第29話 「生」
「俺の開発の成果はそのシステムにあった。漆黒の細胞を創り出し、日光を遮断できるまでに肥大化させ、そして効率良く分裂できるように細胞を改良した。この共食いのシステムがあれば、培養機械の少量の電力を賄うだけで、ほとんどエネルギーを輩出することはない。安定したクリーンシステムだった。そのおかげで、『夜』を創り出すことができるようになったんだ」
ミナトはマシンのタッチパネルに手を乗せる。まるで、『夜粒』を、我が子をいつくしむかのように柔らかな手つきで。
「しかし、俺の予想に反して、『夜粒』は成長していった。細胞組織の中に集団心理が生まれたのか、その理由はまだわからない。しかし、『夜粒』が確固たる意志を持ってしまったんだ」
「意志って、人間が持っているような、意志ですか」
「そう。『夜粒』は思考し、意志を持って行動を起こすようになったんだ」
「そんなことが」
「起こったんだ。俺だって最初は信じられなかったよ」
「じゃあ、まさか」
コヒナタの背中に貼り着くように、「夜」になっては現れ、「朝」になれば消えて行く、「人夜」。
あれは、生きた「夜粒」だったんだ。コヒナタは、そこで確信した。
「コヒナタのところにも来ただろう。全身闇で象られた偽物の人間が」
「じゃあ、ミナトさんのところにも」
「あぁ。そうだ。俺の仕事中に、俺と体型も声も喋り方も全く同じやつが現れた。そして、俺はお前の味方だ、と。そいつはそう言った」
「人夜」と同じだ。コヒナタだけではなく、ミナトにもやつは現れていたんだ。
「散布データとの相関を見ると、散布濃度が安定しないときに出る確率が高くなるらしい」
確かに、「人夜」が現れるときは、コヒナタもマシンの操作にてこずったときだ。
「そして、そいつらは、人の心で無意識に抑圧されている罪の意識、そして不安、弱み、それらに敏感に反応し、言葉として具現化させる。そいつらの体自体にはほとんど実態はない。ただの粒子の塊だがな。しかし、そいつらの声は、確かなものなんだ。それは、俺たちの心の声なんだからな」
一歩踏み出せば、破滅につながる。
だから僕は君のことを止めたいんだ。変化を止めたい。
君が恋の道を歩くのをやめない限り、僕は何度だってここに来るよ。
あの時、「人夜」が発した言葉。
それらは「人夜」の言葉ではなく、コヒナタの心の片隅で眠っていた、コヒナタが眠らせようとしていた言葉に他ならなかった。
コヒナタが抱える不安。
変化に対する恐怖、不安。それらをそのまま「人夜」がトレースし、コヒナタの無意識下から救出し、そして改めてコヒナタに向かってぶつける。不安を掘り出し、意識上にあげる。その作業「人夜」はやってのけたのだ。
「それで、そいつは俺に言うんだ。このままでいいのかって。このまま人間に悪影響を与えているかもしれないものを撒き散らしていいのかって。ジカンが眠ったときにも、そいつは現れた。あいつらは、ジカンの精神にも影響を及ぼしたと言った」
「ジカンの精神に、不安や罪悪感があるっていうんですか」
「罪の意識はないが、日照のリズムが崩れたことで精神状態が不安定になり、あいつらが『眠れ』と唆したらしい」
「それも、あいつらが、言ってたんですか」
「そうだ。このままでいいのか、このまま生命体に害を及ぼし続けていいのか、自分が生み出したものが、全てのものに悪影響を与えてもいいのか、とな。それらは俺が開発当時から抱いていた不安であり疑問であり、罪の意識だったんだ。そんな声を無視しして自分のことを常に正当化していた。他の生命体の領域を侵すことは悪いことじゃない。生きることってのはそういうことなんだ、ってな。でも、そうやって正当化すればするほど、『あいつら』の声は大きくなっていった。俺は、それに耐えることができなくなったんだよ」
ミナトの声からは、もういつもの威勢は感じられなかった。全てを諦め、全てを覚悟し、全てを受け入れたような、静かな声だった。
「そういうことだよ。コヒナタ。巻き込んで悪かった。これは、俺とこいつの問題なんだ。こいつが抱えた責任は俺の手でどうにかしてやらないといけない。だから、お前は逃げるんだ。まだ、時間はある。愛車で遠くへ逃げろ。お前は、生きなきゃいけない」
「ミナトさんも生きなきゃいけないに決まってるじゃないですか!」
「俺はいいんだよ。もう、お前は俺がいなくたって立派に生きていける」
ミナトは、また椅子を廻して、コヒナタと向かい合った。
「お前はもう立派に女と二人で飯も食えるし、美容院にも行ける。もう、俺の下を離れろ」
パトリシアがいつか言っていた言葉と重なる。
ミナトは、この上ないくらいに優しい顔をしていた。
こんな状況で。死を間際にしたこの状況で。ミナトは、優しい表情を浮かべていた。
「もう、俺から教わることは何もないよ。お前は立派に変化したじゃないか。あいつらに何を唆されてたかは俺にはわからねぇが、お前は闘った。そして、お前は自分の殻をきっちりと破ったじゃないか。俺には、それができなかった。お前は、もう俺から、この星から、旅立つべきだ」
ミナトはぽつぽつと言葉を並べる。
「まだ間に合う。行け、コヒナタ。走れ。前に進め。俺から、離れろ」
コヒナタは、ミナトを見る。
「俺は、いつだってお前の味方なんだ。俺は、お前を死なせるわけにはいかない」
ミナトの目には、生気は宿っていなかった。
ここまで、ミナトさんを苦しめるなんて。「人夜」の恐ろしさを改めて思い知る。
「嫌です」
「いい加減にしろ。死にたいのか。早くここから出て行くんだ」
「僕は誰も死なせたくない」
ごうん、ごうん、と駆動音が響く。まるでコヒナタにはその駆動音が『夜粒』の声のように聴こえる。
「僕は、誰にも死んでほしくありません。たとえ、ミナトさんにどんな事情があったとしても、ミナトさんを死なせたくない」
ごんごんごん、という音が響く。
「僕を成長させてくれたのはミナトさんです」
ミナトさんが、僕を「夜」の世界から引きずりだしてくれた。
メグミと久しぶりに食事ができた。
「朝」の世界でパトリシアさんと出会わせてくれた。
ホシノさんと、食事をする勇気を出すことができた。
それは全て、ミナトさんのおかげじゃないですか。
コヒナタの中に、次々と言葉が浮かんでくる。
ミナトと交わした酒の味を思い出す。
ミナトと交わした言葉の応酬を思い出す。
それと同時に、数々の出会いを思い出す。
僕が出会ってきた人たちを、僕が好きになった憧れの人を、僕に大切なことを教えてくれた人を、死なせるわけには、絶対にいかない。
「ミナトさん。僕はずっとミナトさんの言葉に従ってきました。それは、ミナトさんの言葉を信じることができたからです。でも、今の僕はミナトさんの言うことに従うことはできない」
コヒナタは歩き始めていた。
「僕は、僕を信じたいから」
コヒナタは、ミナトに向かって、「夜粒」に向かって歩き始める。
「ミナトさんも、あの男も、歩くことを知らないんです」
マシンは、われ関せずな態度で「夜粒」を増幅し続ける。
「僕たちは、歩くことしかできないんです」
この星に「夜」をもたらすために、そして自分の餌を求めるために、「夜粒」は自分の体を分裂させ、またその分裂した体を喰う。
「僕たちは、前に向かって歩くことしかできないんです。立ち止まることなんて、できないんです。あの男は人類を立ち止まらせようとしている。ミナトさんは、自分を立ち止まらせようとしている。でも、人間にそんなことをする権利はないんです。人間が出来ることは枷をつけながらも、歩き続けることなんじゃないですか」
ジカンにも、精神の不安定があるように。精神の不安定さを持ちながらも、走り続けなければならないように。
「それで、間違えたら方向を正せばいい。疲れたのならスピードを落とせばいい。でも、やっぱり人は歩き続けなければならないんですよ。全ての出会いを巻き込んで、歩いて行くしかないんです」
コヒナタはマシンに到達する。
「ミナトさん、どいてください」
ミナトは言われて、椅子から立ち上がる。
コヒナタは、ミナトから視線を外し、タッチパネルに向き合う。
「夜粒」の散布座標を「夜」の管理棟に合わせ、散布開始の操作をする。
「どういうつもりだ、コヒナタ」
ミナトがそう言ううちに、建物の外が漆黒に包まれていく。
「『あいつ』を呼ぶんです」
コヒナタは椅子から立ちあがって、振り向く。
いつも、「人夜」が出てくる位置を見る。
「『あいつ』と話させて下さい」
コヒナタは、大きな窓を全開にする。そこから、大量の「夜粒」が部屋の中に侵入する。
そして、その「夜粒」はコヒナタの思惑通り、人の形に収斂されていく。
コヒナタと同じ身長、体格へと変化していく。
コヒナタは、目の前に現れた闇と対峙する。
「おはよう、コヒナタくん」
聴き慣れた声で、「人夜」は言った。
「今日はわざわざ僕を呼びだしてくれたんだね。珍しいこともあるものだなぁ」
「人夜」は、いつもと変わらず、軽い口調でそう言った。
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