第24話 「襲」
コントロールルームに到着し、「夜」の最終確認を済ませ、早めに電話をかけようとしていたところだった。
パトリシアが言うように、この電話にホシノが出たら翌日の記念祭に誘うつもりでいたのだが、なかなか通話スイッチを押せずにいる。断られたらどうしよう、そもそもホシノが出なかったらどうしよう。そうなったら根本的にチャンスすら逃してしまうではないか、という言葉がコヒナタの体に次々と生じてくる。
それに、この前はホシノにお礼をしてもらうという大義名分が存在していた。しかし今回はそれがない。ホシノを祭りに誘う必然性が存在しないということにコヒナタは恐怖した。
そうやって逡巡していると電話のベルが突然鳴り響いた。反射的に受話器を取る。
「もしもし、『夜』部門です」
「あ、コヒナタさん。こんばんは」
受話器からは紛れもなくホシノの凛とした声が聴こえてくる。
「あ、こんばんは」
どぎまぎしながら応える。
「『朝』番、終わりました。引き継ぎお願いしますね」
そんなありふれた、何回も聴いた言葉だが、今年度の初めの言葉とは明らかにその雰囲気は和やかになり、親しみ深いものになっていた。その変化を噛みしめつつも、コヒナタは頭の中で言葉を練る。
「あ、あの、すいません」
「はい? なんでしょう」
「明日の記念祭、一緒に、回りませんか?」
コヒナタが腹をくくる前に、言葉が先に飛びだした。
「記念祭ですか?」
「あ、いや、なんていうか、もし予定が空いてたらってだけです。僕もたまたま予定が空いてるので、いや、仕事でしたら全然断ってください。本当に、別になんでもないですから」
少しだけ間が空く。その一瞬の間が、コヒナタにとっては数時間にも長く感じた。
「えーと、特に予定もないので、大丈夫ですよ」
全く予想外の言葉が返ってきて、コヒナタの頭は一瞬真っ白になる。
「え、あの、いいんですか?」
「はい。私、記念祭って初めて行くんです。火星にいたころから映像では見ていたんですけど。映像で見てたときから、かわいくて素敵なお祭りだなって思ってたんです」
ホシノは朗らかに言う。
まさか、こんなにあっさりと了承をもらえるとはコヒナタは全く思っていなかった。
「あ、じゃあ、行きますか」
「はい。是非」
その声を聴くと、自然とホシノのふんわりとした笑顔が頭の中に浮かんでくる。
そして、よかった、とほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます」
そうコヒナタが言うと、ホシノは受話器の向こうでくすくすと微笑んだ。
「な、何か変なこと言いましたか?」
「いえ、なんでもないんです。じゃあ、明日お願いします」
「夕がたの5時とかはどうですか? ライトアップとかも観れると思いますし」
「コヒナタさんは大丈夫ですか? 『朝』、早くないですか?」
「早いです」
「ですよね」
「でも、大丈夫です。その分早く寝ればいいんです」
コヒナタはいつになくきっぱりとした口調で言う。
「わかりました。じゃあ、5時に『広場』でいいですか?」
「はい。『広場』の周辺でも、露店が出てますしね」
「私、新しいブックカバーが欲しくて」
「いいですね。僕もみたいです」
「あと、少し大きめのお皿とか」
「僕も箸置きが欲しかったんです」
「色んなところを観て回らないとですね」
「はい」
コヒナタは、これから来る明日を楽しみにするのは久しぶりだった。いや、それまで味わってきた楽しみを遥かに凌駕していたかもしれない。ジカンがゆっくり連れてくる今日という日をのんびりと生きてきたコヒナタは、到来するものを待ち望むという今の感覚をじっくりと噛みしめた。
「そうだ。この後コヒナタさんも研修ですよね?」
「あ、そうです。ホシノさんは残業ですか?」
「はい。残業なんて久しぶり。今日はジカンと会うのはお預けです」
「ちゃんと眠れますか?」
「あ、馬鹿にしてるでしょ」
ホシノはくすくすと笑う。コヒナタも、笑うことができた。
「じゃあ、また明日」
ホシノが言う。
「また、明日」
コヒナタも、その言葉に応える。そして、ゆっくりと、名残惜しいように受話器を置いた。明日が到来してしまえば、今日になってしまう。そこに一抹の寂しさも感じてしまう。
「また、明日」
受話器に手を当て、窓の向こうの管理棟に目を向けてコヒナタはもう一度呟いた。
そして、今はとにかく明日を楽しむことに専念することにした。寂しさは、終わってからじっくりと味わえばそれでいい。コヒナタは心の中で自分自身とそう誓った。
「君がコヒナタか」
突然、部屋の扉の方から声が飛んできた。
はっとしてコヒナタは声の方向に顔を向ける。そこには、コヒナタの知らない男が立っていた。
背は非常に大きい。他に比べる人間が近くに立っていないにもかかわらず、コヒナタは直感的に「でかい」と思った。おそらく2メートル近く、もっと言えば2メートルを超えている可能性もある。その高過ぎる身長に比べて体は非常に細身だった。針金のような、痩せぎすな体ではなく、付くべき量の筋肉をしっかりと孕んでいながらも細さを保っている、そんな体だった。
髪の毛はスーツと同じように黒いものの、瞳は輝くような緑色を湛えている。肌は白く、顔つきは西洋人のものだった。
漆黒のスーツと純白のネクタイを身に纏い、その上にボタンを留めずにピーコートを羽織っている。そのキュートなボタンがついているピーコートと対照的に、男は全身から重厚な雰囲気を放っていた。煙草を加えている口の下、顎のあたりには綺麗に髭が蓄えられていて、ほんの少しだけ笑みを浮かべている。
「質問に答えろ。君がコヒナタか」
男は低く、地を這うような声で言った。
切れ長な二つの瞳は、コヒナタの体をしっかりと捉えて離さない。
「はい。僕はコヒナタですが」
電話から離れ、マシンにゆっくりと近づきながらなんとか応える。
「どちら様ですか。このコントロールルームは基本的に関係者以外立ち入り禁止になっています」
「私は関係者だ」
男は決然と応える。
「この管理棟の職員の方ではない、ですよね。外部からの来客は入棟許可書を首から提げることが義務付けられているのですが」
「そんなもの私には必要ない」
男はゆったりとした仕草でピーコートの右ポケットに手をいれる。そして、小さなものを取り出す。取り出したものをぱか、と開いて加えていた煙草をそこに捨て、またポケットにしまった。
「規則で決められているので、出来れば規則に則っていただきたいのですが」
「規則に則ってないのはお前の方だ。コヒナタ」
壁のように固く、氷のように冷たく、錐のように鋭い声が、コヒナタの体に到達する。コヒナタは、一瞬息ができなくなる。
「今日、私がここに来た目的は二つある」
男は煙草を捨てた袋を持っていた手を肩の位置まで上げ、人差し指と中指を突き立てた。
「一つは、お前と話をすること」
男の喋り方には、抑揚がない。
対話を図ろうという意志はその言葉の中には感じられない。そこにあるのは、一方的に自分の考えを対面している相手にぶつけようとする意志しか、コヒナタには見いだせなかった。
「もう一つは」
男は、あくまで淡々と言った。
まるで、もうすでに決定した事項を、コヒナタに突き付けるように。
「『夜粒』を生成するマシンを、爆破することだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます