第25話 「珈」

「まぁ座れ。まずは一つ目の目的を達成しよう。私は、君と話がしたい。いや、しなければならない」

 男はコヒナタをマシンの前にある椅子に促した。コヒナタは言われるがまま、椅子に腰かけ、男の方を向いた。

 男は扉のところから部屋の中に入り、部屋の丁度中心で立ち止まり、コヒナタに対峙した。男はコヒナタとその背後にあるマシンに視線を向ける。

「俺も座らせてもらうよ」

 男は左のポケットから端末を取り出し、左手で操作する。その端末を自分の足元に向けると、そこに小さな椅子が現れた。背もたれのない、簡素な丸椅子だ。やはりゆったりした動作で端末を左手で弄びながら、出現した椅子に腰掛ける。


「あなたは、誰ですか」

 コヒナタは頭で様々なことを考えた末、口から出てきた言葉はそれだった。

 この男は一体誰なのか。とにかく、その情報を確定させたい。そうしなければ、男が言った目的の意味をしっかりと考えることができない。

 少なくとも、コヒナタはこの星でこの男を見たことはない。少ない知り合いにもいなければ、仕事関係の付き合いの中にもいない。しかし、男はコヒナタのことを知っている。どういう経路でこの男はコヒナタのことを知ったのか。


「それは私の名前を聞いているのかな。それとも肩書を聞いているのか」

 男は腕を組む。

「どちらでも構いません。あなたの身分を証明してください」

「それはおいおい話しながらわかっていくことだ。焦らずに話をしようじゃないか。まだまだ一日は始まったばかりだ」

 男はそう言いながら、微かな笑顔は絶やさない。その間にも、コヒナタの頭の中には疑問が生じ続ける。

 

 男は、どうやってこの管理棟の扉を突破し、誰にも咎められずに様々なセキュリティを抜けてこのコントロールルームに到達できたのか。

 職員であるコヒナタですら煩雑と思うほどに何重ものセキュリティを抜けないとここまで来ることはできない。しかも、そのセキュリティはただ職員証を照会するだけではない。他の施設、機関には廻さない予算を集中させてありとあらゆる生体認証を駆使している。他の部分はローテクに支配されているこの星で、最先端技術が使用されているのがこの管理棟のセキュリティシステムだ。ちょっとやそっとのプログラム攻撃では突破することはできない。ましてや、一人の力で突破することは夢のまた夢だ。その手段が、コヒナタにはどうしてもわからなかった。突破する方法を予想することすらもできない。

 他にも仲間がいるのかもしれない。コントロールルームの外はどうなっているのだろうか。他の階の職員たちは何をしているのだろうか。

 

 しかし、やはりコヒナタにとって大きいのはマシンを爆破するということだ。

 なぜ、マシンを爆破する必要があるのか。それはこの男の口から聞きだしてなんとしても阻止しなければならないことだ。

 それに、どうやって爆破させるつもりなのか。今からこの男が爆発物を仕掛けようとするなら、さすがに自分が必死になれば止めることはできるかもしれない、とコヒナタは思う。敵が数人いて、手足が縛られるのなら抵抗することはできないが、自由に体を動かせる状況だ。どう考えも今からこの巨大なマシンを爆破できるほどの爆発物を仕掛けるのは困難を極める。


 そこで、コヒナタの脳裏にある映像が浮かんだ。

 ジカンが消えた日の「朝」、テレビで観た、テロ事件のニュースだ。

 自分の体に爆発物を仕掛け、自分の体もろとも対象物を吹き飛ばす。このマシンを爆破するには、他には方法は考えられない。

 男が羽織っているピーコートの中には、何かが隠されているのだろうか。そう思うと、コヒナタの体に恐怖が走る。

 

 ここで男が自爆をすれば、マシンと共にコヒナタの体も木っ端微塵になる。

 しかし、問題はそれだけでは留まらない。

「夜粒」を創ることができなくなるということは、この空に「夜粒」を散布することができなくなるということであり、そうすれば「朝」と「夜」を創ることができなくなる。この星に住む人々は裸の日光を浴びることになり、人間としての生活を営めなくなるばかりか、生命に重大な危機を迎えることになる可能性がある。この星から地球や火星までの輸送手段もまだ定期便が一日一本出ているだけで確立はしていない。いくら少ない人口でも、この星から宇宙空間に逃がすまでに時間がかかる。


 自分はどうするべきなのか。

 やはり、今できることはとにかく男の話を聞くことだけだ。話を聞いてから、打開策を捻り出すしかない。そうコヒナタは決心した。

「なぜ僕と話をする必要があるんですか。僕はあなたのことを知りません」

「もちろん。これが君との初対面だからな。ただ、私は君のことを知っている」

 言いながら男は左手に持っていた端末を床にかざす。すると、そこに背の高い丸いテーブルが出現し、その上には木でできた器具が乗っていた。上には長いハンドルがついた鉄でできた瓶があり、その下には慎ましい木の箱が据えられている。箱の真ん中には小さな取っ手がついていて、引き出しになっている。


「君も飲むか」

「何をですか」

「何って、ミルで挽くのはコーヒー豆ぐらいだろう」

 コヒナタはそれを「コーヒーを作る機械」であると認識することはできなかった。

「そうか。ミルを見るのは初めてか。確かに、数百年前に使われていたアンティークだからな。現役で使えるのは人類文明の中ではもう数台だろう」

 端末をテーブルにかざすと、今度はマグカップが二つ出現する。模様もなく、つるりとした白いマグカップが二つ。

「このハンドルを廻して、豆を挽くんだ。そして、挽いた豆にお湯を注いでドリップをする。最近では自分でドリップをしてコーヒーを飲む人間もいなくなってしまった。そうして、そこに横たわっていた時間を無為なものだと判断し、排除していく。科学がもたらしたものは豊かさではない。時間の排除だけだ」

 そう言って、男はハンドルをがりがりという音を立てて廻す。

「人間の行為はすべて神の真似事に繋がる。人間が言葉を使ってフィクションを作るのは自らが神の営みを再現したいという欲望の現れであるように。その一環で、人間は科学によって時間を操ることに勤しんだ。しかし、時間を遅めることはしない。時間を排除し、軽量化し、使い捨てる。本来あった時間を、ないがしろにして人間は神に近づこうとした。その中で失われていったものの一つが、このミルだ」

 男は淡々と喋りながら、淡々とミルのハンドルを廻し続ける。がりがり、という無骨な音と共にコーヒー豆の豊潤な匂いがコヒナタの鼻にも伝わってくる。緊迫しなければならない状況であるにもかかわらず、そのかぐわしい匂いに魅了されている。


「時間を失うことは、こうした匂いを感じる瞬間も絶対的に減るということだ。それは罪なことだと思わないか、コヒナタ」

 ハンドルを廻す手を止めて、男はコヒナタをじろりと睨む。コヒナタはその眼光に怯みかけたが、どうにか自分を保つ。

 男は瓶の下に備え付けられている引き出しをゆっくりと空ける。すると、先ほどまで控え目だった香りが、解放されてコントロールルーム中に一気に広がる。コヒナタは思わず鼻でその匂いをすうと吸い込んだ。


「もう少し待て。今ドリップするから」

 端末をかざすと、別の器具とポットが出現する。ポットの細い口からは白い湯気が立ち上っている。

「この上の部分に挽いた豆を入れる。その中に湯を注ぐ。その湯は豆の味と匂いを吸い込みながら下っていき、黒い滴が容器に落ちる」

 男は豆を入れ、お湯をゆっくり、ゆっくり注ぎ始める。すると、下にぽたり、ぽたりと滴が一つ一つ落ち始める。

「あとは十分な量が溜まるのを待つだけだ。この滴が落ちている時間が、コーヒーの味をさらに高める。期待や欲望を人間の奥から抽出するための時間だ。この時間も、すでに排除されている。そんな時間の排除を、罪だと思わないか。コヒナタ」

 男はすでにコヒナタから視線を外し、一滴一滴落ちてくるコーヒーを眺めながら言う。

 コヒナタはその姿をじっと見つめる。一体この男が何を考えているのかがまったくわからない。


「しかし、その罪から逃れられる人間は誰もいない。かく言う私も、これだけの器具と家具を持ち運ぶ労力、時間を惜しんで運搬用収納端末を持っている。これもまた、人間の罪深き行為だ。しかし、そこからは逃れることはできない」

 そう言う男の目が物憂げになる。本当に、その事実を悲しむように。

「人間は時間を操り、また罪を深めていく」

 男の語りと同じように、黒い滴は淡々と落ちていく。ゆっくり、ゆっくり、確実に落ちていく。


「私は、裁きを下しにここへ来た」

 裁き。

「裁きを下し、そして罪を確定し、罰する」

 男は表情を変えない。

「僕は、裁かれるようなことはしていません」

「罪を犯すことよりも自らの罪を認識できないことの方が人間にとっては悲劇だ。人間の定義は罪を犯し、認識することだ。人は罪を犯すことから逃れられない。しかし、罪を認識することはできる。」

「僕が、どんな罪を犯しているというのですか」

 そこで、黒い滴の落下がぴたりと止まった。

 そして、男はコーヒーから目を離し、再びコヒナタを見る。そこには悲しみの色はない。笑みを湛えながらも、そこには微かな怒りが感じ取れた。


「君の罪は、『夜』を捏造していることだ」

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