第21話 「妹」

 ぴんぽん、というインターホンの音でコヒナタは目を覚ます。最近、睡眠妨害されることが多いな、と恨みごとを心の中で呟きながら目を擦る。その間にもう一度ぴんぽん、と鳴り、間を空けずにまたぴんぽん、と鳴る。

 枕元の時計を見てみると昼の3時27分。半ば無理矢理美容室に行き、そのまま仕事へと向かったためまだ疲れが溜まっている。そしてせかすようにまたぴんぽんと鳴る。コヒナタはどうにか布団を剥がして体を起こす。大体誰がインターホンを押しているのだろうかと考える。この星にコヒナタの家に訪ねてくる人間もなかなかいない。いつも飲みに誘ってくるミナトでもさすがに自宅にまで押し掛けてくることは少ない。コヒナタは誰が訪れたか見当もつかないままにドアを開けた。外から眩しい光が侵入し、一瞬コヒナタは視界を奪われる。


「遅い。一回インターホン押したらすぐに出てよね」

 目をうまく開けられないコヒナタに突然女性の声が浴びせられる。そのままズカズカと侵入する。

「おじゃましまーす。うわぁ、玄関汚いなぁ。なんで靴が全然ないのにこんなにちらかってるの? 掃除が行き届いてないなぁ。あー台所も散らかってる。調味料とか器具の配置が機能的じゃない。あ、布団もクリーニングしてないでしょ。髪の毛たくさんついてるしー」

 矢継ぎ早に言葉が飛んでくる。まだ頭が寝ぼけているコヒナタには何が怒っているのか事態を収拾することすら間にあってなかった。

「ていうか、今の今まで寝てたの? もう4時前だよ? おやすみだからってちょっと自堕落な生活送り過ぎじゃない?」

 と、彼女はコヒナタに言葉を浴びせた後、は、と気がついて、

「あ、そうか。仕事の時間って『夜』なんだっけ。そうか、今は睡眠時間ってことね。理解した」

 

 そう言い終わると、彼女は持っていたキャリーケースを部屋の隅に置いて部屋の片づけをし始めた。

「あぁ、もう。『ブルーム』がないと掃除って不便だね。掃除機ってある? お母さんが昔送ってたよね? 資料とか本はちゃんと本棚に入れなきゃだめじゃん」

 てきぱきと動きながら資料にまみれたコヒナタの部屋を片付けて行く。

「メグミ」

 コヒナタはようやく頭の整理がついて、自分の妹の名前を呼んだ。

「え、お前、何してんの」

「掃除でしょ。お兄ちゃんがしないんだから私がするしかないじゃない。そこでぼーっとしてるんだったら少しは手伝って。そこに散らばってる紙を必要なものと必要じゃないものに分けて。もう要らないのは捨てちゃうから」

 

髪の毛は肩より少し短いところで切りそろえられ、くるんと毛先が巻かれている。黒いヘアピンで前髪は綺麗に分けられている。少し赤がかった縁の眼鏡の位置を度々直しながら片づけを続ける。メグミが動く度に、膝より少しだけ短い丈の赤いワンピースの裾がひらひらと揺れる。

「いや、掃除はわかってるんだけど、え、なんで来たの」

 髪の毛をぐしぐしと掻きながら機敏に動くメグミを眺める。

「なんでって。妹である私が兄の部屋に来ちゃいけないわけ?」

「いや、いけなくはないけどさ、地球から定期便に乗って来たわけだろ?」

「そうだよ。本当に不便。定期便もちっちゃいし機内食はおいしくないし椅子は難いしで最悪。宇宙旅行黎明期の頃ってああいう舟に乗って月とか行ってたのかな。考えられない。かろうじて今の時代に生まれてよかったよ」

「で、わざわざ僕の部屋を掃除しに来たのか」

「そんなわけないでしょ。まぁ確かに生存確認して来なさいってお母さんに言われたってのもあるけど、ちゃんと目的があってきたんです」

「なんだよ目的って」

 コヒナタは床に落ちている紙の資料を手に持って、選別を始める。

「現実逃避」

「は?」

「卒業論文書きたくないから来ちゃった」

 メグミはコヒナタの目を見ず、掃除を続行しながら言う。

「なんだよそれ」

「大学院の試験は合格したんだけど、合格しちゃっただけになんとなく論文を仕上げる気になかなかならなくてさぁ。気分転換がてらこっちの星に来ちゃったわけです」

「締め切りはいつなんだよ」

「来週」

「間近じゃないか」

「間近だからこそ来たんじゃない。ここでパワーを充電して、一気に書き上げるんだ。ほら、試験の前日とかって勉強しなきゃって思うけど部屋の掃除しちゃったりするでしょ? 今はまさにその状態。提出日一週間前だから書かなきゃいけないけど、その気になれなくてお兄ちゃんの掃除をしている、ってこと。極めて論理的で因果的でしょ」

 破滅的で堕落的な行動だな、と言おうとしたが逆上されるに違いないのでコヒナタは言葉を喉の奥に押し込んだ。


「あれに行きたいんだよね、お祭り」

「開星記念祭?」

「そうそう。テレビで観たことあったけどまだ行ったことなかったからさぁ。定期便もたまたま空いてたから来てみたの。ああいうハンドメイドなお祭りってもう地球ではあんまりしないし、一応卒論のテーマにも近いからフィールドワークついでに行こうかなって」

「そう言えばメグミの専攻って民俗学だっけ」

「うん。まぁお祭りとかは私の専門からは外れるけど、可愛いお祭りだしね。かわいいブックカバーとか売ってないかな。お兄ちゃんは行ったことあるんでしょ? どういう雑貨があるの?」

「さぁ。バイクで通りを通ることはあるけど、詳しくみたことないからなぁ」

「え、この星に住んでるのに開星記念祭に行ったことないの?」

 メグミは作業する手を止めて、母親譲りの少しだけ目尻が上がった瞳でコヒナタを凝視する。

「信じられない。じゃあお兄ちゃんはこの田舎で何を楽しみに生きているわけ?」

 そして母親譲りの歯に衣着せぬ言葉をコヒナタにぶつけ続ける。

「いろいろあるんだよ、この星にだって」

「そうだ。『グランドテンプスコース』も観れるのか。それも観たい」

「久々にその学名聞いた」

「この星では『ジカン』って言うんだっけ。まぁなんでもいいけど、この星に来たからにはその二つは観ておかないと、っていうかその二つくらいしか観るものないよね」

 コヒナタは少し反論したい気持ちに駆られたものの、反論できるだけの材料がコヒナタにもこの星にも存在していなかった。観光資源には乏しい星である。


 3年ぶりに会うメグミは、コヒナタの目にもかなり大人びたように見えた。コヒナタがこの星に来たときにはメグミは大学に入ったばかりで、髪の毛も黒く、背中のあたりまで真っ直ぐに伸びていた。少しきつい眼差しと全く遠慮のない物言いは昔から変わらないが、メグミも確かに変化している。

 ジカンによって、毎日の時間を見ることができても、3年という長い時間はなかなか実感することはできない。メグミのこんな変化はその長い月日を可視化しているようにコヒナタには思えた。


「そんなことより、お兄ちゃん、今そんな髪型なんだね」

「え、あ、まぁ」

「地球にいるときだって全然綺麗にしてなかったし、お母さんがこの前会ったときもひどかったらしいじゃん。急に髪の毛を気にするようになっちゃった?」

「まぁ、仕事上の問題があって」

「ふぅん?」

 怪訝な表情でコヒナタの髪の毛を眺める。しかし、その表情はすぐににやりという笑みに変わった。

「ははーん」

 メグミは腕を組んでコヒナタをまじまじと眺める。

「なるほどなるほど。言わなくてもわかるよお兄ちゃん。そうかそうか。お兄ちゃんにもようやく春が訪れましたか」

 メグミはうんうん、と何度も深く頷く。

「訪れてないよ、春なんて」

 コヒナタはなるべく冷静に否定する。

「え、振られたの」

「違う」

「なんだ。まだ片想い中か。お兄ちゃんらしいねぇ」

 出会ってものの数分で今コヒナタが置かれている状況を理解されてしまった。メグミの勘の鋭さにコヒナタは改めて戦慄する。


「ま、どんな人かは知らないけど変な美人につかまっちゃだめだよ。お兄ちゃんみたいなぼーっとしてる人につけこんでお金を巻き上げる人なんてごろごろいるんだから」

 言いながらまたメグミは掃除を再開する。棚から掃除機を引っ張り出し、電源を入れて床を掃除する。極めて静かな駆動音が部屋に響く。

「とにかく、お祭りの日の次の日まではご厄介になりますので、どうぞよろしくお願いいたします。宿台として掃除と料理くらいはしてあげるからさ」

 確かにメグミがこの部屋に来てあっという間に部屋が綺麗になっていく。掃除機を一旦置いたメグミは、閉まっていたカーテンを勢いよく開けて、部屋に日光を取りこむ。『夜』だった部屋に、一気に「朝」が侵入してくる。こんな強引なやりとりも、実家にいた頃は煙たがっていたが、今では懐かしさの方が深く感じられる。

 

 また時間が崩れるな。コヒナタはそんなことを思いながら、書類の選別を再開した。

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