第4話 「時」

 コヒナタは、受話器を元の位置に戻した。

 今日は、彼女の当番の日ではなかった。安心したような、期待はずれだったようなないまぜの気持ちが心の中にじんわりと広がっていく。

 マシンの元まで戻って数値を確認する。今日の天候、座標、散布量、散布ペース。それらの数値が全ての基本データと合致していることをしっかりと確認する。


 今日は始業前の準備が少しだけ早く終わったので、ジャケットを羽織って部署の外に出て、管理棟の外に停めてある愛車のバイクに跨って走り始める。


 この星にはもともと四季が存在しない。地軸が恒星に対して垂直に伸びているため、どこまで公転しても季節による自然な気温差は生まれない。

 その一定の気温を「夜粒」の調節によって人工的に変動させ、四季を発生させている。その気候操作は主に「朝」部門が行っている。気温、気圧、湿度を星規模で操作することで四季、さらには細かい晴れ、雨、雪、風速などの気候を操作している。日光を排除することが仕事のほとんどを占めている「夜」部門とは全く職務内容が違う。


 今は秋の終わりだ。南から吹く風がやはりぼさぼさに乱れたコヒナタの髪の毛を撫でて過ぎる。「朝」の気温が風に乗って到来する。もうすぐ、この星にも寒い冬がやってくる。そんなことを思いながらバイクを走らせてコヒナタは「境界の広場」へと向かう。


 コヒナタが務める「時候管理事務センター」はこの星の首都に作られている。この星の中枢には様々な重要施設が集まっていて(様々な国籍の人間が同じ地域に暮らしているため、戸籍管理の施設が最も重要視されている)、その中にひっそりと含まれている。

 地球の東京やニューヨークのような煌めく大都会ではもちろんないし、月にある第二都心、火星の第三都心よりその規模は遥かに劣る。この星の面積は月よりももっともっと小さいため、今6000万人ほどの日本の人口よりもこの星の人口は少ない。だから首都といっても、どこかこじんまりとして、派手さよりも慎み深さが街を暖かく包んでいる。人の声もはきはきとしているというよりは、どこか和やかな雰囲気を含んでいると表現した方がよい。コヒナタはそんな街の雰囲気が自分に合っているようで、親しみを持っている。


 この街の中心には「境界の広場」という憩いの場が設置されている。

 円形の原っぱで形成されていて、ところどころに木が植えられていて、ベンチがいくつか設置されている。その中で学校帰りの子どもたちが走りまわったり、買い物帰りの主婦が井戸端会議を繰り広げている。街の中心であるだけに、人々の動線がこの広場を通過していることが多い。一人でのんびりと散歩をしている人もいる。夜になれば仕事帰りの人々が酒を持ち寄って空を眺めながらわいわいと楽しむ光景も広がる。それだけ、この街の人々にとってこの「境界の広場」は生活に密着している。


 しかし、この「境界の広場」にはもう一つ大きな役割がある。それは、「ジカン」の通り道に設定されている、ということだ。

 街の中心の広場のそれまた中心に、南北に真っ直ぐに伸びた一本の道路が敷かれている。道路はコンクリートなどで「一切」舗装されていない、この星の地肌で構成されている。その裸のままの道の両端には古びたレンガが並んで、道を芝生から仕切っている。整然と並んでいるレンガたちは一様に古びていて、この星の歴史を感じる。コヒナタは、その道に沿って北に向かってまたバイクを走らせる。

 

 数分後、段々とその巨体が眼に入って来た。「ジカン」だ。

 6本の足を巧みに使って、悠然と走っている。

 決して速いスピードではない。しかし、遅いと形容するべきではない。「確実」という言葉がしっくりくるスピードだ。確実に、一歩一歩、決して急ぐことなく、決して止まることなく、裸の道を前へと走る。

 「走る」と言っても、せわしなく足を動かすわけではなく、余裕とゆとりを持って、半ば「飛ぶ」という言葉が似合うような所作でゆったりと走る。

 体はつやつやとした灰色の肌に包まれている。だからといって、サイのような角を持っているわけではない。その巨体には似つかわしくない、かわいらしい二つの耳をぴんとたて、開いているのか閉じているのかわからないようなとろんとした眼をしながら、走る。それが、「ジカン」だ。


 ジカンはその名の通り、この星の時間の基準になっている。ジカンは常に一定のスピードでこの星をぐるぐると回り続け、「朝」の面はもちろん、常に日が当たらない「夜」の面も走る。

 「夜」の面には、摂氏マイナス90度の低気温の世界が広がっている。生身の人間は「夜」の面に行くことはできないし、探検用の耐久スーツを着用しても、ものの1時間もそこにいたらカチコチに凍ってしまう。そんな苛酷な世界でも、ジカンは走り続けている。この星に最初に降り立ち、調査をしたチームの資料でコヒナタもその事実は目にしていた。今となってはわざわざ危険を冒して「夜」の面に行くような物好きは一切いないので、「夜」の世界を走るジカンを直接観ることができる人はいない。


 しかも、この星の円周と今走っている時間のスピードを計算すると、夜の世界、つまりはこの星の外周の半分を、地球の時間で言えば2時間という速さで走っていることになる。

 スピードに換算すれば、リニアモーターカー級のスピードになる。しかし、極寒の夜の世界に入って研究をした者は非常に少なく、夜の世界でのジカンの生体に関する情報は一切ないと言ってもいい。

 

 この星には元々時間の概念がない。地球や月、火星に住む人間にとっては、朝と夜が交互に来ることそれ自体が時間の流れなのだ。何もしなくても、時間の流れは可視化され、人々に意識される。しかし、この星の空は、人が行動を起こさなければ常に朝のままであり、時間の流れは存在しない。だから、この星の時間は、ジカンの走るスピードに設定されたのである。


ジカンが星を一周回る時間を半日として、2周すれば一日、という長さに設定されている(本来は地球の一日よりも2時間長い26時間だが、時間の間隔を延ばして、24時間に設定されている)。その基準となる通過ポイントが、この「境界の広場」の真ん中に設置されている門だ。その門をジカンが通れば「朝」が訪れ、また通れば「夜」がやってくる。そうして、この星は一日が過ぎて行くのだ。

 ジカンが過ぎれば、時間が過ぎて、明日がやってくる。いや、ジカンが明日を連れてくるのもしれない、とコヒナタはこっそりと笑う。


 ジカンの走行を邪魔してしまうと、この星の時間がずれてしまうので基本的にジカンが走る道の中に人は入ることができない。法律で定められているわけではないが、不文律として星の住人たちが共有しているルールだ。ジカンの通路を横切るときにはほぼ1キロ間隔に設置されている橋を渡ることになっている。徹底してジカンが通過することを中心にして街づくりが為されているのである。


 コヒナタはジカンの横に並んで、バイクを走らせるスピードをジカンに合わせる。そして同じ方向を見て、走る。

コヒナタはこの瞬間が好きだった。自分が時間の流れと一体になったような感覚に陥るこの瞬間が。自分とジカンの背後には、「夜」が待っている。自分たちが悠然と走って門に到達するのを「夜」は待っているんだ、と、考えると暗い「夜」もなんだか恋しい存在に思えてくる。


 時間はあっという間に過ぎて行く、と人は言う。ぼけっと突っ立っていると、時間が自分の後ろから前へと追いぬいていくような、そんな表現をする人もいる。コヒナタは、実はそれは違うのはないか、とこの星に来て思うようになった。

 時間というものは、常に自分と共に進んでいる存在なのだ。自分のちょっと後ろについて、自分が歩くのをじっと静かに、慎ましやかに待っているものだ、とコヒナタはしみじみと思う。そう考えれば、時間が自分を過ぎていくとは思わない。そこにあるのは、一定の前進だけだ。


 コヒナタは横を走るジカンをちらりと見る。ジカンがなぜ常に同じスピードで同じ場所をぐるぐると回っているか、その理由は明らかにされていないし、どうやって生命を維持しているのかも解明されていない。

 しかしコヒナタは、ジカンは星を周回する動機を持っているとは思っていない。人間が生まれて、生きて、死んでいくことに理由や動機がないことと同じように。


 あと数分でジカンは広場の門をくぐる。そうすればコヒナタの手によって、「夜」がやってくる。どこまでも人工的で、意図的な「夜」が。

 ジカンと並走するこの時間だけは、彼女のことにまつわる悩みごとを忘れることができた。意図的に忘れようとするのではなく、ジカンの流れと一体になる感覚は、自然と湧き起こる。でも職場に戻れば流れから離れて、彼女のことが頭に甦るだろう。


 コヒナタは道路、ジカンの通路から離れて、職場へとまたバイクを進めた。

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