第7話 「消」

 異変を知らせる電話が鳴ったのは、冬にさしかかった頃の夜にさしかかる時間帯だった。

 

 コヒナタはその日の「夜」は非番で、「夜」になるのが近付く時間に起きてテレビでニュースを観ていた。テレビでは、地球でのニュースが放送されていて、内容は政治犯によるテロ事件に関するものだった。どれだけ科学が高度化されても、経済が潤滑化されても、人間の思考がシステム化されても、それを疎ましく思う勢力は必ず存在し、根絶されることはない。コヒナタは、自分勝手だとは思いつつも、やはりこの平凡を改めて確認した。確かに流れているこの時間を、やはり愛した。しかし、コヒナタはどこかでわかってたのだ。この時間の流れだって、無条件にいつまでも流れる保証はどこにもないということを。皮肉にも、コヒナタにかかってきた電話はその事実を突き付けるものだった。


「ジカンが来ない」


 電話の向こうにいるミナトは普段は発しない、切羽詰まったものだった。

「え?」

 数秒の間の空白を経て、やっとのことでコヒナタは言葉を返した。

「ジカンが『境界の広場』に来ないんだよ。いつもの時間に通らないと思った住人が通報してわかったらしい。それで捜索してみたら、ジカンが通路を通った形跡がないらしいんだ。仕事で管理棟に来てみたら『朝』部門も大慌てだ」

 ミナトの言葉を聞いて、目の前にあった部屋の壁がぐにゃりと曲がったような気がした。

 

 ジカンが「境界の広場」に走ってこないということは何を意味するのだろうか。その疑問、問題提起が頭にふと浮かんだところで、コヒナタは部屋から飛び出した。着替えも歯磨きも髪のセットもせずに(髪のセットは常日頃から一切してないが)、下駄箱の上に置いてあった愛車のキーを持ってドアを開けていた。

 

 キーを差し込み、エンジンの振動を感じる暇もなくアクセルを回し、バイクをスタートさせる。出勤するときにはいつも通っている道だが、いつもとは違った景色で見える。よく、片想いをした人が「いつもとは違う風景に見える」と言ってカラフルな描写をする漫画などによく出会うが、今のコヒナタの前に広がっている風景はその逆だ。ほとんど色がない、灰色一色に染まった世界が目の前に広がっている、とコヒナタは妙な冷静さで自分が置かれている状況を分析していた。


 ジカンが姿を消したことなんてこの星の歴史が始まってから(と言ってもほんの10数年の短い歴史だが)はまだ一度たりとも起こっていない。コヒナタが触れた多くの資料の中にも書いてなかったし、開拓時代の日誌を読んだときも見たことはなかった。ジカンは、律儀にひたむきに、来る日も来る日も同じ道を同じスピードで走り続けていた。

 

そこでふと、コヒナタの頭の中に一つの考えがよぎった。

「まさか、僕たちのせいか?」

 

 この星はもともと変化する朝と夜という時間が存在しない。そのような世界では人間が文明を築いていくにはあまりにも環境が過酷すぎる。そのため、「夜粒」を使って擬似的な「朝」と「夜」を創造した。

 しかし、それはあくまで人間の生物学的な理由である。もちろん、人間だって日がずっと沈まなければ死ぬというわけではないだろうが、今まで営んできた生活に影響を与えるのは避けられない。

 そのことはジカンにとっても同じことなのではないだろうか。


 ジカンにとっては元々、朝と夜は常に交互に訪れるものだったのである。

 人間は基本的に定住する生き物だ。移住民族であっても一日で移動できる距離はたかがしれている。しかし、ジカンは違う。常に同じスピードで移動をし(人間の尺度で)半日にこの星を1周するのだ。そうすれば、朝の世界と夜の世界を交互に移動することで、人間と同じような時間の変化を獲得することができる。

 

 しかし今はまったく違う状況になっている。

 今まで朝だった世界を半分まで進むと、急に人間の手によって「夜」の世界にされてしまう。そして、夜の世界を通過し、本来は朝だったはずの世界に戻ってきて、その途中で「朝」の世界に引きずり戻される。今までジカンが享受してきた時間の流れとは全く違う時間、ジカンからしてみれば「時間」を生きなければならないのだ。つまりそれは、ジカンが持っていた「朝の世界を24時間で走り、夜の世界を2時間で通過する」という時間の営みを人間の手で破壊してしまっていることに他ならない。


 この変化が、ジカンの体に影響を与えない、と断言することは一切できない。狂った「時間」の中で、ジカンは生き、同じように移動し続けた。小さな小さな違和感がジカンの体を少しずつ、目に見えない形で蝕んでいたという事実はやはり否定できない。

 コヒナタの中でそのような想いがどんどん膨れ上がってくる。

 まだ、人間のせいでジカンがおかしくなってしまったと断言することもできない。しかし、決まった時間に来ないということはなんらかの変化がジカンの体に起きていることは間違いないのだ。

 

 そうではないことを祈りつつ、同時にその祈りすらもすでにエゴイズムから来ている祈りである、と思いながらバイクを走らせ、やっとのことで管理センターまでたどり着いた。バイクを置いて、管理棟まで走る。

 管理棟はこの星でも最重要機密機関に指定されているため防犯が非常に厳重に行われている。音声、指紋、虹彩認証を経てからではないとドアロックが解除されない。しかも、施設のなかも入り組んでいるし、コントロールルームの前にも扉がもう一つある。普段はなんとも思わない設備ではあるが、このような事態の中だとまどろっこしく感じてしまう。


 コントロールルームまでたどり着くと、マシンの前の椅子に神妙な面持ちのミナトが座っていた。

「ミナトさん! ジカンはどうなりました」

「まだ発見されていない。境界の通路から外れたところを走っている可能性もあるってことでこっちの世界をくまなく探してるけどどこにもいねぇんだよ」

 コヒナタはミナトがここまで緊迫した表情を浮かべているところを初めて見た。常に飄々としているだけに、コヒナタにもその緊張感が余計に伝わってくる。


「こうなってくると、夜の面で何かがあったとしか考えられないな」

「夜の世界で、ですか」

「朝の世界で見つからないとなればな。そうなると、かなり厄介だな」

「そうですね」

 夜の世界は極寒の世界であり、ジカンを捜索するには地球や月に駐在している調査チームに依頼をしなければならない。この星にある装備では30分も夜の世界にいることは出来ないのである。


「ひとまず、ジカンが『境界の広場』に来なくても、時計通りに『夜粒』の散布は実施する」

 ミナトはマシンに向き直り、数値を変更し始める。

「しかし、あいつが来ないことには気が引き締まらねぇな。まるで時間が止まったみたいだ」

 ミナトはため息を一つ付きながらそう言った。

「僕らのせいなんですかね」

「僕らの? どういうことだよ」

「僕らが、この星に来て、この星の時間を勝手にめちゃくちゃにしたから、ジカンの体がおかしくなってしまったんじゃないかって」

 コヒナタは不安に押しつぶされそうになっていた。どうにか、言葉にすることで自分の体から不安を排出しようとするが、それでも感情は体の中から湧き上がり続ける。

「人間がこの星に来て、この星で生活をしようとしなければ、ジカンは今も平気で回り続けていたと思うんです。ジカンの中の時間がめちゃくちゃになっちゃったんですよ。体内時計が狂って、自分が生きている時間がいつなのか、自分がどこを歩いているのかがわからなくなって、おかしくなったんです。全部、僕らが悪いんです。僕らのせいで、ジカンはどこかに行ってしまったんです」

 コヒナタは頭をぐしぐしをかきむしりながら思いついた言葉を口から吐き続けた。


「うるせぇ」

 その言葉を、ミナトは短い言葉で一刀両断した。

「ジカンが生きている姿にしても、死んでいる姿にしても、発見されない以上は原因を探ることは出来ない。それに、コヒナタがいくらそこで喚いてても歴史は変わらねーんだ。起こったことは起こったこととして処理しなきゃ前には進めないだろうが」

「でも」

「でも、じゃない。コヒナタの言うことが正しいとしよう。じゃあ、地球で人間が森林を伐採して街をつくったことも間違いだったのか? これまでの歴史で人間の手によって住処を奪われたすべての生物に謝罪しなくちゃいけないのか? 俺らがこの宇宙に生まれたこと自体がそもそも罪だったのか?」

 ミナトはマシンの数値を調整しながら淡々と話し続ける。この言葉は、いつもの飄々とした言葉でもなく、緊迫感に満ち溢れた表情でもなく、どこかあたたかく、コヒナタを包むような響きを持っていた。


「俺らだって他の動物と同じ生物なんだ。そうして同じようにこの一つの宇宙に生まれた。俺たち人間も他の生物の影響を受けながら生活しなきゃいけねーんだ。それを罪と言い始めたら、生物が生きること自体が全て罪になる」

 ミナトは言う。

「他の生物の領域を犯すことが仕方ないことだとは言わない。だけど、悪いこととも言えないんだよ。生きていくってのはそういうことなんじゃねーのか」

 コヒナタは、その言葉を涙目になりながら聞いていた。そして、その言葉を述べた横顔からは、どこか悲哀を感じた。

「少しは落ち着いたか」

「はい。すいません。取り乱してました」

「そうか。まぁこんな事態だ。混乱する気持ちはわかる。俺だって慣れた仕事なはずなのに手が震えてる」

 ミナトはそういって少し笑った。

 それと同時に、背後にある電話が鳴り響いた。

「とってくれ。今忙しい」

 ミナトの言葉に頷き、僕は受話器を取った。


「お疲れ様です」

 その声は「彼女」のものでない、別の「朝」部門の職員の声だった。この電話は基本的に「朝」部門と「夜」部門が連絡を取るためにしか使われない。

「ジカンが見つかったんですか?」

「いえ、違います」

 受話器の向こうの声は、焦りと興奮を隠せないでいた。


「ホシノさんが」

 ホシノさんという名前には聞き覚えがなかった。しかし、コヒナタにはその「ホシノ」という名前が「彼女」の名前であることが直感的にわかった。

「彼女に、何かあったんですか」

「飛び出して行っちゃったんです」

「飛び出して?」

 少し間が開く。


「ジカンが『境界の広場』に来ないってわかった途端、探しに行くって言って管理棟を出て行ってしまったんです」

 

小気味悪く、その言葉がコヒナタの頭に響いた。

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