第22話 「集」

「やっと人が住める環境まで片付いたね」

 じゃあ僕がこれまで住んでいた3年間は一体何だったんだ、という言葉を心に浮かべながら確かに綺麗になった部屋をまじまじとコヒナタは眺めた。自分としては散らかってはいないと思っていたが、拭き掃除までされるとさすがにぴかぴかになったように見えてしまう。これまで3年間拭き掃除をしていなかったため、雑巾(キャリーケースから雑巾が3枚も出てきたため、元から掃除する気だったのだろう)が真っ黒になってしまった。そんな黒い雑巾を見てメグミは満足そうな表情を浮かべていた。このあたりは掃除好きの母親の血をしっかり継いでいる。

「布団ってもう一組ある?」

「あると思うか?」

「だよね。じゃあお兄ちゃんはそこのソファで寝てね。ベッド使わせてもらうから」

 反論を許す間も無くキャリーケースにある衣類などをてきぱきと仕分けて棚の引き出しの中にしまう(きちんと自分の衣類を入れる場所を計算しながら片付けていたのもやはりメグミらしい、とコヒナタは思う)。


「母さんに掃除してこいって言われたのか?」

「それも言われたけど、掃除するだけだったらさすがにこんな田舎まで来ないよ。そこまでお兄ちゃん孝行の妹じゃないからさぁ。勝手に紙と埃に埋もれてなさいって感じ。お祭りがなかったら来てなかったよ」

「祭りも、僕は付き合ってあげられないかもしれないけど」

「え、なんで? デート? そんなわけないか」

 メグミは自問自答して即座に否定して、あははとからりと笑う。

「約束が入るかもしれないんだ」

「まだ入ってないの? なら私が先約だ」

「別に僕と行かなくたって一人で行ったほうが自由に観れて楽しいだろ」

「だってどこの道に行けばいいかもわからないしさぁ。案内役がいたほうが楽かなーって」

「約束が入らなかったらな」

「約束が入りませんように」

 メグミはくすくす笑いながら言う。


 ぴりり、とコヒナタの携帯が鳴る。

 またか、と電話を取る前なのにかけてきた人物も言わんとする内容まで予測して慄く。コヒナタはため息をつきながら携帯に腕を伸ばす。

 しかし、その腕よりも先にメグミの腕が携帯に伸び、そのまま電話に出てしまった。「おい」とコヒナタが奪い返そうとするも、メグミはひらりとコヒナタの腕を躱す。

「はい。コヒナタの携帯でございます」

 メグミはコヒナタと話す時よりも声をワントーン上げて話し始める。

「はい、はい。あ、いつも兄がお世話になっております。妹のメグミと申します」

 メグミは携帯に両手を添えて深々とお辞儀をする。

「はい。はい。あ、そうですか。いつもとろとろと動きが遅くて申し訳ありません。兄にはあとできつく言っておきます」

 受話器からの声はコヒナタには聞こえないが、大体言ってることがわかる。


「はい。あ、これからですか? そちらに伺えばよろしいんですね? はい。あ、本当ですか? ご迷惑でなければ是非是非。はい。あー、ありますよー。もう20年来の付き合いですから。はい、はい。わかりました。兄にも伝えておきます。はい。失礼します」

 もう一度頭を下げて、メグミは電話を切った。

「ミナトさんか」

 コヒナタはわかりきった問題の答え合わせを仕方なくする。

「うん。これから飲み会やるからいつもの飲み屋に来いってさ」

「それで、会話の流れを読む限りメグミもそこに行くような風に聞こえたけど」 

「うん。お腹も空いたし。お酒も飲みたい」

「卒論やらなくていいのか」

「卒論をやらないためにこの星に来たんだから。目的はきちんと果たさないとね」

 メグミはいたずらっぽい笑顔を浮かべて、ぱちりとウインクをする。


「それにしても」

 そう言って、メグミは手に持っていた携帯に視線を落とす。

「端末使って電話なんて久しぶりにしたなぁ。もう10年ぶりくらいかも」

「そんなに使ってないか」

「大体端末を使う機会が圧倒的に減ったからね。地球とか月じゃあ端末なんて中間搾取みたいなものでしょ。電子媒体も脳電話通話も全部ライフラインになってるし」

 携帯に視線を向けるメグミの表情はうれしそうだった。

「たまにはいいね。携帯で電話してみるのも。ちょっとくぐもって声が聴こえるのが素敵。相手の人との距離がわかる」

 メグミはコヒナタに携帯を渡す。

「ま、1週間もすれば飽きるとは思うけどね」

 メグミらしい、とコヒナタは思わず顔が綻ぶ。

「何よ」

「いや、なんでもない」

 やっぱり変わらない部分もあるんだな、とコヒナタは思う。

「さ、行きましょ。上司を待たせるのは部下の大罪だよ」

 メグミはキャリーケースから淡い水色のギンガムチェックが施されたポシェットを取り出し、肩かかける。

 コヒナタはのそのそと着替えを始めた。


                 *


「なんで妹さんはこんなに才気煥発なのにお前はそんなに平凡オーラ全開なんだ。おかしいだろ」

 ブランデーグラスを手に持ちながら人差指だけ突き立ててコヒナタを指差す。

「明るさとモチベーションとコミュニケーション力をお前が母親のお腹に忘れて、後から妹さんが持って生まれてきたんだろうな」

「ハンカチ落としみたいですね」

「懐かしい遊びで俺のトークを形容するんじゃない」

 ミナトはロックのブランデーを豪快に喉に流し込む。

「お兄ちゃんも、こんな明るい先輩の元で3年も過ごしてるのにどうして性格が明るくならないんだろうね?」

 ビールが入ったグラスを片手に、ほんのり赤らんだ顔でメグミも続く。

「本当だよ。お前は3年の間、一体全体何を見てきたんだ」

「『夜』の作り方ですよ」

「物事の一側面しか見てないからお前はいつまで経ってもそうなんだよ」

「でも、ミナトくんに汚染されないところがコヒナタくんのいいところなんだと思うけどな」

 パトリシアは赤ワインが入ったグラスをくるくると回してワインの水面をゆっくり揺らす。

「パトリシアはコヒナタに甘いんだよ」

「そうです。25年間甘やかされてきたからお兄ちゃんはこうなってしまったんです」

 なんなんだこの攻防戦は、とコヒナタは一人お茶が入ったグラスを傾ける。


 この3年間はミナトと二人だけでグラスを交わしていたこの風景も、すっかり明るくなった、とコヒナタは3人が喧々諤々と議論を交わす光景を見て思う。だんだんと人が増え、新たな人間関係が生まれて、新たな言説が生まれていく。

 ここにホシノさんが加わったらどんな風になるんだろう、とコヒナタは少しだけ考える。ミナトさんは自分に関するどんな悪口を言って、パトリシアさんはどんな分析をして、メグミは自分のどんな暴露をするのだろう、と考えて少しだけおもしろく感じた。人が関わり、会話が生成され、また新しい世界が生まれていく様子は愉快なものだった。


「そうだ。お兄ちゃんって誰かに片想いしてます?」

 メグミが突然切り出してコヒナタは含んだお茶を吹き出しそうになった。

「な、なにを急に」

「え、メグミちゃん知らねぇの」

「お兄ちゃんとそんな話したことないので」

「へぇー」

 ミナトはにやにやと笑いながらコヒナタを見る。

「ま、コヒナタくんにも秘密にしたいことの一つや二つはあるみたいだし、私たちがとやかく言うことじゃないでしょ」

 パトリシアはゆっくりとワインを口に流し込む。

「えー、教えてくれてもいいじゃないですかぁ」

「そういうものは本人の口からきちんと聞くものよ。お兄さんのことならなおさらね」

「無口が服着て歩いているようなお兄ちゃんから聞き出すのは難しいんですよ」

「まぁ聞いたところで大しておもしろい話でもねーよ。いまだに高校生みたいな片想いしてるだけだから」

 ミナトの言葉を聞いてメグミは笑い出す。

「あー、詳しく聞かなくてもわかっちゃうな。お兄ちゃんは昔から変わらないよねぇ」

「うるさいな」

「昔から純粋な片想いを楽しむ奴だったのか」

「側から見てるこっちがはらはらしてましたよ。『早く言わないと向こう卒業しちゃうぞ!』とか」

「詳しく聞かなくても想像できるなぁ」

 ミナトは笑って言う。

 

「ようし、今日はコヒナタの暴露大会とメグミちゃんの卒業祝いだ。飲もう」

「暴露もされませんし、メグミの卒業は決まってません!」

「うるせぇ。先に祝っとけば後から結果はついてくるんだよ」

「それよりミナトさんはこれから仕事でしょう!」

 そんなコヒナタの叫びも虚しく、ミナトは快活にブランデーのおかわりを注文した。

 メグミは、そんな光景を見て、楽しそうに笑う。

 パトリシアは優しく微笑む。

 そんな4人を包むように、柔らかいBGMが上から降ってきていた。

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