4 流血鬼
「愚かな人間共め……。だがそんな死に体で、我々にどう勝つつもりだ?」
グレゴリーの指摘は正しかった。坂之上雲と森舞姫という孤軍は、戦うための十字架も弓を引く右腕すらも使えない状態。
対する吸血鬼達は、たった二人を前後から挟み討ちにしている。数多のグールと、吸血鬼の眷属と化した美丘によって。
誰が見ても、戦力差は圧倒的だった。
だが。坂之上はその戦力差に絶望するどころか、嬉々とした表情を浮かべるばかりだった。舞姫の勇気が、彼に光を与えていた。
「こうやって勝つのさ!」
『チェーン』を引っ張る坂之上。それは、美丘に向かって投擲した十字架に伸びていた。ミノタウロスの十字架は、元々はネックレスを巨大化させたもの。当然、首からぶら下げるための鎖は付いている。
船の碇を引き上げるように、雪面に倒れた十字架を叩き起こして手元に引き寄せる。そして、自身の魔力に呼応して眩い光を放つ十字架を、足元の白い大地に突き刺した。
――瞬間。十字架から放流された黄金の魚達が、雪下の海を泳ぐ。
唯一反応できたのは、純粋な吸血鬼であるグレゴリーだけだった。
他の者は美丘も含め、雪中を泳ぎ足元に到達してきた『光の柱』の直撃を、回避することができなかった。
「『
死者達の足元から立ち上がる、針葉樹よりも高き光の柱。
それらは巨大な十字架となって、美丘もグール達も串刺しにしてみせた。
「マ、イちゃ……!」
「美丘さん……っ!」
串刺しにされたまま、苦しそうに地上の舞姫へと手を伸ばす美丘。だが彼女の身体は灰となり滅び、穴の空いた軍服も吹雪の中へと消えていった。
誰よりも臆病で、だからこそ明るく振舞っていた彼女。そして闇の力を受け入れてしまった美丘の末路を、舞姫は見届けてやることができた。断末魔の光景を、一生消えない傷として抱えることになろうとも。
一方。大軍を壊滅させられた吸血鬼は、『ある確信』を持って激昂していた。
「貴様ッ……!」
「……どうした吸血鬼。動揺しているのか? 今更、
「そうか……。あぁ、そうか貴様……! そんなことは有り得ないと思っていたが……!」
忌々しく、坂之上を睨むグレゴリー。
ようやく、彼は認めたくない現実を認識した。眼前の学ランメガネ赤マフラーの男が、何者であるかを。
たった一撃で吸血鬼の配下を葬り去ることのできる存在など、『この世界には』いるはずがない。
だが、現れた。来てしまった。
万物の霊長である人間。
それをエサとする夜の王・吸血鬼。
――そんな不死者に、終わりをもたらす者。
「『吸血鬼の天敵』……! 『70億の同胞を殺し回った男』……!! 『化け物を殺す化け物』ッ!!!」
最大限の敵意と侮蔑と恐れを込めて。グレゴリーは坂之上雲という男を罵った。
「『流血鬼』ッッ!! 貴様まだ我々を殺し足りないのかぁぁぁぁぁ!!!」
「俺の家族も! 友人も! 大切な人も全部奪って吸血鬼にしておきながら! 異世界に逃げ込んだ程度で、見逃すわけないだろうがよぉチスイコウモリ!! お前達は絶滅させる。何があっても俺が最後の一匹まで駆除してやる。そのために、ココまで来たんだ!!!」
『流血鬼』と呼ばれた坂之上。そしてそれを否定することもなく、坂之上は真っ向からグレゴリーに向かって吠えた。
今までのクールな雰囲気など消え去り、マグマのような感情を噴き出している。それこそが彼の本質だったのだろう。
「流血鬼……!?」
その名に、舞姫は動揺が隠せなかった。
吸血鬼、殺人鬼、
世界には数多の魑魅魍魎がいる。しかし『血を流す鬼』など。そんな名前は聞いたことがない。
「……1つ、嘘をついたことを謝らせてくれ森さん。俺は記憶喪失じゃない。この世界の情報が知りたくて、貴女に芝居をしただけだ。……決して騙すつもりじゃなかった。……俺はただの人間だ。貴女への敵意など、微塵もない……!」
舞姫の方を振り返って謝罪する坂之上の表情は、とても申し訳なさそうだった。むしろ怯え、大人に怒られるのを避けようとする子供のようにも見えた。
舞姫と坂之上の交流した時間はとても短い。信頼するには判断材料があまりにも少ない。
しかしこの短時間で、舞姫は1つだけ確信していることがあった。
「……そんなことは別にどうでも良いのよ。貴方が私を……人間を守ってくれたことには、変わりないんだから。私は人間である貴方の言葉を信じる」
『化け物』と罵ることもなく。微笑み返してくれる舞姫の優しい瞳を、坂之上は生涯忘れないだろうと思った。ただ、その美しさに見惚れていた。
だがそんな二人だけの交流が、グレゴリーには気に食わなかったようだ。それまでの貴族然とした、何があっても余裕を崩さないといったポーズが、今は完全に崩れてしまっていた。
「我々を絶滅させるだと? 人間を守るだと!? 罪深き怪物め! 今ここで、ワタクシがその罪を清算させてやろう!! 死の永遠へ送り届けてやる!! さぁ、お前の神に祈るが良いぞ!!!」
「残念だが、俺は生粋の
坂之上の返答を聞く間もなく。吸血鬼は赤と黒の閃光となって飛びかかってきた。
それに対峙する坂之上は、十字架の先端から光の針を出現させる。それは先程、グール達を屠った光の柱の一部。それを放ちはせず、十字架の全長を長くしてみせた。まるで、十字槍を上下逆に持って振り回すようなものだ。
「シャァッ!!」
迅速の切り裂き攻撃を、十字架で押さえ込む。
グレゴリーは歩きにくい雪の大地など存在しないかのように、密林のトラやヒョウの動きで坂之上の動脈を狙う。
しかし。縦横無尽に動き回る吸血鬼に対して、坂之上は互角に切り結んでいた。互いの身体が接近し、一瞬で離れたかと思うと、後には火花が弾ける音と光がほとばしる。微かな焦げ臭さも。
舞姫はそのスピードを、目で追うのもやっとであった。間違いなく、強者と強者の戦い。常人である舞姫に、入り込む余地はなかった。闇夜に現れては消える閃光と、坂之上の持つ十字架の輝きに食い入るばかりだった。その光から、目を離せない。
「太陽が隠れたこの世界は、まさに我々の理想郷……! お前の居場所はここではない!!」
若干の優勢を悟ったのか。グレゴリーは攻撃しながら、挑発するように語り掛ける。
「いいや。俺の居場所ならここにもある。彼女が、森さんがいるから……! 彼女のような誇り高く、美しい生命力を持った人間のいる所が、魂の故郷だ! 俺の存在価値を証明する場所だ!」
挑発に乗ることもなく。確固とした言葉と共に、十字架を闇夜に振りかざす坂之上。長辺から伸びる針は、吸血鬼の鼻先を掠めた。
「久々に人間に出会えた程度で、随分とハシャグな流血鬼……!」
突き立てられた爪をかわし、グレゴリーの右脇腹を十字架の針で貫く。
吸血鬼は一瞬苦しそうに呻いたが、即座に距離を取った。
そして煙を上げ灰となっている傷口を、脇腹ごと爪で斬り捨てた。すぐさま、肉が補填され傷は塞がる。
「だがやはり、お前は負けるぞ流血鬼。お前達はまだ、『進化した新人類』である我々の実力を知らない」
「……!?」
それはハッタリや虚勢ではなかった。その証拠に、グレゴリーはかつての紳士的余裕を取り戻しつつある。
「吸血鬼の恐ろしさとは何だ? 城壁をも砕く腕力か? ……違う。いかに肉体的に強靭でも、そのパワーが及ばない遠距離の安全圏から撃ち殺せば良い」
門下生に勉学を教える教師のように。グレゴリーは愚かな子供達に講釈を垂れる。
「目にも止まらぬスピード? それも違う。いくらすばしっこくとも、獲物に向かって飛び込んでくる獣は、罠で簡単に捕まえることができる。我らにはそれこそ地雷でも設置すれば良い」
「……ならば」
口を開きかけた坂之上に、手の平を向けて制する。それ以上は言わなくて良い。言わなくても、お前が不正解を言おうとしているのは分かっている、とばかりに。実に不愉快な教師だった。
「ならば瞬時に傷を治す再生力が吸血鬼の最大の武器か? バラバラに分解させてやれば良いだけなのに? ……何もかも違うのだ。違う違う、全くもって、ぜーんぜん違う! 正解は……」
坂之上と舞姫は、驚愕に目を見開いた。
吸血鬼から直々に教えられた、『本当の力』を目の当たりにして。
「『血液』を媒介として我らは存在する……。吸った血液から相手の情報の全てを知り、自らの血液を相手に注入することで夜の眷属とする。……そして、血液にはこんな使い方もある」
グレゴリーの皮膚が、青白い死者のそれから真っ赤に変わる。熱が出たのでも感情が昂ぶったわけでもない。
肌を覆う赤黒い『装甲』は、吹雪が吹き付けるたびに耳鳴りにも近い金属音を奏でる。
「機械の力? 生命エネルギー? 魔導機甲!? 実に健気でか弱くて、踏み潰したいほど愛らしいよ、人間!! 貴様達の戦いの牙は、この『鉄血の甲冑』に先端すら届かせることができない……!」
堅牢さ、防御力。
刃も銀の弾丸も魔力も十字架も心臓への杭も、体内に注ぎ込まなければ意味がない。
全てを拒絶する鉄壁の守りこそ、吸血鬼が闇夜の支配者たる由縁だった。
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