第15話 「変」
コヒナタは特にこだわりを見せなかったのだが、パトリシアの方が盛り上がってしまい、「こっちの方が似合いますかね? いや、コヒナタさんってあんまりぱっとしない顔だから髪型でインパクトを与えた方がいいかもしれませんね? そうなるとはっきり短めにしたほうがいいかしら」など、コヒナタの心をやんわりと刺すような言葉を織り交ぜつつ、30分ほど悩み続けていた。
二人で(主にパトリシアが)あれこれ考えながら絞り出した情報を端末に入力すると、その情報に合った髪型が何パターンか出てくる。その中から厳選し(その作業も10分かかった)、バイクのヘルメットくらいのヘアセットマシンに最後の情報を入力し、席に座る。最後にマシンを頭にかぶる。
すると、ものの5分で髪型が完成する。一つのマシンで散髪、カラーリング、シャンプー、ドライヤーまでが可能で、その中で美容師の技術は必要なくなった。なので、美容師の技術は、その人が求めている髪型を引き出すところに特化している、らしい(コヒナタの例は特別だが)。
「うわお」
完成した髪型を見て、パトリシアは声をあげる。目を丸くしてコヒナタの全身を眺める。
「私もこの仕事を初めて7年になります。その中で数々の髪型のビフォーアフターを見届けてきました。人が変わるという様を数々見てきました。顔つきも変わっていった人たちも数多見てきました」
パトリシアは真剣な顔つきで淡々と語り続ける。
「でも、ここまでドラマチックかつドラスティックに変化してしまった人は初めてです。これは、革命です」
コヒナタがそう言われて、なんて言い返せばいいかわからずに所在なさげにそこに立ちつくしている。
「というか、本当にコヒナタさんですか?」
「あなたが決めてくれた髪型でしょう」
「そうです。そうなんです。私の頭の中にもきちんと完成図はイメージされてました。そして、私のイメージ通りの出来あがりになりました。でも、こんなに印象が変わるとは思わなかった」
「それは、良い方に変わったってことですよね?」
「いや、もう良いとか悪いとかっていう次元の話ではないですね。そんな二元論からは超越している変化です。もはや申し訳なさすら覚えています。あのコヒナタさんを葬ってしまってごめんなさい」
とにかく、パトリシアが思わず陳謝してしまうくらいにコヒナタの印象はがらりと変わってしまった。
コヒナタは横にあった鏡で変わり果てた自分の姿を見る。
肩近くまで伸びっぱなしになっていたぼさぼさの髪の毛は消失し、耳の周りで綺麗にまとまっている。野放しの原生林のように無秩序だった登頂部も、すっきりと漉かれて撫でつけられている。眼鏡を覆い尽くさんばかりに垂れさがっていた前髪も短く切られ、きっちりとした分け目を形成している。
確かに、自分でも「こいつは誰だ」と思ってしまうほどの変化だった。
「でも、よくお似合いですよ」
パトリシアはにっこりと笑って首をわずかにかしげる仕草をする。たっぷりの愛嬌をふりまく。
「ありがとうございます」
コヒナタもぎこちないながらも笑顔を浮かべる。
「笑うとちょっと幼くなっていいですね。それを武器に行きましょう」
パトリシアは親指をぐっと立ててコヒナタに突き出す。
「じゃあ、次はお洋服ですね」
「へ?」
「へ?じゃないですよ。これから洋服を買いに行くんですよね?」
「あ、はい。そうですけど」
「私に任せてください。一緒に選びましょう」
「そんな、悪いですよ。そこまでさせてしまうのは」
「むしろお手伝いさせてください。あの髪型を是とする人のファッションセンスを野放しにしておくわけにはいきません。髪型が直っても服装がアヴァンギャルドだったら意味がないんですよ。パーソナリティが崩壊します。どういう服を買いに行くつもりだったんですか? どこにいくつもりだったんですか?」
コヒナタは鞄の中からごそごそと雑誌を取り出す。
「ここと、ここに行こうかと」
「なるほど。じゃあ今カタログの写真出しますから、一緒に考えましょう」
そう言ってパトリシアは急ぎ足で端末を取りに行く。
美容院には疎いコヒナタにも、このお店が、というよりはこの店員さんが普通とはちょっと違うということもわかる。その情熱には少し戸惑ってしまうものの、このやりとりがコヒナタにはなんだかうれしかった。
そんなことを思っていると、ぱたぱたとパトリシアが戻ってくる。
「コヒナタさんに似合う服ありましたよ!」
*
朝ご飯を食べ、美容院であれやこれやとお祭り騒ぎに巻き込まれ、なんとか新しい服を購入することができた。
この3年間、散髪も服の買い物もしてこなかったコヒナタにとっては多大な体力と気力を費やすことになった。自宅に一度帰ってくると、どっと疲れが自覚される。はぁ、と深く息を吐いて椅子に座る。
疲れが体全体に蓄積しているものの、それと同じくらいに充実感も体に補填されていた。これまで味わったことのない充実感だ。生き返った、というのは言い過ぎかもしれないが、今までの生活とは全く違う時間の使い方をしたのは間違いない。そこで、いろんな人と触れあってコミュニケーションを図り、対話を築いていく。地球にいたときは当たり前にしていたことだが、今となっては深い新鮮さを感じる。
そんな充実感を心の中で優しく撫でながら窓の外を見る。空はまだ明るい。「朝」の時間で「朝」の行動をする。街の中を所狭しと飛び交っていた声を浴びながらバイクを走らせたときの感覚。太陽の匂いをたっぷり含んだ空気を肺いっぱいに取りこむあの感覚。
そういえば、こんなんだったっけ。とコヒナタは少しだけ笑みを浮かべて思った。
と、そんな感覚に浸っている時間もなく、仕事に行かなくてはならず、ジャケットに着替える。ここから12時間労働か、という呪いのような言葉が頭にふと浮かんだが、見なかったことにする。
軽食を胃に押し込んで家を飛び出し、バイクに跨る。
コヒナタが住んでいた時間に戻ってきた。いつもの空気、いつもの声、いつもの匂い、いつもの温度。この後、ジカンが「広場」を通過すれば、また「夜」が来る。人々が睡眠に入る中、コヒナタは仕事へと没頭していく。
慣れ親しんだ世界に帰って来たことで安心感が芽生えるが、同時に、何か物足りなさを否定することもできなかった。
始業30分前に管理棟に到着し、バイクを停車し、入り組んでいる廊下を進む。
コントロールルームの扉を開けると、マシンの前にはミナトが座っていた。
「あれ、ミナトさん」
そう言うと、ミナトはコヒナタの方を向き、同時に目を見開いた。
「なんだよその髪型!」
ミナトは腹を抱えて笑いだした。コントロールルームを超えて、廊下にまでげらげらという大きな笑い声が響き渡る。コヒナタは慌ててミナトに駆け寄る。
「そんなに笑うことないでしょ」
「だって、あの、コヒナタが、あの、廃墟の雑草群みたいな髪型のコヒナタが、そんなきっちりした髪型になったら、そりゃ、笑うだろ」
「そういう風に思ってたんですか。大体、髪を切れって言ったのはミナトさんでしょう」
「言ったけどさ、そんな抜本的に変えてくるとは思わなかったからさぁ。あーおかしい」
「変で申し訳ないですね」
「いや、まったく変じゃない。むしろ似合いすぎてて笑える。コヒナタってそんな顔だったのな。前髪と眼鏡のせいで全然わからんかった。案外イケる顔してんじゃん」
急に褒められて、コヒナタは顔を赤くする。
「からかわないでください」
「からかってねーよ。自信持っていけ。それなら普通の男並みには渡り歩けるよ。俺には敵わないけど、さすがに」
「敵おうとも戦おうともしてないので大丈夫です」
コヒナタは荷物を自分のロッカーに入れる。
「そんなことより、なんでミナトさんがここにいるんですか。今日は非番なのに」
「非番に仕事場にいちゃ悪いかよ」
「勤務時間外に仕事場にいることを世界一嫌う男じゃないんですか」
「それは間違いない。だから、仕事してたんだよ」
ミナトは椅子をくるりと廻し、マシンに向き合う。
「明後日の『昼』に配電工事が入るから。この部屋。一応報告しておく」
「配電工事ですか」
「そ。こいつもだんだん老朽化してきて燃費が悪くなってきてるんだよ。だからちょっと修理とメンテナンスがてら工事いれることにしたわ。多分コヒナタが出勤してくる頃には終わってると思うけど」
マシンを見上げながらミナトは言う。
「やっぱり、結構ガタがきてますからね」
「まぁなー。10年間毎日毎日働きづめだし、予算がなくてそんな頻繁にメンテナンスもできないしな。ここいらでちょっと労ってやらないと調子がおかしくなってから動いたんじゃ遅いし」
そう言われて、コヒナタもマシンを見る。
すでに電源が入れられ、ごうんごうんといういつもと同じ、仰々しい音を轟かせて駆動する。この巨大なマシンが動かなくなれば、この星に夜は来なくなる。同時に、昼でも「夜粒」で日光をコントロールしているため、昼には気温が急上昇してしまう。そうなれば、最悪のケースに到達してしまう可能性だってある。
コヒナタたちが暮らす平凡は、このマシンによって、「夜粒」によって担保されている。ミナトの言葉を聞いて、改めてコヒナタもその事実を噛みしめる。
「ミナトさんって、このマシンのこといっつも大事に思ってますよね」
「んなことねーよ」
「飲み会の最後だって大体マシンのこと話してるじゃないですか。どこのスイッチの押し込みが悪くなったとか、ギアの駆動音がおかしいとか。よくそこまで見抜けますね。僕には全然わかりません」
「ま、10年の腐れ縁だからな。ちょっと擦り傷ができてりゃあすぐわかるよ」
ミナトは腕を組んで背もたれに体重を預ける。
「ミナトさんって、ここの初期メンバーなんでしたっけ」
「そうだよ。11年前にここに赴任してからずっと働いてる」
「ミナトさんは異動しなかったんですか? 僕の前任者だって3年の勤務でしたよね」
「仕事を無駄に張り切りすぎてチーフにされちまったからな。俺がいなくなってコヒナタをチーフにするのも不安だし、上層部も現場に話を通すのが勝手を知ってる俺だと楽だからそのままにしてるんだろ。いつまで経っても出世できないし給料もあがらないしで困ったもんだよ」
一つ溜息をつく。
「でも、こいつのことを見てると放っておけないんだよな。やっぱ」
ミナトの目はマシンの巨体へ優しく向けられている。あんな視線、向けられたことないなとコヒナタは思う。それだけ、ミナトの中にあるマシンへの愛着が大きいということだ。
「この機械消費時代の中で、一つのマシンに執心するってのもはずかしい話だけどな」
「そんなことないですよ。いいじゃないですか。僕もこいつのことはすごく好きです。こんな存在感があって、駆動音がうるさいのに、謙虚というか、威張らないですよね」
「前時代のマシンってことを自覚してるんだろ。小型化できなくて申し訳ありません、って毎日謝り続けてたりしてな」
ミナトはおかしそうに笑う。
「ま、とりあえず今日も頼むわ。老人を労りながらやってくれい」
ミナトは大きく伸びをして、椅子から立ち上がる。
「そういや、その髪型どこでやってもらったんだよ。コヒナタにそこまで似合う髪型を提供するんだからよっぽどいい腕なんだろうな」
そう言われたので、コヒナタは店名を教える。
「あぁ、あそこか」
「知ってるんですか?」
「知ってるよ。有名店じゃん、ここいらじゃ」
確かに、コヒナタのファッションに関する小さな情報網でヒットするくらいだから、広く知られているのだろう。
「なるほどね。それなら納得だ」
うん、と頷いて扉を開けた。
「ほんじゃな。また今度」
「お疲れ様です」
ぱたん、と扉が閉まる。
さてと、とコヒナタはまだミナトの温度が残る椅子に腰掛ける。
それと同時に、背後で電話が鳴った。
いつもより早い時間だな、と思いながらコヒナタは再び椅子から立ち上がり、受話器を取る。
「もしもし、『朝』部門です」
その声は、ホシノのものだった。コヒナタの体に突如として緊張が走る。
「あ、どうも。『夜』部門です」
「コヒナタさんですか?」
「そうです。コヒナタです」
「よかった。ホシノです。お久しぶりです」
「お久しぶりです」
「今大丈夫ですか? 日程を調整したくてちょっと早めに電話しちゃったんですけど」
「大丈夫です。音速で仕事片付けますから、後で」
「それならよかったです」
ホシノの微かな笑い声が受話器を通してコヒナタに伝わる。心の中になんとも言えない幸福感が押し寄せる。
「えっと、いつにしましょうか。お互い非番の日でも時間帯が合わないですよね」
「僕がホシノさんのお仕事終わりに合わせますよ」
「でも、そうすると午後7時くらいになっちゃいますよ? コヒナタさんは休みでもその時間って『朝』早くないですか?」
ホシノの言葉で、やはり「朝」と「夜」の隔たりの大きさを実感する。ホシノの仕事終わりは、僕にとっては仕事初めであり、早朝に値する。
「そうですけど、休みであれば、僕は大丈夫です」
「私はすごくうれしいんですけど、それもなんだか申し訳ない気もしますね」
「でも、ホシノさんに早起きをさせるわけにもいきません」
僕は言う。一言一言、なんて言ったかを心の中で何度も確認する。まずいことは言ってないか。嫌われるようなことは言ってないか。声は震えてなかったか。裏返ってなかったか。
しばらく時間を置いてから、
「それじゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
と、ホシノは言った。
「コヒナタさんのお休みはいつですか?」
「えっと、4日後なら休日です」
本当は、明日も休日だが、まだ心の準備が出来ていないのでわざと時間を空ける。
「その日の『朝』なら、私も仕事なのでちょうどいいですね。じゃあ、その日の午後7時にしましょう」
「わかりました。管理棟の前に集合にしますか?」
「うーん、申し訳ないんですけど、『境界の広場』でもいいですか?」
少しだけ間を置いて、ホシノは答える。
「あ、いいですよ。そっちもわかりやすいですしね」
「ですね。じゃあ、4日後ですね。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「『夜』番、頑張ってくださいね」
そう言って、ホシノは電話を切った。
『夜』番、頑張ってくださいね。
その言葉を何度も何度も頭の中でリピートする。
今日たっぷり蓄積された疲労が一気に吹き飛んだ。今の自分なら3日は寝ずに仕事ができる、とコヒナタは自信たっぷりに思った。
4日後。
その日、ホシノさんと食事をする。
先ほどのホシノの言葉と一緒に、その予定を宝物のようにコヒナタは思った。
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