第1回カクヨム短歌・俳句コンテストの告知をみて、「ちょっと面白そうだけど、全然未知の領域だな……」と尻込みしているかたもいらっしゃるのではないでしょうか。そんな皆さまに向けて、選考委員インタビューをお届けします! 今回は短歌の部・大森静佳さんに聞いた「短歌の読み方・作り方」です。
本記事で紹介している内容
▼短歌の読み方
・短歌の楽しみについて
・初心者におすすめの本・エッセイ・歌集など
▼短歌の作り方
・初心者が「短歌を詠もう!」と思った時に考えるべきこと
・「五七五七七」という短歌の定型について
・二十首連作部門に向けて、連作の作り方
・短歌を作る時は、どのくらい読者を意識する?
・短歌を初めて作る方に向けて、選考委員として期待すること
さっそくですが、大森さんが短歌を始められたきっかけは何だったのでしょうか?
高校生の頃、国語便覧で出会った短歌がきっかけでした。百人一首や、教科書に出てくる近代の歌を読んでいた頃はあまりピンと来ていなかったんですが、塚本邦雄や葛原妙子といった、いわゆる前衛短歌を読んで、「こんなにかっこいい言葉があるのか!」と衝撃を受けて短歌をつくり始めました。
元々ものを書くことは好きで、小説や詩、日記なども書きたいと思いつつ、なかなか続けるのが難しかったんですね。そこに短歌という、三十一文字の枠が与えられた時に、かえって「自由に書き続けられる」という感覚があって、続けてこられたのかなと思います。
短歌の楽しみについて、教えてください。
短歌のおもしろいところは、日常の目線とちょっと違う角度で世界をみれることだと思っています。たとえば、わたしの大好きな同世代の歌人の歌で、
洗い髪しんと冷えゆくベランダで見えない星のことまで思う
服部真里子『行け広野へと』
というのがあって。ふつう、「星を見る」といったら見える星のことしか考えないと思うんですけど、見えない星のことにまで思いを馳せているのがすごく魅力的で。自分の髪が冷えていく、孤独な、ひとりで地上にいる感じと、宇宙には見えない星もあって、見えてないけど光り続けている、というはるかな感覚が響き合う。近いものと遠いものが、一つの歌の中で鮮やかに響き合うのを感じられるのも短歌の大きな魅力だと思います。
円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる
吉川宏志『青蟬』
これも好きな歌なんですが、なんだかなぞなぞみたいだなと(笑)。金魚を円形の和紙(=ポイ)で水から引き上げると、「金魚は濡れる」ということを歌にしています。金魚すくいに初めて接したひとの視点みたいで、「円形の和紙」という表現も不思議ですよね。もちろん金魚は水の中にいる時も濡れているはずなのですが、水面から掬い上げて初めて、金魚の鱗の濡れている感じが目に見えるようになる。この歌を通して、「濡れる」という言葉の感触をもう一度掴み直せるんです。
こういった、本当に誰でも経験しているようなことをもう一度、新しい目線で「発見」できるというのも、短歌のおもしろさだと思います。
短歌と共にあることで、生活や、言葉の捉えかたにはどんな変化があるのでしょうか。
短歌は、歌集を読んで好きな歌を見つけたら、どんどん覚えていけるんですよね。歌集が手元になくても、自分が落ち込んでいる時に好きな歌を頭のなかで再生して、励ますこともできる。
また、短歌を通すことで、世界の見方に広がりが生まれるように思っています。先ほどの「洗い髪しんと冷えゆくベランダで見えない星のことまで思う」で言えば、その歌を読んだ後から、実際に自分自身で星を見る時も、服部さんの発想に同化する形で、「見えない星」のことを考えられる。
詩歌の中の言葉と、ふだん情報を伝達するために使っている言葉では手触りが全く違っているので、日常の語彙の外に言葉の箱を持っておけることで、呼吸しやすくなる感じがしますね。
初心者におすすめの入門書や、短歌についてのエッセイはありますか?
入門書もいろいろ出てはいるんですが、著者となっている歌人の価値観が色濃く出ているものになるので、まずは短歌のアンソロジーで好きな歌人を見つけていくのが、おすすめの短歌への親しみ方ですかね。ぱらぱらと読んで、好きな歌人を見つけて、そのひとの韻律や文体をいったん身体ごと味わってみる。そのあと、好きになった歌人の書いている入門書に手を伸ばすとよいと思います。
【おすすめ書籍その1】『短歌タイムカプセル』
東直子・佐藤弓生・千葉聡編(書肆侃侃房)
エッセイ的なものだと、こちらもおすすめです。
【おすすめ書籍その2】『あなたと読む恋のうた百首』
俵万智(文春文庫)
この本は、見開きに一首引用されて、その鑑賞(解説)が入っているんですが、「短歌ってどういう風に鑑賞したらいいんだろう?」という時に読みやすく、ためになるかなと思います。
また、「短歌ブーム」と言われている中で、短歌の出版社も増えて、今は2000円未満で買える歌集もたくさんあるので、本屋さんで立ち読みして、気に入った本を買ってみる、というのもおすすめです。
歌集では、北山あさひさんの『崖にて』はぜひおすすめしたい一冊です。
【おすすめ書籍その3】『崖にて』
北山あさひ(現代短歌社)
いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい
北山あさひ『崖にて』
結婚はそもそも「二人でするもの」と定義されますけど、北山さんは「結婚を一人でしたい」とうたう。伝統的な「結婚」に対しての疑いをユーモラスに詠んでいるのが魅力です。
北山あさひさんは北海道在住の歌人で、いろんな現代のテーマ、政治、経済、家族、恋愛といったことについて、あるいは社会全般への疑いや抵抗を、切実でありながら、非常にやわらかい、ひらかれた形で詠まれています。
恋人が兵隊になり兵隊が神様になる ニッポンはギャグ
北山あさひ『崖にて』
この歌は、発表当時、話題になった歌でもあります。戦争の「英霊」のことだと思うんですけど、自分の恋人が兵隊になり、その兵隊が戦死したら神様として靖国神社などに祀られる。そういうニッポン=日本はギャグみたいだよね? という。日本の歴史について軽やかに言い放ちながら、立ち止まって考えさせられる強さもある、すごくいろんなものが詰まったパワフルな歌集なんですね。
では、初心者が「短歌を詠もう!」と思った時には、最初にどんなことを考えると良いのでしょうか。
わかりやすいやり方の例として、大学一年生の時に作った歌で、
冬の駅ひとりになれば耳の奥に硝子の駒を置く場所がある
大森静佳『てのひらを燃やす』
というのがありまして。場面としては、「京都駅で、ひとと別れて黙って歩いている」というだけなんですが、一人になった途端に心がしいんとなる感覚を詠みたいと思って作りました。まず「一人になる」「静かである」ということからの連想で、一人、孤独、冷たい……冷たいからガラス、ガラスからチェスの駒を思い出して……という風に、どんどん言葉を書き出していきます。そのあと、書き出した中から使いたい言葉を選んで歌にしました。
ふと「何かを表現したい」と思った瞬間に、言葉を探していく、という意味では小説とも似ている部分がありそうですね。
そうですね。ただ、使える音が短いなかで「自分だけのその瞬間の感覚」を、生々しさを持って伝えるためには、先ほどの「硝子の駒」のような、映像的・具体的なイメージを探して選び取る作業をより大切にする必要があるとは思います。これを単に「寂しい」や「嬉しい」と書いてしまうと、記号的になってしまうので。
ちなみに、「これは歌になるな」ということは、その瞬間に直感的に掴んでいくのか、詠むなかで言葉を選んでいって形作られるものなのか、大森さんの場合はいかがですか?
推敲する段階ではこことここを入れ替えて……と冷静に作業しているんですが、「この感覚、この瞬間を歌にしたい」というのは、直感的に掴むことが多いですね。
そういうことって、日常に追われて生きていると流れていってしまうような気もしますが……
「短歌を作っている自分」がいると、 「ふだんの自分」が見ているぼんやりとした景色の奥に、ちょっと違った時間軸で世界が見える一瞬があるんですよね。その奥にある方をうまく掴めると、なんでもないようなこと(「ベランダから見える星」だとか、「金魚すくい」みたいなもの)が違った解像度で見えてくるようになるのかなと。
自分の中にある気持ちや思いを、「五七五七七」の形に整えていくことについて、お話を伺えればと思います。
三十一音って、意味とか状況を伝えるにはとても短いんです。なので、「金魚」だとか「星」のような、一つのことに絞るんですけど、そうやって自分が見ている景色を定型にした時に、「金魚」や「星」のイメージに、実物以上の象徴的な暗示力が生まれていく。そこに、そこに、短歌で表現することの面白さを感じられる。と思います。
あとは「五七五七七」は一つの音楽でもあるので、リズムを意識しながら定型にしていくのが難しくもあり楽しいところですね。
「五七五七七」のリズムを身体のなかに慣らしておいて、そのリズムに自分の気持ちをのせていく。そうして実際に作ってみると、ぴったり五七五七七になることもあるし、二つ目の「七」が八音になったり、短歌のリズムに対して、自分の気持ちの伸び縮みがズレとして出てくるようになるんです。短歌には、昔から字余り、字足らずがありますが、ぜんぶ「五七五七七」だけど、ぜんぶ違うリズムなんです。
「五七五七七」できっぱり節が分かれている訳ではなく、短歌のリズムは三十一音の中で揺れ動いているということでしょうか?
そうですね。「五・七・五・七・七」と、間を一文字ずつ空けて応募してこられるかたも居ますが、言葉を無理やり押し込めたような韻律ができあがってしまっている場合も……。ぶつぶつと切れていると、短歌というより、標語のような印象になってしまうので。
今回のコンテストには二十首連作部門がありますね。連作を作る際は、テーマから考えるのか、一つ一つの歌の中にテーマを見出していくのか、どちらでしょうか?
「家族の誰かが亡くなった」とか、テーマがものすごくはっきりと決まっている時はテーマから考えて歌を並べていきますが、はっきりと決まっていないことの方が多いので、そういう場合は雰囲気や世界観を頭のなかでイメージして、一首一首の呼吸を繋いで、全体としての流れを作る……という、ぼんやりした感じで作ってますね。タイトルは最後に付けることが多いですが、人それぞれだとは思います。
連作もなかなか図式化できないんですが、よく言われるのは、あまりテーマとか起承転結を意識しすぎないということですかね。
二十首だと、十九首や二十首めでいかにもな「おしまい!」の歌を真正面から出す、というパターンがあるんですが、そうすると余韻が失われて、読者は置いて行かれてしまう。タイトルについても、出来事の説明をしすぎないほうが作品としてのふくらみは出るかなと。
Web小説の場合は、「タイトルにどれだけ読者が気になる要素を詰め込めるかが勝負」という文化があるので、どうしても長くなりがちです。「説明しすぎない」ということについて、もう少し詳しく伺えますでしょうか。
短歌の連作は歌の中から一つの言葉を取ってタイトルにすることもわりと多くて、そもそも小説のタイトルとは役割が違う気がします。読者を惹きつけるような引力は持ちつつ、全部説明しすぎない、というさじ加減を意識してもらえると良いのかと思います。
説明しすぎは野暮、かといって飛躍しすぎてしまうと伝わらない……難しいバランスですね。作歌の際は、読者の存在をどのくらい意識されていらっしゃいますか?
わたしの場合、自分の手元で作っている時は全く読者を意識していません。純粋に、自分の感覚や心のうちを掘り下げて行って、三十一音になった時に初めて、自分じゃない、第三者になったつもりで読むようにしています。
短歌では、イメージからイメージにジャンプしていきますが、それがどこまでひとに伝わるかについては、誰かに読んでもらったりして、ひとの意見を聞きながら、「ここまで飛んでも大丈夫だ」という感覚を調節していく方法をよく取りますね。
読者の目を意識しすぎても自分の表現ができなくなってしまうと思うので、ある程度は短歌という器を信じてジャンプして、自分の心の中にある景色を、どんな言葉で一首に定着させるべきかについて、粘った方がよいと思います。
今回のコンテストをきっかけに短歌を初めて作る方に向けて、選考委員として短歌に求めるものなどがあれば。
ふだん、社会やメディアから、「こういう風に世界を見ろ」と仕向けられている見方から全く外れた形で現実を捉えさせてくれるような、新鮮さや個性を見てみたいと思います。
大森さんのインタビューには続きがあります!次回は「歌会のススメ」と題して、短歌を詠むことでつながることについてお話いただいた内容をまとめる予定です。俳句の部・西村麒麟さんのインタビューも公開予定ですので、お楽しみにお待ちください。
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