極夜の国の流血鬼
及川シノン@書籍発売中
第一夜:やってきた僕らの無敵メガネ
1 諦めを受け入れなかった男の話
「……います! 応答願います、本部! 応答願います!!」
吹きすさぶ雪の中、長い黒髪の少女は無線機に向かって悲痛に叫ぶ。
寒さから身を守る純白の軍服には雪が積もり、彼女の身体と銀世界の境界を曖昧にしていた。
しかしそんなことに構わず、少女は雪の大地に這いつくばって叫ぶ。通信機を背負ったまま息絶えた仲間から、無線だけを剥ぎ取っている余裕はなかった。
「
彼女の叫びに返答する者はなく。
吹き荒れる風雪の中に、壊れたラジオのような砂嵐音だけがむなしく溶けていくばかりだった。
「ええい、援軍はまだか訓練兵! 何をチンタラしておる!!」
そんな時。斜面を転がるように、恰幅の良い中年が少女の下に転がり込んでくる。
彼もまた白い軍服を身にまとい、その手には金色に装飾された『チェーンソー』が握られていた。
悪趣味で金や権力が好きな彼らしい兵装だわ、と少女は思った。しかし、今はそんな個人的感情などどうでも良い。
「何度も通信を試みています! ですが、この吹雪では……!」
舌打ちと共に、男は斜面を見上げる。
この大雪が止んで明日晴れれば、きっと良いゲレンデとなってスキーでも楽しめるだろう。だがこの状況で、悠長なことを考えられる余裕はなかった。
男の視線の先では今も、何人もの部下が『戦っている』。その数は20。兵団本部を出発した時には、80人もいたのに。
「や、ヤツを近づけるな! 何としてでも、ここで食い止めろ! 今日こそ、人類に夜明けをもたらすのだ!!」
男は部下達に激を飛ばす。しかしその張り上げた命令の声は、何種類ものノイズにかき消される。
豪雪が降りしきる自然音。
『機械』が燃料を燃やして駆動する音。
兵士達がその命を輝かせ、勇猛果敢に立ち向かっていく咆哮。
――そして、それらを
指揮官と、通信機を握る少女の眼前には、文字通りの『地獄絵図』が描かれていた。
「ひ、ひぃい……!」
今度は桃色の髪をした少女が、指揮官の中年と、通信を試みる少女の下へと駆け込んできた。
髪を振り乱し右足から血を流す少女は、涙ながらに蒼白な顔を浮かべていた。
「誰が後退して良いと言った! 戦え! たとえその命が尽きようと!」
「無理ですよぉ! あんなバケモノ、勝てるわけないんですよ! もう逃げましょうよぉ! マイちゃんもそう思うでしょ!?」
「えっ……」
突然に話を振られ、困惑する少女。しかし、その手からは通信機を離さない。
「貴様……ッ! 敵前逃亡は重罪だぞ! 貴様のような敗北主義者は、今ここで俺が……!」
「ひぃ……!」
しもやけ気味の顔を更に赤くさせ、指揮官の男は回転していないチェーンソーを振り上げる。
怯えきった桃色髪の少女は、『マイちゃん』と呼んだ黒髪の少女の背後に身を隠す。
仲間内で争っている場合ではない。黒髪の彼女がそう説得しようとした、その瞬間――。
「――それは良くない」
指揮官の背後から、男の声がした。甘美で優雅な、艶やかな魅力をもった魔性の声が。
その声を聞いて、全員が戦慄した。
そして気付いた。気付かされた。
いつの間にか、戦いの音は止んでいた。
「麗しい少女の血液は美味なのだ……。その中でも、生娘の血は格別だ。無駄に溢してはいかんぞ隊長さん」
指揮官は、振り返ることができなかった。
眼前の部下二人は、今も恐怖に震えている。使い物にはならないだろう。
部隊も壊滅した。『敵』に背後を取られ、人生でも最大級の失態だ。
「……ナメるなよ、バケモノがぁぁぁぁぁ!!!」
しかし。指揮官は振り向きざまにチェーンソーで斬りかかった。
伊達や酔狂で討伐隊を指揮しているのではない。これまでの日々は、全て己の地位を高めるために費やしてきた。その労力を、ここで失うわけにはいかない。
――そんな想いすらも、一瞬で奪い去るのが『化け物』。
丸腰の男は目に見えぬ斬撃で指揮官の右腕を斬り落としてから、激痛に悲鳴を上げようとする彼の口元を掴む。
脂肪の乗った顔が恐怖に青ざめる。その握力は顔面の骨すら粉砕してしまいそうで、圧されたせいなのか血が噴き出す。
指揮官は右肩から大量の血をボタボタと流し、雪原に横たわるチェーンソーを――チェーンソーを握ったまま斬り落とされた右腕を、自らの血で赤に染めていった。
「お前の神に祈るが
「た、助け……!」
指揮官の命乞いを聞いて、男は残念そうに眉をひそめた。
そして人間離れした握力で、指揮官の頭部をトマトのように粉砕してみせた。
「堕肉にまみれた愚将め……。美学も分からぬ者は、我々の
指揮官への評価をつまらなそうに吐き捨て、男は指揮官の死体を高く放り投げた。
放物線を描く死体は最初から指定されていたかのように、雪山の斜面に群生する木へと突き刺さった。鋭い針葉樹の先端が指揮官だった肉塊を貫き、木の幹を伝い純白の大地へ朱を垂らす。彼の部下達と同じように、串刺しにされて。
「……こんばんはお嬢さん方。今日は良い天気ですね?」
そして人間味を感じさせない男は吹雪の中、白い歯を見せ微笑む。だがその笑みは、異常なる怪物そのものだった。
防寒着を着込まなければ活動できない少女達と違って、青白い肌の男は実に軽装だ。黒いタキシードにマントを羽織り、まるでこれから社交パーティーにでも出席するかのような出で立ちだった。
彼が見た目通りのジェントルマンだったなら、彼女達も絶望してはいない。
紳士の背後に広がる血の海。針葉樹に串刺しにされた同胞達。雪雲の切れ間から覗く真紅の満月を反射して、ギラリと光る口内の牙。
それらを見せられて、微笑み返すことなどできない。少なくとも、ごく普通の人間である彼女達にとっては。
「に、逃げようマイちゃん……!」
「っ……!」
『マイちゃん』の背で、桃髪の少女は小声で呟く。単に恐怖で声が出ないだけなのかもしれない。事実、尋常でない身体の震えは、寒さだけが所以ではないだろう。
だが逃走を提案された少女は、男から視線を外さずにゆっくりと立ち上がる。
その様子を男は、まるで演劇でも鑑賞するかのように穏やかな顔で見つめていた。
「……逃げてミオカさん」
「……!?」
あれだけ必死に叫んでいた無線機から手を放す。
代わりに、足元で積雪に埋もれていた『武器』を手に取った。彼女の戦う牙。唯一の希望。機械化された
「私が時間を稼ぐわ。その間に美丘さんは山を下りて、救援を呼んできて」
「そ、そんな……!」
「早く!!」
マイの怒声に、美丘は肩を跳ね上げ返事する。そして惨劇の場に背を向け、一目散に走っていった。
逃走する美丘を追うこともなく。むしろ男は、眼前の弓兵への興味を募らせているようだった。
「スンバらしいではないか……! その自己犠牲の精神、決意の表情! 合格点をくれてやろうお嬢さん。貴女はワタクシに吸血されるだけの価値がある」
「……悪いけどノーサンキューだわ。私、昔から注射や献血は嫌いなの」
絶体絶命の状況下で、汗と共に苦笑いを浮かべる。その水分も表情すらも、すぐに凍て付いてしまいそうだ。
だが彼女は死の低温を受け入れてはいなかった。まだ、諦めていない。生きるのだ。そのためにここに残り、戦うのだから。
「……名を、聞かせてくれるかいお嬢さん。ワタクシは第11真祖、『グレゴリー・ピスケス・リッチモンド』! 誇り高き
大仰なる名乗りを上げた『真祖』に対して、彼女はクールに応える。
「……魔導機甲兵団訓練兵、『
『吸血鬼』が、体勢を低くした。
空気抵抗を極限まで削り、己自身をカマイタチのような風刃へと変えるため。
来る――。そう確信した時、吸血鬼の『爪』は既に舞姫に届きそうになっていた。
「はああッ!」
叫び声と共に、横っ飛びに身体を投げる。それは本能的な反射反応だった。
風を切る音が鼓膜をなぞる。全身の産毛が逆立つようなカミソリ音に、舞姫は肝を冷やした。
すぐさま立ち上がり、吸血鬼を見据える。
攻撃スピードの余波で積雪が舞い上がっている。凍った大地を露出させるほどの風圧。
レールのような雪道を一直線に作り、その終着点でグレゴリーリッチモンドと先程名乗った怪物は、実に満足そうにしていた。
「まずは小手調べ。しかし良い反応だお嬢さん。鈍い人間なら、今ので胴と腰が離れ離れになっていたところだ」
「……それはどうも」
舞姫は吸血鬼との距離を測りつつ、『武器』を起動させる。
機械化された弓矢。通常の弓より総面積も重量もある特注品だ。反りの頂点、矢を
そのギミックを発動させるため、機械弓に取り付けられた無骨な『モーターエンジン』の、トリガーに指をかける。T字のトリガーを右手の人差し指と中指で掴み、そして勢い良く引き抜く。
トリガーの先端から伸びるワイヤーが、エンジン内のクランクシャフトを旋回させる。
そして勢いを与えられたエンジンは、白い排気を吐き出しながら
己に立ち向かってくる人間を、じっと見つめる吸血鬼。石油の臭いが煙に乗って、グレゴリーの鼻腔をくすぐる。
「『リコイルスターター』……。我々がいた世界でも、チェーンソーや耕作機によく使われていた技術だよ。ワタクシは土仕事とは無縁だったので、触れたことはないがね」
懐かしむような吸血鬼の感慨には答えず、舞姫は機械弓に矢を番える。
そして回転するモーターエンジンが射出部に高速の回転を与え、通常の弓矢よりも数倍の速度と威力で撃ち出すことを可能とした。
放たれ、風雪をものともせず突き進んでくる弓矢。
だが吸血鬼はかわそうともしなかった。
「!?」
舞姫は驚愕に目を見開く。
無防備な吸血鬼の腹に矢が刺さる。その直後、矢じりの先端に取り付けられた火薬が炸裂し、吸血鬼の胴体で爆発を巻き起こす。
爆炎はすぐさま吹雪でかき消された。しかしダメージは与えたはず。
だが――黒煙が消え去った後から出てきたのは、既に傷口を修復させ始めている
「そんな……!」
半歩、舞姫の足が後退する。
その瞬間には、全回復した吸血鬼が彼女の後方まで駆け抜けていった。
舞姫の右腕から鮮血が噴き出す。あまりにも鋭利な、刃物のような爪で斬られたせいか、痛みはあまりない。それでも、彼女の額には脂汗がどっと流れ出す。
「ッ……! ああああああああ!!」
「んん~。もう少し可愛らしい悲鳴が良かったのだがな。だがまぁ……これで右腕は使い物にならん。弓を引けぬ弓兵など、戦場に放り出された赤子のようなもの」
上空に浮かぶ赤い満月。これだけの吹雪の中、雪雲は赤い月だけを避けて通るように流れる。
そんな奇怪な天候を見上げながら、吸血鬼は悦に浸っていた。そして、滴り落ちる血液の音も聞きながら。
乙女の血が、雪の大地へ落ちていく。舞姫の右腕は力なくだらんと垂れ、左腕だけで機械弓の重量を支えるのも辛い。
「手足は削いだ……。ではゆっくりと、食事とさせて頂こう」
吸血鬼は芝居がかった口調で獲物の方を振り返る。
その瞬間。
吸血鬼の右腕に矢が突き刺さり、爆発が彼の片腕を吹き飛ばした。
「……!?」
これにはさしものドラキュラも動揺した。
粉々になった腕なら、また再生する。だが問題はそこではない。
吸血鬼は驚嘆し、そして賞賛した。己に立ち向かう、長い黒髪の少女を見て。
白い軍服を己の血で染めようと、右腕が使えなかろうと。それでも、『口で弓を引く』彼女の姿を目の当たりにして。
「フーッ! フー……ッ!」
舞姫は既に二の矢を番えていた。片膝付いて腰を落とし、弓を大地と水平に構え、矢をセットしていた。
そして右腕では引けないので、矢羽を口で咥え、ワイヤーの弦を限界まで引っ張る。
顎が取れそうだった。歯が全部壊れそうだ。涎が矢羽を濡らす。激痛と疲労から、自分のやっていることも馬鹿らしく思えていた。
それでもまだ、戦うことを辞める気はない。腕が折れようが足がもげようが、舞姫は弓を引く。
そんな小さき人間の偉大なる勇気を目の前にして、吸血鬼は笑いが止まらなかった。
「スンバらしい……! 血を吸い尽くして干からびさせるには、あまりにも逸材すぎる! ますます我が同胞に加えたくなった! 森、舞姫ぇぇぇぇぇ!!」
音速で迫る吸血鬼。
ギリギリまで照準を合わせ、そして、舞姫は口を開いた。
ワイヤーとエンジンモーターの力で射出された矢が、吸血鬼の脳天に突き刺さる。
常闇の世界を、火炎が一瞬赤く照らす。
――しかし。その輝きは一瞬だった。
また夜が来てしまう。そして黒煙の中から伸びてきた手が、舞姫の喉元を掴んだ。
「がっ……!」
軽々と持ち上げられる。呼吸ができず、脳に血液も回らない。
苦しい状況の中、眼下の吸血鬼を舞姫の双眸は捉えた。脳みそが半分見えている中、それでも驚異的なスピードで頭蓋骨の再生を行っている。
頭を吹き飛ばしても、殺しきれない。改めて、彼らと人類の圧倒的戦力差を見せ付けられた気分だった。絶望的と言っても良い。
「お前の神に、祈るが良いぞ」
ギリギリと、握力が込められる。朦朧とする意識の中、舞姫は、命乞いなど毛頭する気がなかった。神にも化け物にも、助けは求めない。
「人類、は……! 人間はッ、負けない!」
「……そうですかい!!」
グレゴリーは大きく口を開き、鋭い牙を覗かせる。そして一息に、舞姫の頚動脈へ噛み付く――。
――そのはずだった。
「『ミノタウロスの十字架』!!!」
上空からの声に反応した時には、既に吸血鬼の右腕は断ち切れていた。
解放され、重力に従い積雪へ落下する舞姫。何が起きたのか。その答えは、目の前の巨大な十字架が説明していた。
空気を吸い込み、脳に酸素を回す。そしてハッキリとした意識の中で、舞姫は見た。
舞姫と吸血鬼を分断した十字架に舞い降りる、黒い学生服の男を。
赤いマフラーと素敵なメガネが特徴的なその青年は吸血鬼に背を向け、窮地にあった舞姫を見下ろしていた。
「こんにちはお嬢さん。俺は貴女に会うために、今日まで歩いてきたのかもしれない」
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