7 ここは人間でいっぱいだ

 魔導機甲兵団訓練兵の夏目なつめ 三四郎さんしろうは、暗闇の中で目を覚ました。


「う……」


 全身が痛む。ここはどこだろう。

 ぼんやりとした頭で、気を失う前の記憶を引っ張り出す。


 石田美丘や森舞姫も参加する『第11真祖討伐隊』が出撃してから、2時間後のことだ。兵団本部に、けたたましい警報が鳴ったのは。

 その時三四郎はトイレを済ませたところであり、すぐに廊下へと出ようとした。吸血鬼か、あるいは殺人鬼の襲撃か。背筋の凍る思いで一歩踏み出した、瞬間。天井も壁も床も、全て崩壊したのだった。


 とすると薄暗いこの場所は、トイレ付近の瓦礫の中。

 上手く瓦礫達が重なり、三四郎一人くらいは入れるスペースを生み出していた。今ばかりは、コンプレックス気味の小柄な体型に感謝した。

 ガス漏れや汚水が流れて来ないのは幸運だが、このまま生き埋めになっているわけにもいかない。しかし全身に切り傷や打撲を負い、どうにも自力では這い出れない。骨が折れている様子がないのも、悪運強しとは思ったが。


 そこへ、更なる幸運が舞い込んできた。

 瓦礫をかき分け、微かな光が三四郎の顔を照らす。太陽のような眩しい光ではないのが残念だ。


「……三四郎! 大丈夫か! 生きてるか!?」


 三四郎の視界に姿を現したのは、セカンドムーンの月明かりより赤い頭髪を逆立たせた少年だった。

 目つきも切れ長で鋭く、近寄りがたい印象を受けるが、三四郎はそんな少年の顔を見て安心した。


「……なんとか生きてるよ、エイジ君……」

「良かった……! 『殺人鬼』の襲撃だ! もう、何もかもがメチャクチャだぜ……!」


 やはり殺人鬼の襲撃だったか。魔導機甲兵団の建物を倒壊させることのできる存在など、人外の破壊力を持った殺人鬼くらいだろう。

 できれば当たって欲しくなかった予想が的中し。三四郎がエイジと呼んだ少年は、瓦礫を撤去してくれる。

 三四郎も自力で脱出しようと試みる。その時、右腕の異変に気付いた。


「エイジ君……」

「どうした!?」

「右腕が、柱に押し潰されてる……」

「ッ……! ちょっと待ってろ!」


 困ったような苦笑で報告する三四郎の言葉で、エイジはすぐに行動に移した。

 彼は持ってきていたチェーンソーのトリガーを握り、一気に引いた。ワイヤーからリコイルスターターに回転力が与えられ、一発でエンジンが回り始める。

 そしてエイジは三四郎の右腕を圧迫している、木製の柱に回転鋸の刃を押し当てた。

 兵団本部の古い1階トイレに使われる柱が、木製で良かった。

 三四郎はまるで他人事のようにそう感じながら、自らの腕を押し潰す柱を、エイジに断ち切ってもらった。


 そして、瓦礫の中から右腕を引き抜く。

 その右腕は生身ではなく、赤い月の光を鈍色に反射していた。機械化された、重量を感じる義腕。もしも鋼鉄の腕でなかったらと想像すると、再びゾッとする思いだった。


「ありがとうエイジ君、助かったよ……!」

「……そうでもねぇさ……」


 珍しく、エイジが絶望の色を浮かべている。そして三四郎も気付いた。倒壊したのは、1階のトイレ部分だけではない。

 歴史ある城塞をそのまま利用した兵団本部が。怪物と人類の前線基地が。巨大地震でもあったかのように、崩壊していた。

 視線の先で、瓦礫の山と化した本部を見つめ。三四郎は声も出せずにいた。


「……襲ってきたのは『殴殺鬼』と『斬殺鬼』だ。舞姫達の討伐隊が本部を出て行った、こんな日に……!」

「せ、正規兵の先輩達は……!?」

「もう何百人が死んだか分かんねーよ……。お前だけでも瓦礫から引っ張り出せて良かった。……ホントに、眠ってて良かったかもな三四郎。訓練兵の俺らは、手も足も出せなかった……!」


 仲間が何人も死んだのだろう。いつも強気で自信家だったエイジの心は、今はもう完全に折れているようだ。


「しかもお偉いさん方はここの地下シェルターに避難できないからって、生き残った先輩方連れて後方基地まで撤退しやがった……! 殺人鬼が何故か退却したことを良いことに……! ケガをした連中が、まだ別塔にたくさん残ってるってのに! 俺ら訓練兵の命なんざ、カスとも思ってねぇんだろうな……!」


「――そんなことは無いさぁ」


 絶望が、噴き出す。

 この場に似つかわしくない『第三者』の陽気な声が、三四郎とエイジの背中に投げかけられた。

 振り向いた先にあったのは、雪崩のように崩れる本部瓦礫。

 晴れつつある雪雲。

 覗く赤い月セカンドムーン

 そして、歩いてくる2つの『鬼影』。


「ボクらは人間の命を差別しないさ。大人も子供も男も女も、好き嫌いせず皆ブッ殺すさ」

「『殴殺おうさつ 蓮華れんげ』……!?」


 テンガロンハットと青い外套を身に着けた、明らかに兵士ではない好青年。

 しかし三四郎は知っていた。要注意殺人鬼として、彼の特徴を講義で知らされていた。


「いや~悪い悪い人間諸君! 俺の愛刀が血と脳漿のうしょうで濡れに濡れちまってよぉ。お昼休憩にちょっと砥いできたんだわ。ナマクラ刀で刺し殺したりブッ叩いて殺すのは、俺のルールに反するからなぁ」

「『斬殺ざんさつ 水仙すいせん』……ッ!」


 エイジも知っていた。あの黒いスーツとオシャレ眼鏡をかけた金髪男が、数多の仲間達を斬り殺していた場面を見て。その脅威を、先程さんざん見せ付けられた。


「……しかしズイブンと静かになったなぁ?」

「だから言ったさスイセン君。休憩なんか与えたら、獲物はみーんな逃げちゃうって」

「へーへー、スイマセンねぇレンゲ先輩。……でも良いじゃないっすか。逃げ回るゴミ虫を殺しても楽しくも何ともねぇ。コイツらみたいな、生き残って立ち向かってくる奴を殺すのが『良い』んでしょ……!」

「それなそれなそれなー、さ。全面的に同意さね。……さて、それじゃあ――」

「――殺しますか」


 抜刀し。拳を握る。


「殺人鬼・殴殺蓮華! 清く、正しく、残酷に! 跡形ナシにボッコボコさぁ!」

「殺人鬼・斬殺水仙。切れない御縁も斬って殺してキリにしよう」


 塊のような殺意を身に受けて。三四郎とエイジは瞬間的に己の死を悟った。


 ヤバイ。殺される。


 一歩一歩、ゆっくりとだが着実に近づいてくる殺人鬼達生命の終焉


「……やるしかねぇか三四郎」

「エイジ君……!?」


 見上げるエイジの横顔は、絶望の中でヘラヘラ笑っていた。壊れたわけではない。勝てるとも思っていない。しかし、微かな希望に縋っている表情だった。


「万に一つ、何かの間違いがあって……。舞姫達の討伐隊が帰還してくるかもしれねぇ。どうせ逃げても、追いかけて殺されるだけだ。なら、舞姫達が戻ってくるまでの間……俺としてみねぇか? 最高に分の悪い賭けを」

「ッ……!」


 悩んでいるヒマはない。選択肢も最初からない。逃げ回って殺されるか、立ち向かって殺されるか。

 ならば、せめてこの汚れた白い軍服に恥じぬよう。己の持つ魔導機甲に、笑われないように。『魔導機甲兵』としての誇りに、二人は従うことにした。


「……エイジ君。……僕は……。……ギャンブルをするなんて、これが生まれて初めてだよッ!!」


 左手で、二の腕に取り付けられたスタータートリガーに指をかける。

 その様子を見て、顔色を悪くしながらエイジは、高らかに笑ってみせた。


「ハッ! お前も不良の仲間入りだな!」


 エイジもまた、チェーンソーをもう一度起動させる。そして雄叫びを上げながら、斬殺鬼に向かっていった。

 三四郎も、すぐに参戦しようと――。


「あ、あれ……?」


 右腕の機械腕が、何も言わない。どれほどワイヤーを引っ張ってもリコイルスターターに回転を与えても、回転エネルギーが滑っていくような感覚しかしない。エンジンが、起動しない。


「こ、こんな時に……!」


 故障? オイル切れ? さっき瓦礫に押しつぶされたから? そんなはずはない。殺人鬼の皮膚にすらダメージを与える鉄腕が、そんなヤワな設計であるはずがない。それは三四郎が一番知っている。四六時中、己の義肢として身に付けているのだから。


「動け! 動けよこのポンコツ! 今動かなきゃ、いつ動くんだよッ!」


 何度もワイヤーを引っ張る。だが返答はない。

 そうしている間にも、エイジは斬殺水仙と交戦し始めた。三四郎を気遣う余裕はないだろう。斬殺鬼は高笑いしながらエイジに斬りかかっている。

 殴殺蓮華も、気味の悪い笑みを浮かべながら近づいてくる。武器すら起動できていない、三四郎を嘲笑うように。


「うご、動いてよォ! このままじゃ、エイジ君が死んじゃう!!」


 汗と涙を浮かべて鼻水を垂らしながら。何度も何度も何度も何度も何度もワイヤーを引っ張る。それでも、エンジンは回転し始めなかった。

 殴殺鬼は、もう眼前5メートルの位置。己の無惨な死が、一定の歩幅で近づいてくる。


「う……うわああああああああああああああああッ!!!」


 先程トイレを済ませたばかりだというのに。明確な『死』の恐怖を前にして、三四郎は失禁する思いだった。


 だが――。




「――落ち着け坊ちゃん。こういうのはな、んだ」




「え?」


 背後から、知らない青年が左手を握ってくれる。

 そして三四郎を覆い包むような状態のまま、彼は――坂之上雲はワイヤーを引っ張り、右腕の魔導機甲を起動させてやった。

 闇夜の世界に鳴り響くエンジン音。モーターが高速回転し、間接の部分から石油臭い煙を吐き出す。


「だ、誰……」


 三四郎だけではない。その者の登場に、場にいた全員が止まり、注目する。

 何故なら彼はこの絶望の状況下で。人類の砦が破壊された跡地でたった一人――笑っているのだから。


「良いなぁ……。ここは素敵だ……。傷つき、絶望に溺れ、それでも生きている……! 生命の鼓動を感じる! ここは人間でいっぱいだ!!」


 黒い学ランの首元に巻いた赤いマフラーを、風にたなびかせ。素敵なメガネの奥の瞳は、歓喜の色に染まっていた。

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