第12話 「誘」

 蠢く星空から視線を外し、マシンの操作に移る。

 今日の分の「夜粒」の散布を完了し、マシンの停止操作に入る。


 今日で長かった5連勤がついに終了する。

 コヒナタが入院していたときはミナトがシフトを埋めていたため、時間とジカンを再び合わせた日からミナトは代休を使って5連休を取っていた。今まで3連勤ということは何回もあったが、5連勤というのは初めての経験だった。一日12時間勤務を5日続けるのはさすがに疲れるが、ミナトも同じ苦しみを味わっていたため(同時にミナトさんならうまく手を抜いているかも、ともコヒナタは思う)、仕方ないことだと体に鞭を打ち続けていた。

 毎日見ていた星の動きも、今日は自分の休みが来ることを祝福しているかのように見えた。


 それにしても、とコヒナタは思う。

 このマシンの中で「夜粒」はどのように増幅させられているのだろうか。

 そもそも「夜粒」がどのようにして、どの機関が作ったのか、という情報は操作をするコヒナタにも知らされていない。コヒナタが知っているのはこのマシンの動かし方だけである。とにかくこのマシンを正しく操作すれば、「夜」が正しくやってくる。

 一度ミナトにも聞いてみたことがあるのだが、ミナトにも詳しいところはわからないようだ。首をかしげて「ま、俺たちみたいな庶民が知る必要はないってことだよ」と言っていた。


 この星の歴史にもその生成過程だけは記録されていない。ほんの10年前のことなのに、それだけ記録が残っていないのは少し不自然なようにも思える。コヒナタはそう疑問に思いながら歴史書や探索報告書を閉じた経験もある。


 そのことを探ることで何かが見えるとはコヒナタにも思えない。しかし、ジカンの生態との関わりと考えると、無視できない情報にも思えてくる。「夜粒」は、人体に影響はないのか、ジカンにも影響はないのか。その答えが、創り出された「時間」とジカンの睡眠との因果関係を解き明かすカギになる可能性もある。


 とにかく、もう一度資料を漁ってみなくては、とコヒナタは決心する。わずかな情報でも見逃さないようにしなければ。


 モニターを確認すると、もうすぐジカンが「境界の広場」に差し掛かろうとしている。これで「夜」も終わりだ。コヒナタは席を立ち、マシンから離れて電話へと向かう。


 このご連勤の間、ホシノが電話口に出ることはなかった。まだ入院しているのだろうか。もしかしたら思ったより重い症状に悩まされているのではないか。そんな不安に苛まれながら5連勤という長い時間を過ごし、日に日に不安は大きくなるばかりだった。

「今日こそは」と思い、受話器を取って『朝』部門につながるスイッチを押す。


 3回目のコールの後に、電話がつながる。

「もしもし。『夜』部門です」

 おそるおそる、コヒナタは言う。

「はい。『朝』部門です」

 その声は、紛れもなくホシノのものだった。

 コヒナタの息が一瞬詰まる。吸えばいいのか、吐けばいいのかがわからなくなる。

「あ、あの」

 うまく言葉が出てこない。そもそも頭の中でうまく言葉が生成できない。

「えと、その、『夜』番が終わったので、あのー、はい。そうですね」

 支離滅裂な言葉の羅列が受話器に向かって飛ぶ。何がそうですね、だ。と自分で自分に苦言を呈する。

「あの、『朝』番、よろしくです。あ、よろしくお願いします」

 コヒナタは頭をかきむしりながらなんとか用件を伝えることができた。同時に、激しい後悔が襲ってくる。

「はい。わかりました」

 コヒナタの慌てっぷりとは対照的に、受話器から聴こえてくるホシノの声は落ち着き払っている。ただの仕事の内線なのだから、落ち着いているのは当然と言えば当然だ。


「あの」

 普段の業務連絡なら、「わかりました」で会話は終わるのだが、今日は違った。ホシノが言葉をつなげたのだ。

「は、はい」

 コヒナタは突然の言葉に驚きながらもなんとか反応する。

「コヒナタさん、ですよね」

 ホシノが、コヒナタの名を呼ぶ。

 コヒナタは一瞬で有頂天になった。

 頭の中に、自分の名前がホシノの声で何度も再生される。

 ここで初めて、ホシノと出会うことができた、とコヒナタは感激する。

「そうです。コヒナタです」

「ホシノと申します。この間、夜の世界で、助けて下さったそうで」

「いえ、別に、当然なことをしたまでです」

 どうにか紳士ぶろうと努力してみるが、まったく格好がつかず、声が裏返るばかりである。

「私が何も考えずに出て行ってしまったから。あそこでコヒナタさんが助けてくれなかったら私は今頃死んでいました」

 死んでいました。ホシノは言う。響きは非情に聴こえるが、死んでいた、と言っているホシノがそこにいてくれることがコヒナタにとってはうれしかった。生きているからこそ、死んでいたという仮定ができる。


「ホシノさんこそ、あの場面で飛び出せるんだから凄いです。僕なんて、コントロールルームで佇むのが精いっぱいで」

「いえ。考えが浅いだけです。よく考えれば、あんな無謀なこと普通はしないはずですから」

 ホシノは少し照れくさそうな声で言った。


 コヒナタは、窓の外に目をやる。

 向かいの管理棟には、ホシノの姿が見える。

 遠くてやはり細かな表情はわからない。

 しかし、今日のホシノはコヒナタの姿を確かに捉えている。

 名前を呼んでくれて、視線を向けてくれた。こんなにうれしいことが、他にあるだろうかとコヒナタはこの事実をよく噛みしめる。


「よかったら、何かお礼をさせていただけませんか」

「いえ、そんな、お礼だなんて。大丈夫ですよ、気にしなくても」

「直接お会いしてお礼も言いたいですし」

 ホシノは言う。

 コヒナタは、そこで逡巡した。

 

 ここは、ホシノの好意に甘えてもいいのではないか。自分で言いだしたことではない。だったら、誘うチャンスじゃないか。でも、そんなことをしたって仕方がない。ただ、ご飯を食べるだけで、無駄な期待だけが増えてしまう。その食事が終われば、またホシノさんは『朝』の時間に戻り、僕は『夜』の世界に戻る。そうなったら、おしまいじゃないか。

 コヒナタの頭の中をぐるぐると言葉が駆けまわる。


「じゃあ」

 しかし、コヒナタの口は動いていた。

「今度、ご飯でも、行きますか」

「ぜひ」

 その一言を聞いて、それまで強く強く握り締めていた拳がふっとほどけて、汗のほんのりとした湿気が解放される。その後に、ほう、と一つ息が漏れる。


「よろしくお願いします」

 向こう側にいるホシノが、少しだけ頭を下げた。コヒナタもつられて頭をぺこりと下げる。

「日程調整しなきゃですね。また、休日が確定したらご連絡しますね」

「は、はい」

「じゃあ、『朝』番に戻ります」

「はい。ありがとう、ございます」

「こちらこそ。では、また」

 コヒナタは受話器を元の位置に戻した。

 

 ホシノも受話器を戻して、仕事場に戻る。

 コヒナタはしばらくその場所から動くことができなかった。

 そのまま視線を上に向け、窓の外を見つめる。

 空が、星が蠢いている。生きているように、生命を持っているように。

 その果てしない生命力が、コヒナタの体に乗り移ったように思えてくる。

 奥底から、今まで味わったことのないような熱気が湧きあがってくるようだ。その正体はコヒナタの脳では処理することはできない。しかし、理性とは全く違うところでその熱気はたちどころに膨らんで体を席巻し、コヒナタを上気させる。


 まだ、これからのことを考えるだけの余裕と気力は、コヒナタには備わっていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る