第16話 「縁」
ホシノとの約束を取り付けた翌日の「朝」、コヒナタが寝ていたところに携帯電話が鳴り響いた。
眠い目をこすりながら携帯の画面を見る。時刻は午後3時12分。電話の主はもちろんミナト。寝たのが11時半だから、4時間ほどしか寝ていない。仕事の疲れに加えて、前日の「朝」の疲れもまだまだ残存している。ホシノの声によって一瞬吹き飛んだと思った疲れだったが、仕事を終えるときっちりとまたコヒナタの体に襲いかかってきていた。
「もしもし」
寝起きの声でなんとか電話に応じる。
「おう。起きてたか。よかった」
ミナトの大きな声が聴こえる。ミナトにとっても真夜中のはずなのに、なぜここまで声を張り上げられるんだ、とコヒナタは不思議に思う。
「そんなわけないでしょ。熟睡してましたよ」
「うるさい。今はしっかり起きて電話に出てるだろうが」
口喧嘩を仕掛けたところでミナトに勝ち目はないということはわかりきっているので、コヒナタはミナトの言葉に対して必要以上に抵抗はしない。
「とりあえず今からいつもの店に来い」
「今からですか? 今から?」
「おう。俺の仕事始めまで相手しろ」
「ミナトさん、飲んでから仕事行くんですか。それってどうなんですか」
「うるさい。俺に口答えするな。15分で来い。待ってるぞ」
そう言ってぶつりと電話が切れた。コヒナタは携帯を放り出して枕に顔を押し当てる。この2年半で仕事終わりに強制的に飲み会に参加させられることは幾度も発生していたが、寝ているところに電話がかかってきて無理矢理誘われることはなかった。
もちろん、疲れが抜けきってないので出来れば行きたくはない。しかし、ここで行かなかったら次会ったときになんて言われるかわからない。
重たい体をどうにかして起動させる。布団をひっぺがえし、立ち上がり、どうにか服を着替える。
もしかしたら、「マシン」もこんな気持ちになっているのかもしれない、とコヒナタは思う。毎日人間の都合で無理矢理起こされて、起動させられ、人間の都合で半日働かされる。「はぁ、やれやれ」と文句をぶつぶつ言いながら「夜粒」を生成しているのかもしれない。
そんなことを考えながら、まだ慣れないヘアセットをし、家を出る。空も声も、まだ明るい。「朝」だ。寝起きにバイクを運転するのはさすがに危険と判断し、徒歩で居酒屋へと向かう。
どうにかふらつく足に任せて居酒屋に到着し、店に入る。
「やっと来た。ここだ、ここ」
ミナトが手を振って、コヒナタを呼ぶ。
その横には、パトリシアがコヒナタを向いて微笑んでいる。
「え、なんで」
コヒナタは二人に歩み寄りながら言う。
「なんで、パトリシアさんがここに」
「いいからいいから、座ってよコヒナタくん」
パトリシアは隣の椅子を掌でぺしぺしと叩いてコヒナタを促す。その顔は少しだけ赤らんでいて、目はほんのりとろんとしている。どうやらパトリシアもアルコールが入っているようだ。
「どうして」
「俺のナンパテクニックをなめるなよコヒナタ」
ミナトは不敵な笑みを浮かべてコヒナタを睨む。
「美容師の一人や二人、ひっかけるのは朝飯前なんだよ」
「なにそれ、私がナンパに引っかかった軽い女みたいじゃない。嘘はやめて」
パトリシアは正面に座っているミナトの肩を、腕を伸ばして叩く。
「ミナトくんもうちのお客さんなの。といっても、浮気者のミナトくんはいろんなお店に顔出してるみたいだけど」
「いっつも同じ店で切ってたらマンネリ化するだろ。人間を殺すのは退屈とマンネリだ」
「とか何とか言って、そのお店の女の子のお尻おっかけ廻してるだけでしょうが」
「女の尻をおっかけるのは男の務めだ」
ミナトは白ワインをぐいっと喉に流し込む。
「ごめんね、コヒナタくん。ミナトくんのわがままに付き合わせちゃって。いっつも大変でしょ」
「はい、大変です」
「おい。即答するなよ」
「私だって大変なんだから。今日だって私も休みなのに急に呼び出されて」
「お察しします」
「うるさいぞ、コヒナタ」
ミナトがそう言うと、パトリシアはくすくすと笑う。
「俺が飲みたい時に飲みたい奴と飲んで何が悪いんだよ」
「全てが悪いに決まってるでしょ。いっつもミナトくん中心にこの星が廻ってるんじゃないんだから。この星を廻してるのはジカンだけでしょ」
「この星に『夜』を呼び寄せてるのは俺たちだ」
「だったら、コヒナタくんだってもっと威張って然るべきだね」
ね、とパトリシアはコヒナタに向かってウインクする。コヒナタは少し恥ずかしくなって顔を赤くして俯く。
「ちょっとトイレ行ってくる」
ミナトは立ち上がって足早に店の奥に向かっていった。
「あーいう素直じゃないところが憎めないんだよねぇ」
そのミナトの背中に視線を向けながら、パトリシアは言う。
「もう、ミナトさんとは付き合い長いんですか」
「そうねぇ。5年くらいになるかな?」
「結構長いですね」
「まぁね。ここまでミナトくんと付き合いが続いてるのも私とコヒナタくんくらいだよ」
「僕、ですか?」
「そ。コヒナタくんは大したもんだよ。前のミナトくんの同僚を3人見て来たけど、ミナトくんと碌に付き合えた試しがないもん。すぐに一緒に飲まなくなっちゃうし、最初の人なんて希望して他の部署に転属させてもらってたんだから」
くすくすと笑いながら、うれしそうにパトリシアは話す。
「全てはミナトくんがいけないんだけどね。あの人、人との距離の詰め方がうまくないんだよ。それでいて仕事は人一倍熱心だから、いっつも空回り。そんなミナトくんにみんなついていけなくなる。だから、コヒナタくんみたいに、ミナトくんに付き合ってあげてる人は初めてなんだよ。だから、コヒナタくんは凄い」
そこまで話して、パトリシアはミナトと対照的に赤ワインを微かに口に含む。
「僕は、ただ付き合わされてるだけです」
「それが出来てる時点で凄いんだって。だから、ミナトくんもコヒナタくんのこと気にかけてるんだよ。私と飲むときも、いつもコヒナタくんの話してるし」
「ほんとですか」
「うん。あいつが一人前の男になるまでは、俺はこの仕事を辞められない、って。辞めたくても、辞められないんだ、とか、俺がいなくてもきちんと生きていけるようにしなきゃいけないんだ、って。どんな責任感なんだか」
ミナトがそんなことを言っているだなんて、コヒナタには想像もつかなかった。
「ま、私も頑張るから、ミナトくんに付き合ってあげて。ね」
パトリシアは首をわずかにかしげて、コヒナタを見詰める。
「僕に、拒否権はありませんから」
「うん。それでこそコヒナタくんだ。偉いぞ」
そのタイミングでミナトが帰ってくる。
「ようし、飲もう」
「ミナトさん、飲み過ぎはだめですよ。いくら酒に強いからって泥酔状態でマシンを操作するのは危険です」
「うるさい。俺を誰だと思ってる」
「天下のさみしがり屋のミナトくんだよね」
「うるさい」
ミナトは、残りの白ワインを飲み歩す。
そんなミナトを見てから、コヒナタとパトリシアは目を合わせて微笑みを交わした。
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