21 英雄の条件

 その日。世界から茜色が失われて久しい、暗闇の夕刻。

 兵士としての座学、実技訓練、歴史等に関する講義を終えた坂之上は、魔導機甲兵団支部の敷地内をウロついていた。

 歴史どころかこの世界の常識にも疎い坂之上は、ヘルシング教官からの特別個人授業を受けることとなっているのだ。そのため、舞姫や三四郎などの『いつものメンバー』とは別行動となる。

 そんな彼らと合流し、夕飯を食べるため食堂にでも行こうか――と、思っていたはずなのに。


「……これは完全に迷ったな」


 冷静に状況を把握して、独り呟く。

 支部の敷地内であるのは分かる。しかし周囲には似たような造形の建物が多く、ここへ来て日の浅い坂之上には、どれが食堂のある第一支部棟だったか思い出せない。

 いつもなら誰か他の人がいたため、特別迷うこともなかった。しかし自分一人だけとなると、どうにも土地勘を見失う。


「……そうだったな。そういえば俺は、昔から方向音痴だった……」


 いつも前を歩く『親友』の背を追っていれば、道に迷うことはなかった。

 隣に『彼女』がいてくれれば、どこへでも行けた。

 だが自分一人になってしまった途端、この通りの有様だ。

 すっかり忘れていた事実を不意に思い出し、坂之上は自嘲的な寂しい笑みを浮かべるだけだった。


 そんなことを思いながら現在地も分からず歩いていると、何か甲高い音が聞こえてきた。機械のような、しかし魔導機甲とはまた違う駆動音。それが坂之上の耳に入った。

 誰かいるかもしれない。そう思って坂之上は、その音のする方向へ歩を進めた。


 そこは、ワイヤーカバーに包まれた電球の光が照らす、個人用の兵器工房だった。

 何に使うのもかも分からない無機質な工具。巨大な機材。そして大小様々なドリル、ドリル、ドリル。

 その中心でアーク溶接の光と熱とオイルの匂いに囲まれている人物は、坂之上の気配を感じ取って振り向いた。

 溶接マスクを外した作業着姿のその女子は、まさに『豪華絢爛』といった言葉が似合う美しい顔に、不思議そうな色を浮かべていた。


「あら、こんな所に何の用ですの?」

「食堂に行こうと思ったら道に迷ってしまってな。……ここはキミのアトリエか」


 支部内の兵士達から『オドリルコ』などと称される川端踊子。その言葉も納得の、見事にドリルばかりが散らばった工房を見て、あだ名の意味を理解しない者はいないだろう。

 現に彼女は今も、溶接して新しいドリル兵器開発に着手していたところなのだから。


「食堂へは反対方向ですわよ坂之上さん。この支部に所属するなら、早急に地理を覚えていただかないと。それに服装も兵団規則に則って、ね」


 やはり坂之上の学ラン黒服は看過できないらしい。

 しかしそんな事は気にしてないと言わんばかりに、坂之上は踊子の作品を興味深げに眺めてみる。


「やはり浪漫溢れる見事なデザインだ。……まさかキミ自身が作っていたとは」

「金や権力に任せて発注するだけなら、無能にだってできますわ。ワタクシは自らの手で世界最強のドリルを作り出す。それこそが川端家の者としての使命とも考えています」


 金色の長い髪をたなびかせ、鉄粉とオイルに作業着を汚しながら、それでも踊子の意志を『美しい』と坂之上は感じた。

 他の兵士達とは違う。舞姫や三四郎、エイジやアリスと同じ、『人間の強さ』をその魂に宿していると。


「……素晴らしい。これだけの魔導機甲を操るんだ。支部内でもさぞかし有数の実力者なのだろう?」


 本部が崩壊し士気も下がっている今、手練は一人でも多い方が良い。踊子も共に戦う心強い仲間として頼りになるのだろうと、坂之上は何気なく質問したが――。


「……ワタクシは戦いませんわ」


 目線を下に落として小さく呟く。

 それは、彼女の強さに反して予想外の返答だった。


「ワタクシの魔力は特質系。他者よりも先天的に多くの魔力を持っているため、こんな事もできます」


 そう言って彼女は、手の平から10cm程度の青白い円錐を生み出す。それはゆっくりと回転しており、よく見ると魔力で具象化されたドリルであることが分かった。


「……マジックアイテムや魔導機甲の補助もなしにそんな芸当ができるとは、尋常じゃない魔力量だ」

「そう。ですがそれは逆に、並みの魔導機甲ではワタクシの魔力に耐え切れないということですわ」

「だから自作の魔導機甲を?」

「そう単純な話なら、良かったのですけどね」


 右手を握り締め、魔力のドリルをかき消す。

 昼間に食堂で会話した時の磊落さはどこへやら。事情を説明すればするほど、踊子の顔は暗くなりばかりだった。


「ここの支部長でもあるお父様は、魔導機甲兵団でも指折りの上層部員。『川端家』は兵団設立にも貢献した名家ですものね。……だからこそ、一人娘であるワタクシを戦場に立たせたくないのでしょう」

「体質と家柄、戦えない理由と戦わせてくれない理由、か……。俺には馴染みがなさ過ぎて、何とも言えないな」

「そうでしょうとも。むしろそれが幸運なのですわ。……私は戦いたい。戦えずとも、戦う皆さんの力になりたい。だから魔導機甲を作っているのですわ」


 踊子は工具を握りしめ、再び設計途中であったドリルに向き直る。輝く髪や肌が、汗とオイルに汚れることも厭わずに。ただひたすら真剣な目で、彼女なりの戦いを孤独に繰り広げていた。


「最強の魔導機甲があれば、人類の勝利は必ず近づく。戦死者も減る。どんな暗闇も岩盤も、ドリルという道具は風穴を空けて突き破っていくのですわ。どれほどの絶望が世界を覆っても、戦う勇気のある人間がどれほど減ろうと、ワタクシはその考えを曲げません」


 破裂音が、踊子の耳に届く。

 それは断続的に、何度も何度も。空気の破裂するその音は、坂之上は手を叩いて賞賛している音色だった。


「好きだ」

「……はっ!?」


 流石に踊子も素っ頓狂な声を上げてしまう。

 しかし人間至上主義者なこの男は、他に言葉が思いつかなかった。


「そういう頑固で非効率で、ともすれば愚かとすら吐き捨てられる『信念』ってやつが、その人だけが持っている信条が、俺は大好きだ」


 踊子は確信した。この坂之上雲という男は――ある程度察してはいたが――自分以上に変人ですわ、と。

 そして同時に、「自分と同じ部類の人間だ」とも。


「……そうですの。それは光栄ですわ。……少し余計な話が過ぎたようですわね。食堂までの道は、じいやに案内させますわ」


 そう言うと、既に川端家付きの老紳士が、いつの間にか坂之上の背後に控えていた。

 接近した気配を坂之上この俺に全く気付かせることもなく、見事な歩法だと感心した。


 工房を去る際、坂之上はもう一度踊子の方を振り向いた。

 しかし彼女はもう既に自分だけの世界に没入し、これから図面と長い長い睨めっこを開始するようだった。


「……『戦えない理由』は、『戦わない理由』と何の関係もない。また近いうち、同じ死地で共に並び戦おう、川端踊子さん」


 その言葉が、彼女の耳には届かずとも。

 坂之上は満足げに、一歩踏み出していった。

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