朝と夜が分かたれる時に何を叫ぶか
神楽坂
第1部 「夜」
第0話 「すこしもふしぎではない話」
「すこしもふしぎではない話でもしようか」
ふと、背後からアカネじいさんの声が聴こえた。後ろを振り向くといつも見ているくしゃくしゃで静かな顔がそこにあった。
「なんだよ、急に」
戸惑いを含んだ声でアカネじいさんに応える。アカネじいさんが突然話し始めたことにも驚いたが、そもそもアカネじいさんが自分からに声を発すること自体がかなり珍しく、その事実に対しても驚きを隠せなかった。
「このまま時間を持て余すのは、光が過ぎるがごとく短い人生の浪費に他ならない」
アカネじいさんはゆっくりと、ひとつひとつの言葉を毛糸で編んでいくように発する。
「確かに。アナウンスの言ってることが正しけりゃ少なくとも2時間は開演しないしな」
前に向き直り、すり鉢状になっている広場の中心にある円形の舞台に視線を向ける。まだ照明が当てられてなく、ステージ上は暗いままだ。本来、この時間にはステージに立っているはずの「歌姫」は、ステージにはおろか、まだこの星の地面にすら降り立っていない。
「こんな日に限って小惑星群の通過で1日1本の定期便が遅れるとはなぁ。こんな時くらい特別便出せっつーのに」
これだから銀河の外れにある田舎星は嫌なんだ。もちろん、俺にとっては清潔すぎる地球よりかは過ごしやすいは間違いないが、それにしたって不便すぎる。
親父の転勤で5年前にこの星に引っ越してきたものの、まだその不便さに戸惑いを覚えることもある。俺をこんなところに連れて来た親父と母さんは近所で仲の良い家族と一緒になって酒を飲み、わいわいと騒いでいる。いつまでも若々しいというか幼い両親だ。
「だから、僕の話でも聴きなさい」
アカネじいさんは念を押すように言う。
近所の一軒家で独りひっそりと暮らしているアカネじいさんは、今年で125歳に達しようとしている。医療が発達して平均寿命も大昔に比べたら長くはなってきたが、125歳はその中でも高齢だ。日がな一日、家の縁側でのんびりしているところに、暇を持て余した時には一緒にのんびりしてやるのも俺の日課だったりする。でも、その時にはこうして積極的に口を開くことはしなかった。
「じいさんの昔話?」
「この星の、昔話だ」
「この星の、ねぇ」
「まだ、この星に朝と夜がなかったことは知っているな」
「あー。授業でやった。確か、地球に対する月と同じように、この星も恒星に対して同じ面を向けたまま公転をしていた。だから、恒星に向いている面は常に朝で、向いていない方は常に夜だった、だっけか」
「その通り」
「テストで丸暗記すると結構覚えてるもんなんだな」
俺は言いながら体を仰向けに倒して、観客席になっている野原にゴロンと寝転ぶ。背中からは草のひんやりとした温度が伝わり、視界には夜空に広がる無数の星々が飛びこんでくる。
星の輝きは確かに夜空に存在し、まるで点描で彩られた絵のような美しさを誇っていた。不便すぎて暮らしにくい星だが、この夜空を憎むことは俺にもできない。
「人間が暮らすには、朝の面は熱過ぎ、夜の面は寒すぎた。しかし、それ以外の水や大気などの要素は満たしている。だから、人為的に『朝』と『夜』を創り出した」
アカネじいさんは続ける。
「そうだそうだ。今考えると意味わかんねぇな。朝と夜を創るって。そんなもんハンドメイドするもんじゃねーだろ」
「しかし、その当時はそれがふしぎでもなんでもなく、自然の営みとしてやっていたんだ」
アカネじいさんははっきりと言う。俺は顔だけを起こし、アカネじいさんを見る。そして、周りにも視線を移した。
誰もいないステージを囲んで設置されている観客席には数千人の観客が開演を今か今かと待ちわびながら思い思いの時間を過ごしている。それぞれのグループの元には蝋燭の灯がともされていて、地上にも無数の星があるように見える。とても、幻想的な風景だ。
「しかし、この星の自転スピードがある日を境に速くなり、公転のタイミングと自転のタイミングがずれて、ついにこの星にも『自然に訪れる朝と夜』が発生した」
アカネじいさんはそこで言葉を切る。
皺だらけな顔の中に埋もれている瞳が、どこか遠い眼をしているように俺には見えた。アカネじいさんのこんな眼を見るのは、初めてだ。
「それが、100年前の今日だ」
アカネじいさんは言った。
100年前の今日から、この星の自転スピードが変わり、朝と夜が生まれた。
だから、毎年執り行われる「記念祭」も、「100年記念祭」と特別仕様になっている。でも、流星群の妨害によってこの通り暫しご歓談を状態に陥っている。これもこれで一興かもしれないが。
「なんだっけ、当時の星の『夜側』で大爆発が起きて、その衝撃で自転のスピードが変わったんだっけか」
「その通り」
「でも、その爆発の原因って未だにわかってないんだろ。結局、何があったんだろうな」
「知りたいか」
アカネじいさんは言った。俺は寝転ばせていた体を起こし、視線をじいさんに向けた。
「知ってんのかよ、じいさん」
「いや、知らん」
「なんだよ。びっくりさせるなよ」
「ただ、話すことなら出来る」
「アカネじいさんが創った話ってこと?」
「そのようなものだ」
「ふうん」
夜を通り抜けて少しだけ冷たくなった風が俺の体をそっと撫でる。
耳には、人々の大小の話声が擽るように届く。
「この『記念祭』は、この星の声に耳を傾ける時間だと僕は思っている」
喧騒の中からアカネじいさんの声がしっかりと尽き抜けてくる。
「一年に一度、こうして『夜』に人々が集まり、この星を想う。この夜空に輝く無数の星の中のどれでもなく、ただ一つのこの星のことだけを想うために、人々は集う」
まるで、アカネじいさんの声が、星の声であるかのように俺の耳に届いた。
「この星を想う手助けとして、僕の話を始めよう」
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