第26話 「罪」

 コヒナタは、その言葉に絶句した。

「夜」の捏造。

「どうだ。思い当たる節はあるんじゃないか?」

 男は言いながら白いマグカップにゆっくりとコーヒーを注ぐ。濃密な琥珀色の液体が重力に従ってコップに流れ落ちる。湯気は湧きたち、それに遅れて濃厚な香りがたちこめて、コヒナタの鼻にも改めて到達する。それはドリップしているときに比べると比べ物にならないくらいに濃いものだった。

「まぁ一杯飲んでくれ。良いコミュニケーションにまず必要なものは良いコーヒーだ」

 二つのマグカップにコーヒーを注ぎ淹れたあと、一つを持って椅子から立ち上がり、コヒナタの距離を悠々と詰めていく。その巨大かつしなやかな肉体がコヒナタの網膜に映る。

コヒナタの目の前で立ち止まるっと、マグカップを差し出した。

「安心しろ。毒は入っていない」

 なす術もなく差し出されたコーヒーカップを受け取る。男はそれを見届けるとコヒナタに背を向けて、椅子へと戻って行く。

「君の罪は、毒などでは償わせない」

 男は低い声で言う。マグカップを持つコヒナタの手が固まる。

「安心しろ。罰は無苦であれ、というのが私たちの信条だ。罰せられる者を苦しめることは罰の本質から大きく外れる。罰の本質は罪の浄化にある」

 また椅子に座り、変わらず笑顔で話し続ける。

 体が緊張に支配されているコヒナタではあったが、重要な言葉を聴き逃すことはなかった。


「私たち」

 私たちという複数形の一人称は何を意味しているのか。

 ここにいるのは男だけではないということか。それとも今述べた男の考え方は男個人のものではなく、なにか組織の理念として共有されているということか。コヒナタは考える。

コヒナタは考えながら、手に持っていたマグカップを口に近づけ、コーヒーを口に含んだ。

 その瞬間に口いっぱいに、口だけではない、口から鼻の中に芳醇な匂いが駆け抜ける。そして、その中にいつまでも留まり続ける。深い味わいある、それでいて香ばしく、向こう側に甘さが垣間見える匂い。こんなコーヒーの匂いを感じるのは、コヒナタにとって初めての経験だった。その瞬間、コヒナタからふっと緊張が消える。

「どうだ。旨いだろう」

 そう言って男もマグカップを傾けて口に含む。

「うん。旨い」

 しばらく口の中でコーヒーを味わいってから男はため息をつくようにそう漏らした。

「あれだけの時間をかければコーヒーの味をここまで高めることができる」

 満足そうにそう言って、男はマグカップを机に置いた。


「さて、少しは落ち着いたかな」

 男が言うように、コヒナタの精神には驚くほど落ち着きが戻って来ていた。コーヒーの効果かどうかはコヒナタにもわからないが、男の声が先ほどよりも鮮明に聴こえる。

「さて、続きを話そう。私は、君の罪を裁き、罰しにきた。そして、君の罪は『夜』を捏造すること。それに対して、何か意見はあるかな」

 男は長い脚を丁寧に組む。コヒナタは両手にマグカップを持って男を見る。

「捏造、という言葉が含むニュアンスには少し抵抗はありますが、やっていることは確かにそれに相当していると思います」

「素直に罪を認めるか」

「でも、『夜』を創ることが罪だとは思えません。『夜』を創らなければ僕を含めた星の住民が通常の生活を送ることができなくなります。僕が特別だということではありません。この仕事は誰かがやらなければならなかった。それがたまたま僕だったというだけのことだと思います」

 コヒナタはなるべく淡々と自分の心情を語る。

 しかし、そう言葉を紡ぎながらも、コヒナタは違和感を抱えていた。


「それだけか。言いたいことは」

「言いたいこともなにも、それが僕のやっていることの全てです。それ以上も、それ以下もありません」

「本当は自分でもわかっているのだろう?」

 男はコヒナタを睨む。

 コヒナタの心の中に、不安が浮上する。

 夜の世界に向かう前、管理棟に向かうとき、そしてミナトにぶつけた疑問。

「自分のやっていることが、知らず知らずのうちに何かに影響を与えているのでは」

 男の低いことが部屋の中に響く。

「君はそう思っているんじゃないか?」

 落ち着いたコヒナタの精神が、また揺らぐ。

 マグカップを持つ掌に汗が滲む。

 コヒナタは男の目から視線を逸らさない。

 いや、逸らすことができない。

 コヒナタの視線は、男の視線によってがんじがらめに固定されている。


「君は、自分がやっていることの影響を全く考えなかったとここで誓うことができるか」

 いつの間にか、男の表情が消えている。

 そこに笑みはなく、怒りもなく、悲しみもない。

 平坦な表情がそこにあった。

 しかし、その表情にコヒナタは大きな恐怖を覚える。

 この男には全てが見抜かれている。

 何を言っても無駄だ。

 コヒナタの脳が、コヒナタの意識とは別のところでそう泣き叫んでいる。

 手がわなわなと震え始める。

「できないんだな」

 男にそう言われても、コヒナタは何も言い返すことはできなかった。ただ、男に意識を支配されるがままにそこに座っているのが精いっぱいだった。


「学名グランドテンプスコース、俗名ジカンは一度深い眠りについた。この星に調査団が到着し、彼を発見してからそんなことが起きるのは初めてのことだった。それは君もわかっているはずだ。その時点で、何かに気がつくべきだった。そうじゃないか?」

 額にも汗が浮かび始める。呼吸が少しだけ荒くなる。

「おそらく、君は『夜』を捏造することとジカンの深い眠りの間に因果関係を見つけだすことはできなかったんだろう。いくら日照のリズムが変わったとはいえ、それが本当の原因であると確信することはできなかった。いや、確信したくはなかったのかもしれないな。そうして、君はなんとか問題を先延ばしにしようとした。そうじゃないか?」

 コヒナタは、何も言うことはできない。

 ただ、男の言葉はコヒナタにとって真実以外の何物でもなかった。


「しかしだ」

 男は言う。

「その因果関係が論証されたとしたら、どうする?」

 男はそこで言葉を切り、コーヒーを一口すする。そして「旨い」とそっと呟く。

「論証なんて、できるわけないじゃないですか」

 コヒナタは震える声でそう答えた。

「できるとしたら、だ。そうなると話は違ってこないか」

 男はゆっくりとマグカップを置く。

「論証できるのならば、君は問題を先延ばしするべきではなかった。そこで『夜』の管理者として声を上げるべきだった。そして、自分がやっていることをもう一度顧みるべきだった。そして問題意識を広げるべきだった」

「広げるって、どういう、ことですか」

「この問題はジカンだけの問題ではないのではないか? ということだよ」

 男の顔に、笑みはない。

「『夜』の影響は、もしかしたら人類にも及ぶのではないか? ということだよ」

「そんなもの、あるわけ」

「ないと言い切れるのか? ジカンと『夜』の因果関係が論証されてもなお、捏造された『夜』は人類に何も影響は与えないと?」

「そもそもの仮定が間違っています。ジカンと『夜』の因果関係は論証されていませんし、論証されるまでにはまだまだ時間を要するはずです。まだジカンの生態データだって碌に取れていない状況なんですよ。論文の量だって少ない。『夜』の研究だって現在進行形で進んでいる技術です。その中に因果関係なんて、見出せるはずがない!」

「見出せるんだよ」

 男は、あくまで冷静に言う。コヒナタの虚しい叫び声を一刀両断するように。

 コヒナタは肩で息をする。


「君は幸せな人間だ」

 男の表情が僅かに緩む。

「君は、自分が持っているデータ、資料がこの世にあるものの全てだと思っているのか? 君は求めれば全ての資料を手に入れられると確信しているのか?」

「確かに、資料を検索するスピードや効率には限界はあります。でも、時間が許す限りは資料を探すことを努力しています。今のところでは連合政府図書館のデータベースに所蔵されている関連資料には全て目を通しているはずです」

「そういうところが幸せだと私は言っているんだ」

 男は、初めて語気を強めた。

「私が話しているのはそんな技術の限界のレベルじゃない」

「じゃあ、一体」

「意図的に公表されていないデータがあるということだよ」

 男は言う。コヒナタは一瞬言葉が口から出て来なくなる。


「そんな。連合政府が資料を隠蔽しているということですか?」

「そうだ」

「こんな僻地の星のデータを隠蔽して連合政府に一体なんの得があるというんですか。兵器はおろか軍隊も、資源も、国境もない小さな小さな連邦惑星なんですよ。住んでいる人間だって月の人口の半分以下じゃないですか。そんな星の資料を隠す理由なんて、見当たらない!」

「人類が、なんの目的もなくこんな僻地に住むとでも思うのか?」

 コヒナタには、その言葉の意味を正確につかむことができない。頭がいつもとは逆に回転しているように、混乱の上に混乱を重ねたように、コヒナタは困惑する。


「コヒナタ。君がしている『夜』の捏造は、確かにこの星には必要不可欠のことだ。それは間違いない。そして、君がしていることがジカンに影響を与えたこともまた、間違いない。それだけなら君だけの罪だ。わざわざ『夜粒』を爆破するほどのことではない」

 男はマグカップを持つ。そして、一口飲む。コヒナタも、同じようにコーヒーを一口含んだ。

「しかし、君個人の問題では済まないからこそ、そのマシンを爆破しなければならないんだ」

 男はマグカップを置き、残っているコーヒーを注ぎ、マグカップを満たす。

「君も飲むか」

 男はコーヒーが波打つ容器をコヒナタに差しだす。

「結構です」

「そうか」

 男は容器をコーヒーメーカーに戻し、またコヒナタに向く。


「それじゃあ、少しだけ昔話でもしよう。君に、君がやっていることの重大さをわかってもらうために」

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