第8話 「追」

 この星はまだ基本的に車両にはタイヤがついている。タイヤがなく、空中に浮遊する形で前進する反重力車両専用の道路がまだあまり敷かれていないからだ。地球や月に関してはほぼ全ての自家用車などは反重力車両になり、タイヤは無くなっているが、この星や火星は普及が遅れている。

 しかし、そんな中でも緊急車両として全地形対応型の反重力車両がこの星にも5台だけ配備されている。その車両であれば、専用道路でなくてもどこでも走ることができる。エンジンとタイヤとは違い、理論上スピードに上限はないが、安全装置によって(地球での)時速500キロまで出せるように設定されている。この乗り物よりもスピードが速い乗り物はこの星には存在しない。

 その車両が、「朝」と「夜」の管理棟にあるガレージの真ん中に2台配備されている。何か気候状況で問題が発生した場合にはそれに乗って調査することができるようになっているのだ。


 コヒナタが、ガレージに行ってみたときには、2台配備されているうちの1台は忽然と姿を消していた。

 これに乗って、彼女、「ホシノさん」がジカンを探しに行ってしまった。

 重要なのは、「反重力車両に乗ってジカンを探しにいった」ということだ。

 ただ歩いて探しにいくのとはわけがちがう。この車両に乗ればかなり広範囲を捜索することができるだろう。おそらく、この星に配備されている残りの3台も捜索に借り出されているに違いない。

 彼女にもジカンが朝の世界で見つからないという情報は伝わっているはずだ。つまり、そこから導き出せる結論は一つ。


 ホシノは、夜の世界に行ったのだ。


 あの摂氏マイナス90℃の死の国に、ホシノはジカンを探しに行ってしまったのだ。そうとしか考えられない。おそらく、月よりも小さいこの星ならジカンの通路を辿っていけば4時間ほどで夜の世界に突入してしまう。

 コヒナタたちが使うことは滅多にないが、この管理棟にも一応夜の世界に入るための耐久スーツは用意されている。もちろん、「朝」の部門にも。


 コヒナタは「夜」のコントロールルームまで走って戻る。 

「どうだった、コヒナタ」

 ミナトはまだマシンにつきっきりだ。声だけでコヒナタを迎える。

「やっぱり反重力車両が1台ありませんでした。ちょっと確認取りたいんで電話借ります」

 コヒナタは受話器を取って「朝」の部門に連絡を取る。


「もしもし」

「『夜』部門コントロールルームですが、そちらの夜用耐久スーツって、保管されたままになっていますか?」

「耐久スーツですか? ち、ちょっとお待ちください。確認いたします」

 コヒナタの動揺につられてか、電話の相手も受話器をそのまま落として確認しにいった。

 少ししてから、受話器にノイズが走る。

「ありません」

 コヒナタの受話器を握る手が強くなる。

「耐久スーツ、一着ありませんでした」

「じゃあ」

「おそらく、ホシノさんが着て行ったんだと、思います」

 「朝」部門の職員も、耐久スーツがないということがどういうことか、既に悟っているようだ。

「わかりました。ありがとうございます」

 受話器を戻す。その手には汗がにじんでいる。

 呼吸が荒くなる。心臓が嫌なリズムで鼓動を打つ。冷や汗が全身から絞り出される。


「なかったのか、耐久スーツ」

 ミナトは言う。数値の設定が終わったようで電話の横に佇むコヒナタの方を向いている。

「はい。ありませんでした」

「つまりは」

「夜の世界に、行ったと思います。ジカンを探しに」

「ふむ」

 ミナトは、腕を組み考え込む。


 なぜ、ホシノは危険を冒してまで夜の世界に行く必要があるのか。その疑問がコヒナタの頭の中をぐるぐると渦巻く。コヒナタにとって、彼女の外見から受ける印象とその行動がどうしても一致しなかった。確かに、コヒナタもそれは自らの独断と偏見であるということはわかっているものの、夜の世界に行くという突拍子もない選択をするようにはとてもじゃないけど見えなかった。どこか理知的であり、その冷静な表情からは全く考えもつかない。人は見た目で判断できないということなのだろうか、コヒナタは頭を掻きむしる。


「コヒナタ」

 ミナトの声に我に返って声の方を見ると、ミナトの厳しい眼がコヒナタを捉えていた。

「はい」

「追いかけろ」

 ミナトは短く言い切る。

「追いかけるって、彼女をですか?」

「そうだ。俺はこの場所を離れるわけにはいかない。保安隊もジカン捜索でみんな駆りだされちまってる。一応、このことは保安部門にも廻しておくが、管理棟の人間が勝手に起こした騒ぎを対応してくれるかどうかはわからない」

「だから、僕が?」

「そうだ。他に誰がいる」

「でも、そんな危険なこと、保安隊に頼み込んで人を割いてもらったほうが、ホシノさんが見つかる確率も高くなるだろうし」

「コヒナタ」

 ミナトはコヒナタの言葉を遮る。

「そんなことを言ってる間に、彼女は夜の世界、つまり死に近づいてるんだ。彼女がどういう人間かは俺も知らない。だけど、万が一1時間のタイムリミットを破るようなことがあれば、凍死するのは間違いない。その瞬間が刻一刻と迫ってるんだ。その彼女を一番早く救えるのはお前だろうよ」

 ミナトの言葉がコヒナタの耳に飛び込んでくる。

 手が震えるのがわかる。

 足が震えるのがわかる。

 体全体が震えるのがわかる。


「彼女が死んでもいいのか」

 体が、びく、と震える。

「ここで飛び出さないで彼女が死んだら、お前はどうなるんだ」

 体の震えが止まる。

 しかし、冷や汗だけは滲み続ける。


「行け! コヒナタ!」

 そのミナトの言葉に弾かれるように、コヒナタの体は動いた。


 コントロールルームを飛び出し、複雑に入り組んだ廊下を駆け巡り、一目散に倉庫へと向かう。その時は、管理棟に到着したときに感じた煩わしさなどは微塵も頭にはなかった。ただ、そこにあるのは「彼女を助けなければ」という想いだけだった。

 倉庫に入り、一番奥でほこりを被っているロッカーを勢いよく開けると、そこには2着の耐久スーツがある。そのうちの1着を急いで着用した。以前、研修のときに一度着る練習をしたのだが、まさか自分が着るタイミングが訪れることなんて想像もしていなかったということもあり、真面目に取り組まなかった。しかし、そんなことを悔やんでいる暇もコヒナタにはない。四苦八苦しながらどうにか分厚い耐久スーツを身に纏うと、腰にあるスイッチを押す。すると、体にフィットするサイズに変形をする。あとはロッカーの中にあるヘルメットをかぶる。前面が強化ガラスになっていて、視界は良好だ。

 全て着用が済むとすぐに倉庫から出る。


 コヒナタはまた入り組んだ廊下を走る。しかし、躓いて転倒する。勢いづいていただけに廊下の壁に体が叩きつけられる。耐久スーツを着用すること自体にも慣れていないのに、それを着て走るのだから当然動きもおぼつかない。コヒナタはすぐに立ちあがって再び走るとするが、また足がもつれて転がる。それでも、コヒナタは起き上がり、走った。


 やっとのことで管理棟から出て、ガレージに向かう。

 片割れを失ったもう1台の反重力車両に跨り、指紋認証をして駆動させる。愛車とは違って、エンジンの音や振動が体には伝わってこない。しかし、確実に車両の能力は作動し、コヒナタの足は地面から離れる。


 その浮遊感によって、コヒナタの頭が少しだけ冷静さを帯びてきた。

 そういえば、反重力車両を運転するのは地球にいたとき以来だっけか。まだ運転できるのかな。間が抜けたような自分の声がコヒナタの耳の奥で聴こえる。

 そんな声を噛み殺して、コヒナタはハンドルを握り、右のグリップをぎゅっと握る。


 瞬時に車両はトップスピードに到達し、朝と夜の狭間の世界を駆け出した。

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