第3部 「朝と夜」

第20話 「賭」

 ホシノとの食事から1ヶ月ほど経過し、この星にも冬がやってきた。

 一週間に二度は雪がちらちらと舞い降る。大雪になってしまうと市民の生活に影響が出過ぎてしまうため、「朝」部門が気温、気圧、風を調節して小さな雪が降る程度に天候をコントロールしている。主にバイクで移動するコヒナタにとってもそれはありがたい。


「この髪型で来られると、やっぱり前のコヒナタくんの髪型が恋しくなるなぁ」

 コヒナタがパトリシアの働く美容室を再び訪れると、パトリシアは掌を頬に当てて残念そうな表情でコヒナタの髪の毛を見る。コヒナタもどんな表情を浮かべればいいかわからずに所在なさげにそこに立っている。

「いや、確かにその髪型もばっちり似合ってるし、選んだ私としても絶対な自信を持ってお届けしたわけだし、ちょっと伸びて来た感じもすごくコヒナタくんに似合ってるけど、うーん、やっぱりなぁ」

「褒めてるんだかけなしてるんだかわかりませんね」

「褒めてもないしけなしてもないね。私が残念がってるだけ」

「なるほど」

 コヒナタも困ったような笑顔を浮かべる。


「でも、またうちのお店に来てくれてよかった。あの一度きりかと思ってたから」

 パトリシアは端末を持ってきて、椅子に座る。

 コヒナタも、先月美容室に来たあとはまたこの店に来るとは思っていなかった。食事をするのもあの一度きりだと思っていたし、同時に髪を切るのもあの一度きりと思っていた。しかし、食事後の事態はコヒナタの予想とは違う方向に向かった。

 仕事始め、仕事終わりの引き継ぎの電話のとき、ホシノが出た時は数分ほど会話をするようになった。仕事のことや、日常の生活に関する他愛もない会話ではあるが、コヒナタにとってはその時間が至福だった。次の食事の約束を取り付けるまではいかないが、その時の会話をコヒナタは心から楽しんだ。

 

 朝の時間、コヒナタがジカンの走る姿を見た後にスーパーに行ったとき、一度だけホシノに会ったことがあった。

 前にスーパーで見かけたときは声をかけることもできなかった。今回はコヒナタの方から声をかけることができた(数秒間は躊躇したが)。声をかけられたホシノはコヒナタを見てぱっと笑顔を浮かべた。

「今日も、ジカンを見て来たついでですか?」

 コヒナタは問うと、ホシノは持っていたカットトマトの缶詰を籠の中にいれた。

「はい。なんだか早く起きちゃったので」

 ホシノは笑顔で言う。

 

 その後、スーパーの外に置いてあるベンチに座って一緒にコーヒーを飲んだ。暖かいコーヒーによって口の中が温められ、寒さで元々白くなっていた息が一層白くなった。そこでも他愛もない話をし、コーヒーを飲み終えると二人また各々の家に帰った。

 こんな風に、直接食事には行かずともホシノとの関係は細々とではあるが続いていた。だから、なるべくホシノと会っても恥ずかしくないようにしておかないと、という使命感に駆られ、仕事前に早起きをして、再び美容室を訪れたのだった。自分が「美容室に行かなければ」ということを自然と考えることに、コヒナタは新鮮な驚きを感じた。


「それで、その後彼女とはどう?」

 髪型をどうするか、という話が大体終わったところで、パトリシアは目を輝かせて言った。

「いや、別になんにもないですよ」

「えー、だって美容室にまた来るっていうことは彼女との関係がまだ続いてるっていうことでしょ?」

 コヒナタの考えは全てパトリシアにはお見通しのようである。

「いや、別に関係がどうこうってわけではないんですよ。たまたま街とかで会うこともあるので、その時あんまり汚い格好をしていたらホシノさんに失礼ですし」

「ミナトくんが前に言ってたコヒナタくん像とはかけ離れたことを言うなぁ。ミナトくんは、あいつは自分の外見を気にできるほど自分を客観的に観れてねーよ、って言ってたから」

「ひどい言われようですね」

 コヒナタは苦笑いを浮かべる。

「ミナトくんもちょっと残念なんじゃないかな、昔のコヒナタくんに会えなくなって」

「そんなことないですよ。この前だって、僕の顔の中身が変わったとかなんとかずっと言ってましたし」

「んー、でもね、ミナトくんがコヒナタくんのことを馬鹿にするときの顔って、やっぱりうれしそうだったんだよねぇ」

「うれしそう?」

「そうそう。世話を焼きたかったんだろうね。ミナトくん、ああ見えて世話焼きだからさ」

 パトリシアは少し遠い目をして言った。

 コヒナタはそんなパトリシアを見ながら、彼女もミナトのことをきちんと見ているのだな、と感心した。言葉とあの言い方だけ聞けば、ミナトのことを他人には厳しく、粗暴な人間だという判断をする人も少なくはないし、むしろその方が多いかもしれない。しかし、パトリシアはミナトの言葉に寄り添って、その言葉の意味だけではなく、言葉が含むニュアンスまで汲んでいる。コヒナタにはミナトとパトリシアがどんな関係を築いてきたか、ということを知らなかったが、素敵な組み合わせであることは間違いない、と感じていた。


「そうだ、今度のお祭りに誘えばいいんじゃないの?」

「開星記念祭にですか?」

「そうそう。デートに誘うにはもってこいのイベントじゃん」

 開星記念祭

 11年前の3日後、この星の「朝」と「夜」は創り出され始め、同時に生活の営みが開始した。

 その日を祝うために毎年この星では祭りが開催されていた。冬の中、街中の人々が、派手さはないものの、暖かさをもってこの星の誕生を祝い合う。今日も、コヒナタがバイクで美容室に来る間にも露店の準備をしている人を多く見かけた。道に並ぶ露店たちは、それぞれ可憐な装飾が施されていた。

 冬の祭りのため、露店で売っているものはシチューやホットコーヒーなど、体が温まるものばかりだ。大きな鍋や大量の材料が露店には運び込まれている。冬の期間は静かな時間が広がるこの星だが、今日、明日に限ってはにぎわいが復活する。この星の人々は毎年この祭りを毎年楽しみにしていた。


「今日、彼女は仕事?」

「どうですかね。僕にはわからないですけど」

「じゃあ賭けだな」

 パトリシアはいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「もしお祭りの前日、引き継ぎの電話に彼女が出たら、お祭りに誘う。出なかったら誘わない。まぁ誘えないだろうけど」

「賭け、ですか」

「そうそう。誘おう誘おうとすると気負っちゃうけど、ゲームの景品に、って考えたらちょっと誘うのも気が楽になるんじゃない?」

「でも、お祭りまでのなら確実にホシノさんが電話に出るタイミングはあると思うので、賭けが成立していない気もします」

「いいんじゃない? 人生には八百長をするのが必要な瞬間があってもいいと思う」


 ふむ、とコヒナタは考える。

 今の彼女との距離に不満はまったくない。会話できる関係が続けばコヒナタにとっては幸せであるし、このままなら関係が壊れることもない、ということもコヒナタは自覚している。

 しかし、ホシノとの距離をもっと近づけたいという想いも確実にコヒナタの中にはあった。「人夜」の言葉がずっと心にひっかかっていて、踏みこんだら彼女の関係がなくなるかもしれない、という恐怖もしっかりとコヒナタの中に根ざしている。しかし、でも、と葛藤が続いていた。

 

「急に深く考えこまないでよ」

 パトリシアがくすくすと微笑む。

「コヒナタくんの悪い癖だな。もっとライトに考えないと。コヒナタくんが彼女とお祭りにいくのは、その後付き合うためじゃなくて、お祭りを一緒に楽しむため、その日の想い出を作るためだと思えばいいんだよ。因果関係を見出すのは、後日考えればいいじゃない」

 優しい声で、パトリシアは言う。

「髪切ってもらいながら考えてみます」

「考えながら感じろ、だよ。コヒナタくん」

 パトリシアはそう言うと、端末を持って立ちあがった。

「さて、ちゃっちゃと切りますか」

「お願いします」

 コヒナタも立ちあがる。

「またかっこいい髪型にして彼女にアタックしなきゃね」

 パトリシアはぱちりとウインクをして散髪台へと歩き始めた。

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