に噛み付く直前。坂之上の合図で舞姫は矢を放った。
先程と同じように口で矢を咥え、苦しい体勢で弓を放つ。
しかしそれではやはり狙いが定まらなかったのか、矢は吸血鬼の足元に刺さってしまった。舞姫の持つ、最後の矢が。
「馬鹿め! 悪あがきすら無意味に――」
瞬間。矢の先端の火薬が、爆発を起こす。
だがそれは吸血鬼の足を吹き飛ばすことすらできず。単に黒煙を巻き上げたにすぎない結果に終わった。
あまりにも稚拙な抵抗に、グレゴリーは渇いた笑いしか込み上げてこなかった。
「最後の望みが外れたな……とでも思ったか?」
「!?」
黒煙、いや『煙幕』の中から坂之上が姿を現した。
心臓目掛け、真っ直ぐに十字架を突き立てようとする。何度やっても、同じだろうに。
そう思っていたのは、グレゴリーだけだった。
「残念だったな、狙い通りだよ!!」
光の針が消え。十字架が、割れる。
十字架とは短い棒と長い棒を交差させたシンプルな形状だ。坂之上の持つ十字架も当然、その形。
そんな短棒と長棒を交差させた点から先の長辺に、一筋の亀裂が入る。そしてそれは、左右に展開した。
長棒が展開したミノタウロスの十字架はまるでハサミか
そして展開した『コの字』の部分で、坂之上は吸血鬼を捉える。
舞姫の攻撃で視線を坂之上から外していたグレゴリーは、脇の下の胴体を刺又に捕らえられてしまい、針葉樹の所にまで追いたてられる。
巨木に背中を打ちつける吸血鬼。しかしそんなものはダメージにも入らない。坂之上達が何をしたいのか、意味不明だった。
「……このまま光の針を生やして、ワタクシの心臓を貫くとでも? 何度も言うがその程度では、傷一つ……」
「あぁそうだ。俺の腕力だけではどれほど押し込んでも刺さらない。だから、頼るのさ」
折れた左腕でチェーンを掴む。やせ我慢だ。そして坂之上は、力の限り『引っ張った』。
「まさか……!?」
舞姫も気付いた。
坂之上のアイコンタクトと頷きの意味を考え、足元に矢を放ったのはひとまず正解だった。
そしてこれから、彼が何をしようというのか。
その答えは、エンジン音と排気ガスを放つ十字架が教えていた。
「魔導、機甲……!? バカな……!」
「……お前は自分のことを、進化した新人類だなどと言ったな。だがそんなはずがない。死を拒絶し永遠を求め、進化を放棄したお前らが、新しい人間であるなど……! そんなことは断じてない!!」
展開した十字架に光が集まる。
グレゴリーの眼前には、己を貫かんとする槍が輝いていた。
そしてその光力と温度に、舞姫はようやく思い出した。
何故、十字架を見つめると眩しいのか。
どうして、坂之上や十字架に、言い様のない安心感を抱くのか。
眩い彼の魔力、生命エネルギーの本質。それは――。
「太陽の、光……」
長らく忘れていた。一年ぶりに感じるその温度と輝きは、間違いなく太陽と同じものであった。
「さぁ吸血鬼。グレゴリー・ピスケス・リッチモンドよ。お前の神に祈ると良いぞ」
「待ってくれ……! ワタクシは、まだ……!」
「十字架、太陽光……! そして吸血鬼を殺す、もう1つの方法!!」
針葉樹に固定された吸血鬼の心臓を、十字架が貫く。いや違う。太陽光を放つ『針』。それも語弊がある。
ミノタウロスの十字架の正式な武器名。
光る『杭を撃ち出す兵器』の名前は、1つしかない。
「『パイル・バンカー』ァァァァァァァァァァァッッ!!!」
坂之上の雄叫びと共に。パイルバンカーから射出された杭は鉄血の甲冑も皮も肉も骨も突き破り、吸血鬼の心臓へと突き立てられた。
グレゴリーの体内へ、心臓から
「……すまないな枯れ木君。キミの身体にまで、穴を開けてしまった」
針葉樹の太い幹に、焼け付いた大穴が開いている。その真っ赤な空洞に向かって小さく謝罪してから、坂之上は背を向けた。
雪の中を歩き、舞姫の前に立つ。何を言って良いか分からず、坂之上はメガネの位置ばかり調整していた。
普通の人間が吸血鬼を単独撃破するなど。人類から見ても過ぎたる力だろう。グレゴリーに『流血鬼』ともさんざん暴露された。舞姫もきっと、自分の怪物的な強さに恐れを抱いただろう。
どう謝罪し、別れの言葉を告げようか。坂之上がそう考えていると――。
「……ありがとう。坂之上君」
「え……?」
それは予想外の答えだった。だが坂之上の疑問も戸惑いも全て消し去るように、舞姫は彼の右手に手を添えた。
「『人類』が初めて、吸血鬼に勝利した。貴方のおかげで、本当に生き残ることができた。感謝してもしきれないわ。……貴方と同じ人間として、私は誇りに思う」
硬直。そして、意味を理解しこみ上げる感情。
「……あぁ、もう。……言葉が見つからない……」
感極まった坂之上は、震える声と共に赤い月を見上げた。
人間として吸血鬼と戦ってきた。そのつもりだった。だが吸血鬼達はそんな自分のことを、『化け物』と呼んで忌み嫌った。
それが今、この場所で。感謝された。温かな言葉と共に、手を握ってくれた。それがどうしようもなく嬉しかった。筆舌に尽くしがたい、悦びであった。
「あの月は……かつて『地球』と呼ばれたあのセカンドムーンは、俺が赤く染めたんだ。数多の血を流し、死者を殺し……! 何もかも、失ったと思っていたのに……!」
「ポケットから落ちたものは取り戻せない。でも空になったそのポケットに、また何かを詰め込むことはできる。……失ったなら、また集めれば良いのよ。今から、ここから。これから一緒に生きていきましょうよ、坂之上君」
夜空を見上げる流血鬼の目にも、溢れる涙が浮かんでいた。
坂之上が降り立った世界には、昔からこんな言葉がある。『鬼は嘘を付かない。鬼は己の定めた掟に背かない。そして、鬼は涙を流さない』。
だが坂之上雲という少年は今日、ようやく、人間として涙を流すことができた。
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