第13話 「飲」

「コヒナタ、一緒に飯食いに行くぐらいでそんなにテンション上がるとか正気かお前」

 ミナトは白けた表情でそう言い放ち、串を口に挟み、横に引き、刺さっていた鳥皮を一気に平らげた。行きつけの居酒屋でミナトがいつも頼むメニューだ。これを食べるときにはミナトは鳥の皮を焼いて食おうと思った先人にいつも全力で感謝をする。

 

 コヒナタがこの職場に赴任してから3年の間、ミナトからコヒナタを飲みに誘ったことはありこそはすれ、コヒナタがミナトを飲みに誘うことなんて一度もなかった。というより、コヒナタが誘わなくてもミナトが強引に誘ってくるからコヒナタが自発的に誘う必要もなかったのだ。

 いつもはミナトが勤務終わりと同時に電話をかけてコヒナタを呼びだすが、今回ばかりはミナトの勤務終わりを狙って管理棟まで行き、そしてミナトを待ち、出て来たところを飲みに誘った。さすがのミナトも驚きを隠せない表情で「なんだよ、明日お日様が西から昇ってくるんじゃねーのか。あ、太陽昇らないか」と言った。


 夜を中心に生活しているコヒナタには、この星での友人は非常に少ない。この星の大半の人間の生活リズムとは違った時間軸で生きているからだ。だから、突発的に起きた事件について相談をできる人間のかなり限られてくる、というより同じ時間軸を生きているミナトしかいない。

 しかもミナトは恋愛に関しては百戦錬磨である(ミナトが言うには)。だからこそ、今起きている問題を解決できる相談役としてはこの上ない、はずだった。


 そして、意を決して「今度、ホシノさんとご飯を食べに行くことになったんだが、どうすればよいか」と質問をぶつけてみたところ、先ほどの言葉がミナトから投げつけられた。というより、投げた質問を金属バットで打ち返された、いや、質問を刀で真っ二つに叩き斬られたというほどの辛辣な声のトーンと表情だった。


「お前、じゃあそれ以上の関係になろうっていうときどうなっちゃうだよ。コヒナタの毛細血管が水道管よろしく破裂して鮮血が吹き出すんじゃねーのか。もう25だろ、お前」

 ミナトはぐいぐいとビールを喉に流し込む。

「いや、あの、なんていうか突然のことで混乱してると思うんですよね」

「前に彼女いたのっていつよ」

「大学3年の時です」

「どうやって付き合ったんだよ、その時は」

「サークルが一緒で。みんなで遊んでるうちにその子と趣味が合うって話になって、一緒にいろんなとこ行ってるうちに、付き合うかってなって」

「要は流れか」

「まぁ、一応告白めいたことはしましたけど」

「うるさい。恋愛は契約じゃねーんだ。告白なんかいらねーんだよ」

 ミナトはぴしゃりと言う。


「てことはつまり、片想いの相手をどうにかして振り向かせなければいけない、っていう状況には陥ったことないってことだな?」

「ありましたけど、高校生の時の話です」

「そんな子どものお遊びはノーカンだ」

 あっさりとコヒナタの学生時代に抱いた淡い恋を切り捨てる。


「そもそもですね、ミナトさんってどうやってこの星で女の人と関係を持ってるんですか」

「どうやってってどういうことだよ」

「だって、僕らが本当に自由な時間ってこの星で言ったら真夜中じゃないですか。そんな時間に起きてる人いないですし、大変じゃないですか」

「何言ってんだお前。好きな女のためだったら睡眠時間も削るに決まってんだろ」

「え、寝ないんですか」

「寝ない。『朝』の時間目いっぱい楽しんで、完全徹夜で仕事行く」

「まじすか。それで12時間労働してるんですか?」

「おう。別に普通のことだろ」

 ミナトはけろっと言ってのける。コヒナタは口をあんぐりと開けることしかできなかった。価値観が違い過ぎる。

「なんだお前。なんのリスクも負わずに恋愛しようと思ってんのか?」

「リスクもなにも、僕にはそんなことできないですよ、完全に徹夜してからあの仕事するなんて。処理しなくちゃいけないデータがどれだけあって、制御しなきゃいけない数値がどれだけあると」

「そうやって言い訳することなら無限にできる」

 コヒナタの言葉を、ビールを飲みながら聞いていたミナトは、だん、とジョッキを机に置く。コヒナタの体はびく、と震え、鳥皮が刺さっていた串が乗っている皿が少しだけ浮いた。


「前から思ってたんだけどさ、お前はこの星の『時間』に逃げ込んでるだけなんじゃねーの」

 ミナトは、真っ直ぐにコヒナタを見て言う。


「そんな、こと」

「俺にはそうとしか感じない」

 すいません、白ワインをグラスで、とミナトは言う。

「確かに、この星の『時間』は男と女を分断するには格好の装置だよ。地球じゃあここまで綺麗に生活リズムが反対になることってなかなかないからな。それだけ、自分の言い訳に使うには便利ってことだ」

 すぐに白ワインがテーブルに運ばれてくる。並々と注がれた透明な液体は、僅かに波打って、グラスの中に収まっている。


「俺たちが自分で創っている『時間』が絶対だと思うなよ。こんなもんは、ただ俺たちの都合で、恣意的に切り取ってるだけの『時間』だろ。それがなんなんだよ。住んでる『時間』が違うんなら合わせばいいだけだろ。その努力もしねーうちに、『時間』のせいにするのはちょっとずるいんじゃねーの」

 ミナトはゆっくりと白ワインを口に含んだ。

「ぶち破って見ろよ、『時間』をさ」

 コヒナタは黙って、たゆたう白ワインを見ていた。その穏やかな水面とは対照的に激しく波打つ心の動きを自覚する。


 そこまで言って、ミナトは少しだけ顔を綻ばせた。

「でも、実はうれしんだよ、俺は」

 その言葉にはっとしてコヒナタは視線をミナトに向ける。

「とりあえず彼女と飯の約束を取り付けて、その日のためにどうしたらいいんだ、って考え始めるってことは彼女の関係を進めようと考え始めたってことだ。少しずつではあるが、貪欲になっている傾向が見えてきた」

 いつものミナトがあまり見せない、柔和な雰囲気を醸し出しながら言う。

「まぁ俺にできることがあれば可愛い後輩のために力になってあげなくもない」

 コヒナタの顔にも、少しだけ柔らかさが戻ってくる。

「いきなり付き合うとか抱くとかまで行かなくてもいいんだ。しかし、出会いが肝心だ。そこでミスをすると後々取り返すのが面倒になる。先手必勝を心掛けろ」

 ミナトはそう言って、残っていた白ワインをぐいっと飲みほした。

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