3 夜に挑む人

 洞穴を飛び出した坂之上は、豪雪と闇夜に塗り潰された前方の林を見た。

 姿は見えずとも、音はする。低く唸る無数の声を。苦しみもがく、耳を塞ぎたくなるような叫びだった。


「い、今の声は……!?」

「下がって森さん。……何か来る!」


 機械弓を持って出てきた舞姫を制する。

 そして首元のネックレスを外し、自身の胸の高さほどもある十字架に変えて構えた。

 針葉樹の林から接近してくる気配を注視しながら、坂之上は闘気を高める。


 しかし。そんな二人の緊張感を打ち壊すかのように、接近者は情けない声を上げて林から出てきた。


「た、助けてー!」

「……ミオカさん!?」


 十字架で迎撃しようとしていた坂之上の腕を、舞姫が掴む。舞姫は桃色髪の少女――美丘が敵ではないことを知っている。安心して良いのだ。


「こっちよ美丘さん!」

「マイちゃん……!? 良かった、無事だったんだね……!」


 足を止めた美丘は汗を浮かべ息を切らし、膝に手を付いて呼吸を乱していた。余程必死に逃げてきたのだろう。だが、互いの無事を知って笑顔を浮かべている。


「ごめんマイちゃん、山を下りようとしたら、たくさんの『グール』に囲まれそうになって……!」

「貴女が無事だったならそれで良いわ。ここからは、一緒に逃げましょう……!」


 数分ぶりの再会を喜ぶ女子二人。極限の緊張状態がほぐれ、深く安堵しているようだ。

 そんな彼女達を、坂之上は優しく見守っていた。


「グールか……。吸血鬼に殺され、眷属として吸血鬼化もされなかった人間の成れの果て。リミッターの外れた腕力と増殖性は脅威だが、動きは緩慢だ。だから逃げ切れたんだろう」


 林の奥から今も聞こえるこの声は、間違いなくグールのものだろう。

 吸血鬼グレゴリーに殺された兵士達が、理性を失った動く屍リビングデッドとなって、食欲のみに突き動かされている。

 瞬時にそう理解した坂之上。

 そんな彼を見て、初対面である美丘は驚いたような顔を浮かべていた。


「……ちょ、ちょっとマイちゃん! 私を逃がして吸血鬼と戦っていると思ったら、いつの間にこんなイケメン捕まえたの! 本当に魔性の女なんだから……!」

「ち、違うわよ! 彼とは……坂之上君とは、たった今知り合ったばかりで……!」


 狙ってなのか天然なのか、小声ながらも緊迫した空気を壊すような話をし出す美丘。たった今まで、命からがら逃走してきた人間とは思えない切り替えの早さだ。周囲にはまだグールもいるというのに。

 だが人一倍死の恐怖に怯え、友人を心配し、伊達男や恋話に興味を示すのが、美丘というごく普通の少女だった。そんな人間味のある性格に、舞姫はこの常闇の世界でいつも楽しまされていた。

 美丘にとってはグールも吸血鬼も関係ないのだ。関係ない世界の話だったのだ。

 それが突然こんな状況になったからといって、兵士として毅然とした性格になることはできなかった。

 

「ミオカさん……でしたっけ?」

「はい! 石田いしだ 美丘みおかです! メガネ男子は大好物です! あとマフラー男子も!」

「とにかく生存者が他にもいて良かった。ここもじきにグールや吸血鬼が来る。まずは山を下りよう。二人を安全な場所に運んでから、後のことは俺が何とかする」

「冷静な判断力……! 頼りになるのねサカノウエ君!」


 まるで飼い主に尻尾を振る子犬のようだ、と舞姫は呆れながらも頬を緩ませていた。

 しかし事実、こんな状況でも冷静に落ち着いて、確かな言葉を出せる坂之上を舞姫も心強く思っていた。


「――そうはさせない」


 そこへ。少しばかり和らいでいた三人の雰囲気を、再び絶望が凍て付かせる。


「二人とも、俺の後ろに下がって!」


 『白い軍服』を着たグールの軍勢を引きつれ、再びグレゴリー・ピスケス・リッチモンドが積雪を踏みしめ姿を現した。


 悠長にし過ぎたか、と坂之上は小さく舌打ちする思いだった。

 これ以上死者は増やさない。不安に怯える二人の少女を守るという決意を、学ランの背中に浮かばせる。

 そんな『庇う背中』を見つめつつ、舞姫は武器も持たない美丘を案じる。


「もう少し下がって美丘さん……! 隙を見て、いつでも逃げられるよう……!」

「マイちゃん、私……!」


 震える美丘の声。当然だ。折角ここまで生き永らえたのに、また絶対絶命の危機に瀕しているのだから。

 しかし舞姫は、違和感を覚えた。いつもの、厳しい教官や化け物への恐怖に怯える声ではない。普段の美丘とは何かが違う。

 その小さな違和感に、舞姫が美丘の方を振り向くと――。


「――ゴメンね」


 美丘の浮かべた笑顔には、鋭い『牙』が見えていた。


「えっ……」


 舞姫の肩を、尋常ではない力で掴む美丘。

 そしてその喉元へ、赤く輝く美丘の瞳が狙いを定めた。


「きゃあぁぁぁッ!」


 悲鳴を上げる舞姫。

 そんな彼女の耳たぶを、後方から巨大な十字架が掠めた。


「がぁ……ッ!?」


 美丘の鎖骨の辺りに突き刺さる十字架。唯一の武器を投擲し、坂之上は紙一重のところで舞姫を救った。

 しかし美丘を葬り去ることはできず。美丘は十字架を抜き捨て傷を再生させ、赤く輝く瞳と白い牙を、かつての戦友であった舞姫に向けている。

 舞姫は今も、美丘を友人と思っているのに。


「そんな、美丘さん……! どうして……!?」

「あぁ、とっても気分が良いのよマイちゃん……。吸血鬼に怯えて暮らしていた毎日が、嘘みたいに……! 私は気が付かなかったわ。セカンドムーンの照らす夜が、こんなにも明るく優しい光に満ちていたなんて……!」


 人外へと成り果てた美丘。無事だと思っていたが、既にグレゴリーに吸血され、その眷属とされてしまっていたのだろう。

 だが彼女はその運命を悲観するどころか、今までにない悦びと安心感に満ち溢れていた。


 絶望に包まれるか弱き人間達を、張本人であるグレゴリーは喜劇でも観るかのような目で見つめていた。

 悪趣味な、『現実』という名の演劇を。


「マイちゃんも、私達の仲間になろうよ……? 一度死んじゃえば、もう死ななくて良いんだよ……!」


 甘美な果実を貪るような吐息と共に、舞姫を夜の世界へ誘う美丘。

 これで、討伐隊の生き残りは舞姫一人になった。なってしまった。悲しみの表情を、舞姫は堪えきることができないでいた。

 そんな舞姫へ、坂之上は静かに語りかける。


「……それが楽な道だと思うなら、そうしても良いんですよ森さん」

「え……?」


 十字架は美丘の足元に転がっている。

 丸腰の状態で、それでも坂之上はグレゴリーとグール達から視線を外していない。

 そんな状況で、坂之上は背後の舞姫に語りかける。


「俺も知っている。友人を失うのはとても辛く悲しいことだ。現実と正面から向き合うのは、あまりにも過酷すぎる。貴女ももう疲れただろう。……心折れたなら、無理をすることはない」


 その声は弱弱しく、頼りがいがあると思った背中は小さく見えた。

 舞姫は坂之上の事情をよく知らない。何故記憶がないのか、吸血鬼とどんな関わりがあるのか。出会ったばかりの少年だ。知っている情報の方が少ない。

 それでも。舞姫は思い出していた。彼の言葉を。「諦めていない人間のために戦う」という言葉を。舞姫を、そんな戦う理由にさせて欲しいと。

 だから、舞姫は決意した。そしてその決意を簡潔に伝えるため、舞姫は短い言葉で応えた。


「……坂之上君」


 機械弓を『旧友』に向かって構える。右腕はまだ動かないが、口に矢を咥えてでも撃ってやる。


「私の背中は任せたわ……!」


 力強いその声に。赤いマフラーと素敵なメガネを装着した男は、片手で顔を覆うようにして――歓喜していた。


「あぁ、森さん……。小さく儚げな、それでも誇り高き人間よ……! やはり俺は、貴女に出会えて良かった!!」


 諦めを踏破した人間二人。死の恐怖すらも乗り越えて、少年少女は暗黒の闇夜に挑むことを決めた。

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