一日の終わり

休息、そして

「それじゃあ……後で食事を持って来るわね」

「あぁ、ありがとう。舞姫さん」


 短い別れの言葉を交わし、坂之上は扉を閉める。

 魔道機甲兵団第四支部――その訓練兵用兵舎の一室。幽鬼の襲来をも退けた坂之上は、自らに与えられた個室を見渡した。

 本来なら訓練兵、いやそれどころか、部外者である坂之上に個室など与えられるわけがない。坂之上の常識ではそう思っていた。

 しかし今は、。そういう世界なのだ。そういう過酷な世界に、坂之上は降り立ったのだ。

 今は赤き月も沈み、『本来の月』――黄金に輝く月の光が、窓から室内を薄暗く照らしていた。


 この部屋の『住人』の趣味だったのだろうか。あまり広くない一室にギターが置かれ、壁にはこの世界のミュージシャンのポスターが貼られていた。

 楽器が弾けるわけでも音楽にさほど興味もない坂之上は、明かりも点けず学ランの上着を脱ぎ、他人の匂いがするベッドに座り込んだ。


 ふと、視線を横に向けると。そこにはペンや雑誌が乱雑に散らばった机の上に、写真立てが飾られていた。

 その中で写真に写るのは、三人の若い兵士だった。真ん中の少女に肩を回し、背が高く純朴そうな青年と、坊主頭の活発そうな少年が、レンズに向かってとびきりの笑顔を見せていた。

 仲の良い三人だったのだろう。この部屋の主は、二人の男子のうちどちらか。この大事な写真は、真ん中の少女にでも渡せば良いのか。あるいは、『もう返す相手もいない』のか。


 詮無きことだ。そう思って坂之上は写真立てを寝かせ、自らも疲労した身体をベッドに横たわらせた。眼鏡を外し首から下げた十字架を握り、ようやく、静かに瞳を閉じることができた。


「もう少し……もう少しなんだ……。大丈夫、まだやれるさ……。芥川、君……」


 穏やかに寝息を立てる坂之上の表情は、未だかつてない程に、安らいでいた。


***


 ざわざわとした話し声が聞こえる食堂。

 エイジの隣でシチューを口に運んでいた三四郎は、食事を乗せたトレーを持つ舞姫の姿に気付いた。


「あ、舞姫さん! こっちこっち。悪いけど先に頂いてたよ」

「うん、良いのよ夏目君。……左手で食べにくくない?」

「まぁ、ちょっとね……。でも、アリスちゃんを助けられたし、これくらい何てことないよ」


 右腕の義手を幽鬼に撃ち込んだ三四郎は、魔導機甲の腕が修理されて戻ってくるまで、しばらく左腕だけの生活となる。

 しかし当の本人は、アリスが無事なら文句はないようだった。


「そう言えば、アリスさんの容態は?」


 三四郎の対面で舞姫が尋ねる。

 頬張ったパンを急いで飲み込もうとした三四郎に代わり、エイジが質問に答える。


「衰弱してるが、命に別状はねーってよ。負傷した他の連中も、時間があれば回復する。……本部別塔の医務室から逃げてきた俺達兵士は、あのオッサンを除けば、全員が無事にこの支部まで到達できたってわけだ」

「改めて認識すると、凄いことね……」

「坂之上君のおかげだね! 彼がいなかったら、どうなっていたことか……!」


 坂之上の発想や助力があってアリスを助け出せた三四郎は、もうすっかり彼を信用しているようだった。

 それが気に入らないのか、エイジは機嫌悪そうにコップの水をあおった。


「ところで舞姫さん、坂之上君は?」

「彼の処遇はヘルシング先生に任せてあるわ。夏目君の言う通り、彼はこの撤退作戦最大の功労者だもの。きっと悪いようにならないわ。……でもまだ魔導機甲兵扱いじゃないから、目立たないよう部屋に待機して貰ってる」

「坂之上君の黒い服、目立つもんねー。……服以外の要素でも目立ちそうだけど」

「そういうわけでエイジ」

「あぁ?」

「坂之上君の分の食事、貰ってきて」

「ハァ!? 何で俺が!!」


 舞姫からの思わぬ言葉に、エイジは身体と共に声も張り上げる。雑談飛び交う食堂の中でも、ひときわ注目を集める大声だった。


「言ったでしょ。彼はまだ兵士扱いじゃない。だから誰かが食事を『おかわり』として配給して貰って、彼の部屋に持って行かないと」

「だったらテメエが貰いに行けば良いだろ!」

「嫌よ。皆傷ついて帰ってきたのに、私だけ食事にがっついてるように思われたくないもの。それに今配給されたばかりだし。どんだけ早食いなのよ私」

「俺ががっついているように思われるのは考慮しねぇのかよ……!」

「別に良いじゃない。本部にいた時から遠慮なくがっついていたんだし」

「そういう問題じゃねぇんだよ!」

「お、落ち着いてエイジ君! 分かったから! 僕が坂之上君の食事貰ってくるからァ!」


 舞姫に食ってかかろうとするエイジを、三四郎は必死に止める。これでは、坂之上がいなくとも悪目立ちしてしまっている。

 ただでさえ食料も装備も少ない現状のこの世界。崩壊した本部から逃げてきた『厄介者』である自分達が目立つのは、あまりよろしくないだろう。本部の救援に行こうともしなかった支部の人間との間には、ただでさえ見えない溝があると言うのに。


「あんな奴、どうせ食わなくても死にはしねーだろ! 何せ吸血鬼も殺人鬼も幽鬼も倒しちまう、無敵のサカノウエ君だもんなァ! 弱点も怖いモンも存在しねーってか!」


 三四郎の制止で興奮することはなくなったエイジは、それでも嫌味ったらしい言葉を吐き捨てながらドカッと椅子に座る。

 そんなエイジの姿を見て、三四郎は、どこか寂しげに呟いた。


「……そんなことは、無いと思う」

「はぁ?」

「夏目君……?」


 出会ってから、今まで。三四郎と坂之上が交流したのは、半日程でしかない。舞姫ですら、一日も経っていない付き合い。

 だが濃密すぎる交流の中で、三四郎は坂之上に対して思う所があったのも事実だった。


「彼は……坂之上君は……。『怖い』、んじゃ……ないかなって……」

「怖い? アイツが? 化け物にビビってるってか? それはねーだろ」

「でも……。幽鬼からアリスちゃんを助ける時……。坂之上君は僕の肩を掴んで固定してくれたんだけど……」


 思い出す。あの時、三四郎は必死で気付かなかった。だが今にして思い返すと、『それ』は確かに存在していた。


「震えていたんだ、彼の手」

「……!」


 舞姫もまた、思い出す。

 雪山で、グレゴリー吸血鬼の襲撃から助けてくれた時。洞穴の中で握った坂之上の手は、震えていた。

 舞姫は、寒さで震えているのだろうと思った。自分もそうだったから。生理的な現象だと、そう無意識に判断していた。


「……斬殺水仙を、倒した時……」


 エイジがポツリと言葉を落とす。

 全員の連携で斬殺鬼に傷を付け、トドメの一撃を叩き込む時。その時も、坂之上の拳は震えていたはずだ。

 あの場にいた全員は、力を込めすぎたものだからと、特別気にもしなかった。ギリギリと拳を握れば、強力な殺人鬼を殺すのであれば、あれくらい手もブレるだろう、と。


 だがもし、それら全てが、――。


 三人はそれきり押し黙り、やがて沈黙に耐え切れなくなったエイジは、配給の『おかわり』を貰うために立ち上がった。

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