第28話 「湊」
「何を言ってるんですかミナトさん。こんなときに冗談を言うのはやめてくださいよ。酔ってるんですか? どうせパトリシアさんを掴まえて飲んでたんでしょう? だからお酒は減らした方がいいって言ってるんですよ。こんなわけのわからないことを言い始めるんだから」
「コヒナタ」
「まさかメグミに手を出したりしてないですよね。あんなうるさくて口が悪くて口うるさくて僕のことを見下しててあつかましくて図々しい妹ですけど、それでも僕の妹なんですよ。妹に手を出したらミナトさんであっても僕が許さないですからね」
「コヒナタ」
「ミナトさんがこのマシンに爆弾を仕掛けけるわけがないじゃないですか。どうしてそんなことをする必要があるんですか。意味がないじゃないですか。明日からどうやって『夜』を創るんですか。どうやってこの星を維持するんですか。そんなことはミナトさんが誰よりも彼よりもわかってるはずでしょう。そんなミナトさんが爆弾なんて、馬鹿なことを言うのはやめてください!」
「コヒナタ!」
ミナトの叫び声に、コヒナタは言葉を止める。
ミナトの顔に怒りは感じられない。いつもと同じ表情が、そこにある。
「悪い。コヒナタ。ごめん」
「謝るなんてミナトさんらしくないですよ! ミナトさんはいつもみたいに横柄に僕をこき使えばいいんですよ! それがミナトさんじゃないですか! 僕に謝るようなミナトさんは、ミナトさんじゃない!」
コヒナタは激怒する。
今まで味わったことのないくらいの怒りが、コヒナタの全身を支配していた。その怒りは純粋の感情ではなく、全てを受け入れることを拒否することで生じた怒りだった。ミナトの言うことを聞きたくない。ミナトの言うことを信じたくない。そんな願望が、コヒナタを激怒に走らせていた。
「意外だな」
口を開いたのは、ミナトに対峙している男だった。
「こんなに憤怒する人間だとは思っていなかった。それだけ貴様が慕われているということか」
「黙れ」
ミナトは対峙している男を少し下からじっと睨む。そこには、確かに怒りの感情が浮かんでいた。
「ふん。この期に及んで貴様がここに来たところで計画は変わらずに実行される。貴様は利用されていたことがわからなかったのか」
「そんなこと、重々承知していた」
「ならば、貴様はここに戻ってくる必要はなかった。私たちにとって、貴様の存在価値は爆弾を仕掛ける手引きと、この施設のセキュリティをダウンさせることだけだからな。計画が開始してしまえば、貴様などどうでもいいんだ」
コヒナタは、男の言葉を聞いて考えを巡らせる。
一つだけ、爆弾を仕掛けるタイミングは一つだけあった。
マシンメンテナンスの日だ。
セキュリティ上の関係でこの管理棟には関係者以外は基本的に立ちいることはできない。しかし、あのメンテナンスは外部からの業者が入り、数人の人間がマシンのあるコントロールルームに入ることができた。あの一件が、ミナトが手引きをして業者に受注したように見せかけ、実際は爆弾を仕掛けるために組織の人間を立ち入らせたのだとしたら辻褄が合う。
それならば、今爆弾を仕掛ける必要も、自爆テロをする必要もなくなる。そして今日この男が入ってきたときも、ミナトがセキュリティを解除して無効化すれば、侵入することは簡単だ。
コヒナタの頭の中で全て説明がつく。
しかし、いくら辻褄があったからといって全てを信じることはできない。
なぜミナトがそんなことをする必要があったのか。ミナトになんの利益があるのだろうか。コヒナタはには一切思い当たる節がない。マシンメンテナンスが決まった日だって、ミナトはマシンへの思いを語っていたではないか。そんなミナトが、マシンを爆破するなんてことがあり得るのか。
「貴様は正しいことをしたまでだ。自分の行動に誇りを持て。貴様の行動は、人類の革新の第一歩として永遠に人々の記憶に刻まれるはずだ」
「お前らが俺のことをどうでもいいと思っているように、俺もお前らの崇高な理念とやらには一切興味はない。これは、俺の問題なんだ」
男もミナトを見下ろして睨みつける。
「ふん。勝手にするがいい。どのみちこの爆弾を解除することはできない。あと15分もすれば起爆し、この星の中枢を、知識を持っている人間もろとも全て吹き飛ばす。そうなれば、この星の生活は全滅し、巨大新星への移住の計画を抹殺できる。その計画は、終わらせるわけにはいかないんだ」
「俺も、お前を行かせるわけにはいかない」
ミナトは男の腕をつかもうとする。しかし、ミナトの腕は、すうと空を切る。コヒナタの目にも、男の体がすでに半透明になっているのが見えた。
「このまま爆発に巻き込まれるわけにもいかないのでね。先にお暇させていただく」
男の体の透明度がどんどん上がって行く。これが、個人空間転移。
男は、コヒナタの方を向く。
「君にコーヒーを飲ませてあげられてよかった。最後の晩餐の味はどうだったかな」
男は、笑みを浮かべる。
「大丈夫だ。繰り返すが、苦しませることはない。一瞬で全てが終わる」
コヒナタは叫ぶ。叫びながら、透けていく男の体に向かって突進する。
「さらばだ」
男は完全に姿を消し、コヒナタの体は空を切る。体重を前に傾けていたため、そのまま床に向かって思い切り転んだ。
コントロールルームから、男の気配が失せる。
そこには、また静寂が戻って来た。
コヒナタの荒い呼吸だけが響く。
「どうして」
コヒナタは体をどうにか起こし、扉の前にいるミナトに向く。
「どうして、こんなことをしたんですか」
コヒナタには、ミナトに問いかけることしかできなかった。
全く理解することができない。ミナトを怒ることも、許容することもできない。コヒナタにとっては、何が起こったのかがまったく分からない状態だった。
「ミナトさんが、このマシンを壊す必要なんてないじゃないですか。ミナトさんはこの仕事に誇りを持っていたんじゃないんですか」
「コヒナタ。お前は逃げるんだ」
「何言ってるんですか。ミナトさんも一緒に逃げますよ。まだ間に合いますよ。その後に全ては聞きますから。さぁ!」
「俺は、ここに残る」
ミナトはマシンの前へと歩いて行く。そして、コヒナタが座っていた椅子にどかりと座る。
「死ぬ気ですか?」
「そうだ」
ミナトは、マシンを見ながら言う。
マシンは何食わぬ顔をしていつも通りごうんごうんと仰々しい音を立てて駆動する。そして、「夜粒」を増幅させている。
「何を言っているんですか。どうしちゃったんですか。死ぬなんて言わないで下さいよ。本当にあなたはミナトさんなんですか」
「あぁ。そうだよ。本物の俺だよ」
「嘘だ。ミナトさんは死ぬなんて絶対に言わない」
「お前が知ってる俺はな」
くるりと椅子を廻してコヒナタの方に向く。
「俺はこのマシンと一緒に死ななきゃいけないんだ」
「なんでですか。なんでそんな必要があるんですか」
「俺には、その必要があるんだ」
「なぜですか! そんな必要がどこにあるんですか」
ミナトは一瞬だけ間を空ける。
そして、コヒナタをじっと見た。
ミナトのこんな目を見たのは、コヒナタは初めてだった。
悲しみをたっぷりと湛えた、二つの瞳。
「俺が、『夜粒』を開発したんだ」
ミナトは、言った。
「ミナトさんが、『夜粒』を」
「そうだ。俺が、これを開発した。正確には、俺がリーダーだった研究チームが開発し、増幅させる仕組みも開発した」
「そんな大事なこと、なんで今まで黙ってたんですか」
「『夜粒』の開発はあいつが言ってた通り、国家機密事項だ。開発者の情報を外に漏らすわけにはいかない。たとえ、この管理棟の職員でもな。このことは、この星では俺しか知らない。この、俺だけしかな」
「じゃあ、ミナトさんは、この星が実験体だってことも、知ってたんですか?」
コヒナタはおそるおそる聞いた。
ミナトは、その質問には答えなかった。
ミナトが言い淀む姿も、コヒナタは初めて見た。
「何とか言ってくださいよ! 僕たちのことを騙し続けてたんでしょう! 僕たちとの関係だって、全ては実験の一部だったんだ。全てが仮想の生活だったんだ! あなたは、僕
たちと打算で付き合っていたんでしょう!」
「違うよ、コヒナタ。それは違うんだ」
「パトリシアさんにはなんて説明するんですか! あんなにミナトさんのことを思いやってる人、他にいるんですか? あの人との付き合いも、お酒も、実験で付き合ってたって言うんですか!」
「違うんだ」
「何が違うんですか!」
コヒナタとミナトの視線がぶつかる。
「仕事と、お前らとの関係は全く関係ない」
ミナトの背後で、マシンが駆動を続ける。
ごうんごうん、と『夜粒』を増やし続ける。
「公私混同できるほど俺は器用じゃないんだ。お前に浴びせた罵詈雑言も、パトリシアに向けた悪口も、俺の本心から出てる言葉だよ。間違いなくな」
「じゃあ、こいつとは腐れ縁なんだっていう言葉も嘘だって言うんですか。マシンに向けてた眼差しも偽物だって言うんですか? 僕を欺き通すためにしてた演技だって言うんですか。そんな演技ができるほど器用な人だったんですか! ミナトさんは!」
「それだって、本当だ。嘘なんかじゃない」
「なら、やっぱり爆破する必要なんてない! ミナトさんがそんなことする必要なんてないじゃないですか!」
「俺だから、あるんだ」
ミナトは椅子を廻し、マシンの方を見る。ミナトの表情は、コヒナタからは見えない。
「俺は、こいつの親なんだよ」
柔らかい声がコヒナタの耳に届く。
「子どもが何かをやらかしたら俺が責任を取らなきゃいけないんだ」
いつかのミナトの言葉が脳内にフラッシュバックする。親と子。そして、責任。
「もしかして、ジカンと『夜粒』の関係のことを言ってるんですか? そんなのあの男の嘘八百ですよ。『夜粒』が生命に悪影響を及ぼすなんてでたらめです。これまで12年間、この星は平和にやってこれてたじゃないですか。影響が出ていたら、もっと早く出ているに決まってます!」
「もう出てるんだよ。影響が」
ミナトは言う。
「コヒナタにも、及ぼしているはずだ」
コヒナタに、またあの姿が浮かぶ。
あの姿。コヒナタと同じ体格の、あの姿。
「そんなもの、ありません」
「いいんだ。もう、わかっているから」
ミナトは何をわかっているのか、コヒナタはわからなかった。
「コヒナタ、『夜粒』はどうやって増幅していると思う?」
「なんですか、突然」
「いいから。どうやってると思う」
マシンの電源は電気だ。電気で増幅させているのか。そもそも、「夜粒」自体が何で出来ているかもコヒナタにはわからず、わからないものをどうやって増幅させるかなど想像することもできない。
「わかりません。いろいろな資料を探してみたんですが、『夜粒』の仕組みはどこにも書いてなくて。多分、隠蔽されていたんでしょうけど」
「『夜粒』は分裂している」
ミナトははっきりと言った。
「分裂。どういうことですか」
「細胞分裂だよ」
「なんの比喩ですか。それは」
「比喩じゃない」
比喩じゃない?
それじゃあまるで。
「『夜粒』は、細胞だっていうんですか」
コヒナタは自分で言っていて、意味がわからなかった。「夜粒」が、細胞? どういうことだ。
「その通りだよ。『夜粒』は一つ一つが細胞なんだ。一つ一つの『夜粒』が核を持ち、一つ一つが生命活動をしている。そして、一つ一つの『夜粒』が分裂をして増えているんだ」
「僕を、どれだけ混乱させれば気が済むんですか。言ってる意味がわかりません。まるでそれじゃあ『夜粒』が生きているみたいじゃないですか」
「そうだ。『彼ら』は、生きている。そして、日夜このマシンの中で生活をしている。そして生命維持をしているんだ」
「何をエネルギーにしているっていうんです。僕はこのマシンに餌をまいたことなんてないですよ」
「月に一度だけ、アンプルを注入している。僅かな栄養剤をな。それもコヒナタには黙っていたが。それ以外は、別のものを食って『彼ら』は生活している」
ごうんごうんという駆動音が全く別の音に聴こえてくる。この音は、マシンの中で何をしている音なのだろうか。
「『夜粒』は、自分を喰ってるんだ」
「は?」
「細胞分裂した親を子が喰って、エネルギーを補給している。つまり、共喰いだ」
「共、喰いって」
「まるで生まれたての昆虫が、自分がそれまで入ってた卵を喰うみたいにな。マシンの中で培養され、分裂し、空に散布される。そして、また回収されたマシンの中で、分裂した子が親を喰い尽くす。そして、それで得たエネルギーでまた細胞分裂し、また散布される。『彼ら』は、それを繰り返しているんだよ」
その言葉を聴くと、今まで愛着を抱いていたマシンが、全く別のものに見えた。
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