第27話 「験」

「そもそも、なぜこんな星に人類は居を移そうと思ったのか。そう考えたことはないか?」

「あまりありません。僻地だとは思っていましたけど」

「そうだ。一番近い火星からはこの星はあまりにも離れている。定期便を増便することができないくらいにね。そのおかげで、大きな技術を搬入することもできない。反重力車両が走れないというインフラ整備の遅れ。そんなことはこの星を発見したときから発覚していたと思えないか?」

「そうかも、しれません」

「確かに、この星は自転速度以外の要素を除けば、人類が住むに適した要素は揃っていた。大気もあり、水もあり、土壌もある。これだけ揃っていれば今の技術を以てすれば住むことができる。しかし、それにしたって効率が悪過ぎる。そう思うだろう。『朝』と『夜』をわざわざ創りだしてまで、住まなければならない星の中なのか、と」

 コヒナタは日々の生活を少しだけ回顧する。炊事洗濯はもちろんのこと、食料の買い物、バイクの運転まで自分でこなしている。地球や火星であればこれほどのことは自動的にAIがこなしてくれる。そんな暮らしを放棄して、この僻地に移り住むということは、一体どういうことなのだろうか。

「大体、こんな小さな星に人間が移住しなければならないほど人類は切迫した状況を迎えていない。火星にもまだ余地はあるし、地球だって技術開発が進めば再び人間が生活を送ることができる土地は増えていくだろう」

「でも、やっぱり事情があったからこの星に移住したんじゃないですか」

「じゃあ、その事情っていうのはなんだ? 具体的に述べられるか、君に」

 コヒナタは言葉に詰まる。


「そう。人類にはのっぴきならない事情があったんだ。この星に住まなければならない事情がな」

「人口問題以外に、なんの問題があるっていうんですか」

「いや、問題の本質は人口問題であることは間違いない」

「でも、今は切迫していないって」

「まだ、切迫していないということだ」

「まだ?」

「そう。21世紀後半になって、地球だけでは人類の生活を維持できないことが公表されて月や火星への移住が始まったあの時以来、また人類は人口圧迫の危機にいずれ瀕することになる。今の無駄な技術の進化が続けば、確実にな。また、どこかで間違いが起きれば地球を破棄して完全外部移住をしなければならない日も来る可能性だってある。危機はいつでも隣り合わせなんだ」

「でも、そんなことが起きたらこの星だけでは賄えないんじゃ」

「そう。だから、本当の目的は『この星』ではないんだ」

 コヒナタはごくりと唾を飲み込もうとするが、口の中がからからになってしまっている。


「『この星』ではない、さらに巨大かつ資源が豊富であり、人類が住むに適した土壌が広がっている星。そんな星があったら、人類は移住したいと思うだろう?」

「そんな星、調査団が派遣されたことはおろか、発見されたことだって公表されていないじゃないですか」

 そう言って、コヒナタははっとする。男は、うっすらと笑みを浮かべている。

「つまり、そういうことだ」

 男はコーヒーを飲む。混乱したコヒナタの頭にはコーヒーの芳醇な香りはもう昇ってこうない。

「そんなことを公表すれば密航者が出て、調査団が星を調査する前に良くない輩が我が物顔で生活しかねない。まだ、誰の土地にもなっていないんだからな」

 コヒナタの頭の中で、勝手にストーリーが紡ぐられていく。新星の存在、この星の存在、「夜粒」の存在、そして、自分たちの存在。

「もう、説明しなくてもわかるかな。そこまで、勘が悪い男でもないだろう」

 頭に広がる最悪のストーリーをもう一度確かめて、コヒナタは絶句する。そんな、そんな、と心で呟いて、俯く。


「その新しい星も、朝と夜が、ないんですね」

「その通り」

 言葉を発するのもやっとなコヒナタとは対照的に、男はやはり淡々としている。

「第三太陽系が発見され、その第五惑星が人類が移住するには適した星であると判断された。しかし、その星も自転周期と公転周期が一緒なんだ。そのままでは灼熱の朝の世界と全てが凍てつく夜の世界がその星には広がっていて、人類は移住することができない。しかし、その星の発見とほぼ同じくして開発された技術が『夜粒』だ」

 男は、そこで少し顔を綻ばせるが、また表情を引き締める。

「画期的な技術だった。『夜粒』の開発によって、新しい星に移住することができる。しかし、そこである疑問が生じた」

「『夜粒』は、人体に影響を及ぼさないか」

 俯きながら、コヒナタは言う。

「そう。人類にとってまだ未知の部分が多い『夜粒』は、人類になんらなかの影響を及ぼすのでは、もっと言えば人類に害を与える物質なのではないか。そんな疑問が生じるのは至極全うなことだ。それでいきなり技術を導入し、新しい星で住み初めてから『夜粒』が人類にとって有害物質だったなんてことが判明したら大問題だ。連合政府が転覆する事態にもなりかねない。しかし、それを打開する策、切り札が連合政府にはあった。それが、この星だ」

 男は淡々と言う。

「新星の発見からさらに遡ること2年。連合政府の調査団は新星と同じように朝と夜がない星を発見していた。その星に調査団を送るも、星の規模が小さ過ぎ、開発の必要はないと思って捨てられた最果ての星。そこに、白羽の矢が立った。あの星を『夜粒』で運用してみよう、とな」

 それ以上、何も言わないでくれ、とコヒナタは願う。しかし、男は口を開くのを辞めない。

「『夜粒』を散布しても、人類になんの影響はないのか。本当に『夜粒』は人類にとって救いの物質なのか。『夜粒』は兵器転用される恐れがない技術なのか。それらをこの星で、連合政府は試した。いや、違うな。それこそ現在進行形で、試し続けている」

 やめてくれ、やめてくれ。コヒナタは願った。嘘だ。これは全て嘘なんだ。


「この星全体が人体実験場なんだよ。コヒナタ」


 男はきっぱりとそう言った。

「嘘だ!」

 コヒナタは立ちあがり、手に持っていたマグカップを床に叩きつけた。陶器が割れる音、液体が飛散する音、コヒナタの声の残響、それらがないまぜになって部屋に轟く。

 嘘だ。この星の人間が全て、実験体であるはずがない。

 僕も、ミナトさんも、パトリシアさんも、ジカンも、人々も。

 そんなはずがない。

 じゃあ、この生活は一体なんなんだ。

 この星の営みは、一体なんなんだ。

 全てが、実験なのか。 

 全てが、虚構なのか。

 コヒナタの頭の中に言葉が飛び交う。

 

 じゃあ、僕がホシノさんを想うこの心も。

 全ては、実験体なのか。

「そんなことがあっていいはずない!」

 コヒナタは、もう一度叫ぶ。

 しかし、男は何も起こっていないかのようにコヒナタを睨んでいた。何も聴こえなかったかのように、何も見なかったかのように。


「これは全て事実だ。全ての住人は連合政府の管理下にあり、生命状態を常に確認されている。だから、今回のジカンの件は管理者にとっては最大のデータ収集のチャンスでありながら、最大のピンチでもあった。もし、ジカンと『夜粒』の因果関係が見出されたりしたら全ての計画がなくなってしまうからな」

「でも、因果関係はあったんでしょう」

「あぁ。発見された」

「『夜粒』は、生命体に影響を及ぼすってことがわかったんですか」

「少なくとも、ジカンにはな。しかし人間にも確実に影響を与えている」

「それは、まだわからないんですか」

「あぁ。ジカンのデータはまだ検証中だからな。しかしだ、コヒナタ」

 男は言う。

「君には心あたりがあるんじゃないか?」

 コヒナタの頭の中には、男に言われる前から、ある存在のことが浮かんでいた。

「まぁ、そこの話をする必要はないだろう。いずれは『夜粒』が人類に及ぼす影響も立証される。ただ、問題はここからだ」

「問題?」


「連合政府は、その立証されたデータをもみ消そうとしている」

 コヒナタは目を見開く。

「そんな」

「連合政府は、もう人口膨張を救う手立ては巨大新星にまで居住区を拡大することしかないと考えている。もう、それはこの星で行われる実験が始まるときには首脳陣の頭にはあったのかもしれない。本来であれば、この星の実験で確証を得て、晴れて新星、新技術を公表するつもりだった。それも、おそらく時間の問題だっただろう。しかし、このタイミングでジカンが眠ってしまった。しかし、もう後戻りすることはできない。新星開発のための予算は組まれ、技術が次々と開発されている。後戻りするには、予算を注ぎこみすぎたってわけだ」

「それじゃあ、実験は無駄だったってことですか」

「やつらにとっては無駄ではなかっただろう。十分なデータを採取して、課題を見つけることができたからな。やつらはこれから課題を隠蔽しながらこの技術を公表し、人類の喝采を浴びる。そして、課題を解消するために研究を続ける。それがやつらの計画だ」

「僕には、理解できない」

「君の理解はこの際どうでもいい。なんにせよ、君はこの連合政府の思惑に加担してることになる。君たちがこの星の時間を操ることで、やつらはデータを採取することに成功した」

「僕は、そんなつもりで『夜』を創っていたんじゃありません」

「君の意志もどうでもいい。君がどんなつもりでやっていたとしても、君には責任の一端がある。そして、『朝』を創った人間にもな」

 コヒナタは顔を上げ、窓の向こうを見た。

 そこには、研修で残っているホシノや他の職員もいる。まさか、とコヒナタは戦慄する。


「だから、私たちはこの『夜粒』製造機を施設もろとも爆破し、消滅させる。それだけではない。この星の中枢機関は全て抹消し、この星を更地に戻す必要がある。これ以上データを採らせるわけにはいかない。これ以上実験を続けさせるわけにはいかない。これ以上、やつらの思惑を見過ごすわけにはいかない」

「そんなことをする必要があるんですか? 隠蔽している事実があるのなら、それを公表すればいいじゃないですか。罪を犯しているのは連合政府でしょう。だったら、罰するところが違う」

「事実を公表するには我々の力では小さ過ぎる。この事実は現時点の連合政府の最高機密であり、漏洩の事実が発覚した時点で政府の最高権力を使って抹消される。目をつけられてからでは遅い。それならば、先制攻撃をするまで。この星の施設を爆破し、この星の秩序を破壊する。そうなれば、施設爆破の原因が究明される。その段階で政府にも動揺が生まれる。その隙を狙って、私たちは各地で運動を起こす。その足掛かりが、この星なんだ」

 男は、ゆっくりと立ちあがる。ポケットから端末を取り出し、床に並ぶテーブルやコーヒーメーカーを端末に収納していく。


「どこまでこの星の生活を馬鹿にするんですか」

「馬鹿にしているのはやつら連合政府だ。私はその奴らの動きを阻止しなければならない」

「違う。あなたも馬鹿にしている。この星を、自分たちの思想の踏み台にしているだけじゃないですか。自分たちの活動のためにこの星を利用していることは、連合政府としていることは同じだ」

「違うな。彼らは人類を進歩させることだけしか考えていない。そうした姿勢が、全てのものを失わせていった。私たちの活動を機に、人類には立ち止まって考えさせなければならない。全ての人類に。自分たちの生活には正当性があるのか。自分たちが享受している科学技術は、本当に正しいものなのか。人は、長く生き続けることが正しいのか。人間の在り方とはなんなのか。それらのことを一度、全ての人類は考え直さなければならない」

「そのことと、この街を爆破することは関係ない!」

「関係あるんだ。君ら管理棟の人間から技術が継承されないように罰する。爆発すれば、この施設を中心に半径5キロまで爆破は及ぶ。この尊い犠牲は、全ての星で報じられ」

「そんな爆弾が一体どこにあるっていうんですか!」

「ここにある」

 男は、マシンを指差した。

「マシンに…。そんなものがあるわけないでしょう。爆弾を仕掛けるチャンスなんてなあかったじゃないですか」

「そう信じたいならいつまでもそう思っていろ。もう、全ては始まっている」

「なんで、あなたたちの勝手な都合で、この星が吹き飛ばされなきゃいけないんですか!」

「もう話しただろう。勝手な都合ではない。人類の未来のための犠牲だ」

「そんなもの、僕たちは望んでいない!」

「人類が潜在的に望んでいる」

「あなたの勝手な解釈だ」

「どうかな。人類は疲弊しているんだ。進み過ぎた科学、膨らみ過ぎた経済、分裂し過ぎた自我。それらから解放されるためには、一度立ち止まるしか手段はない」

 だめだ、この男と話をしても、何も進展しない。コヒナタはそこで悟った。

「あなたも、連合政府と同じだ」

「君がそう繰り返したところで、何も始まらないし、何も終わらない。この爆破で全てが始まるんだ。人類の真の進歩が」

「あなたは、歩くということを知らないんだ」

 コヒナタは、男を見詰める。

「あなたは、歩むということを知らない」

 コヒナタの頭には、ジカンの雄々しい姿が浮かんでいた。

「君と議論をするつもりはない。私は、少しでも君に罪の意識を抱いてほしかった。そして、その罪を抱えて死んでほしかった。罪はかならず裁かれ、罰せられなければならないから」

 そう言って、男は歩き始めた。

「逃げてもいいが、反重力車両と放送機器はあらかじめ破壊させてもらった。マシンから爆弾を剥離し、それを持ち出すことも、爆弾を解除することもこの星の技術では不可能だ。住人をこの星から逃がすこともできない。逃げるくらいなら、これまでの人生を回顧し、悔いることに費やせ」

「あなたは、どうやって」

「個人空間転移の技術くらい持ち合わせている。私はここで死ぬわけにはいかない。私には、まだやらなければならないことがあるんだ」

 

 それは、僕だって、同じだ。

 僕だって、明日やることがあるんだ。

 こんなところで死ぬわけにはいかないんだ。

コヒナタは拳を強く握り締める。


「では。来世に加護あれ」

 男は、扉の前まで向かう。

 コヒナタはその背中を見つめる。

自分は何をすべきなんだ。自分はどこにいけばいいのか。自分は。


「待て」

 扉が開くと同時に、声が聴こえた。

 いつも聴き慣れた、あの声。

 どこか乱暴だけど、どこか安心できる、あの声。

 酒の匂いがたちこめる、あの声。

「爆弾を解除しろ」

 声の主は、ミナトは、静かに言った。

 男は立ち止まる。そして、ミナトと対峙する。

「はやく、爆弾を解除するんだ」

 ミナトは静かにそう繰り返す。

 コヒナタはその声を聴いて、全身から力が抜けた。その場にへたり込んで、二人の様子を窺う。

 ミナトが来てくれた。それだけでコヒナタは安心し、希望を見出すことができる。大丈夫だ。なんとかなるかもしれない。ミナトさんなら、この事態をどうにかしてくれる。コヒナタは、心の底からそう信じた。

「ほう」

 男は口を開く。


「どういうつもりだ」

 

 男は、言った。

 どういうつもりだ。

その文脈を力の抜けた体の中でコヒナタは考える。

 どういうつもりだ、という言葉は「相手が予想外の行動を取った時」に発する言葉だ。

 つまり、言う側と言われる側に繋がりがあることを示す言葉だ。

「お前はここに来るはずではなかっただろう、ミナト」

 男は、ミナトの名前を呼んだ。

 部屋に、静寂が広がる。

「ミナトさん、どういうことですか」

 腰を抜かしたことも忘れ、体に再び力が戻り、コヒナタは立ちあがる。

 その後、体に一番強い恐怖感が湧きあがってくる。

「どういうことですか。どういうことなんですか」

 その男が、ミナトのことを知っている。

 それは、一体どういうことを示しているのか。

「どういうことなんですか! ミナトさん!」

 コヒナタは叫ぶ。

「答えろ!」

 コヒナタの叫びに応えるように、ミナトはコヒナタに顔を向ける。

「悪いな、コヒナタ」

 ミナトはいつもと変わらない表情を浮かべている。いつもと変わらず、鋭く、厳しい中に、優しさがちらりと見える表情。そんな表情で、ミナトは言う。


「爆弾を仕掛けさせたのは、俺なんだ」

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