第13話 川屋くんはさっちゃんになる
それから数日、とにかく普通に過ごすことを徹底して国府田は生きた。そのかいあって平凡な日々が続いてくれた。国府田がクラスで授業を受ける状態に戻った時はSNSに国府田の隠し撮り写真が投稿されたが、それも1日で終わった。
放課後の行動も自由になり、国府田は再び美術室で川屋と過ごすようになっていた。たまに好機の目線で室内を覗かれることがあり、川屋に迷惑をかけているようで気がとがめたが、川屋は「今さらでしょ」と一蹴した。
その日も平凡な一日だった。国府田は美術室で消しゴムのデッサンに没頭していた。形は単純で、白いため陰影が分かりやすいが、使われている箇所の曲線に法則性は無いし、ゴムとカバーで質感が異なる。取り組みがいのある課題だった。
川屋が後ろから覗き込んできた。川屋は日中はたいてい寝ていて、放課後になると元気になる。
「けっこう上手になったねぇ。雰囲気出てるよ」
「ありがとうございます」
川屋は風景画が好きなようだった。窓から見える山の景色を、水彩で何枚も描いていた。淡い色使いが綺麗だと、国府田はいつも思っていた。
「実は本を読んで勉強してるんです」
「え、デッサンの本?」
「そうです。その本に、消しゴムが練習に向いてると書いてあったので」
「へー! いいね、僕も見てみていい?」
「勿論ですよ」
「じゃあこの後部屋に行くよ」
川屋が片付けを始めたので、国府田も道具をしまい、2人で帰路につく。寮の入り口で一旦別れて自室に戻ると、室内の状況は日頃とは大きく異なっていた。
机とタンスの引き出しが全て開けられ、中身が床に散乱している。衣類、書類、本、全てがごちゃごちゃに混ざりあって積み重なっていた。
一瞬、泥棒が入ったのかと考えた。違うだろう。おそらく探していたのは、何らかの『証拠』だ。石井の所有品なのか、犯行に使った道具なのか。何か、国府田を追い詰めるための、犯罪の証拠を探している人物が行ったのだ。
足元の床がぐらついた気がして、国府田は後ずさった。立っていられない。足に力が入らずに倒れそうになった時、川屋の腕が国府田を支えた。
川屋は国府田を支えながら、部屋の中を無表情に凝視している。しばらく2人でその場に立ち尽くした。
「とりあえず片付けよう」
川屋は部屋の中に入っていった。国府田も後に続き、散乱しているものを拾い集めた。すぐに1冊の本が見つかった。
「これですよ、さっき話したデッサンの本です」
初心者向けのデッサンの教本を川屋に差し出す。川屋は軽く吹き出した。
「そんなこと忘れてたよ! 国府田くん、根性付いてきたんじゃない?」
「そうでしょうか……?」
とりあえず本は脇に置いておき、国府田は片付けを続けた。すると川屋が顔を近付け、小声で話し始めた。
「やった人に心当たりがある。最近、君の部屋を覗いてた人がいた。このチャンスを探ってたんだと思う」
「誰ですか」
国府田も小声で応じた。
「塚本君」
国府田の想像通りの名前だった。石井と一緒になって自分へのいじめを楽しんでいた一人だ。石井が死ぬ直前の動画の持ち主の一人でもある。寮生である塚本なら、家探しはやりやすかっただろう。近日は全く動きがなく、興味を失ったのだと思っていたが……
「何か状況が変わったんでしょうか」
「そうだろうね。部屋を荒らすなんて、かなりの強硬手段だ。手段を選ばなくなってる」
「何があったんでしょうか……?」
「分からない。分からないけど……すぐに対処が必要だ。明日は空いてる? 外で打ち合わせをしよう」
川屋は少し楽しそうに見えた。
「明日はまだ金曜日ですよ」
「あのね、明日は祭日だよ」
「え!?」
川屋に笑われ、国府田は慌ててカレンダーを見た。確かに明日の日付は赤くなっている。
「気付いてませんでした」
「危ないところだったね。じゃあ詳しい作戦は明日相談しよう」
翌日の11時頃、2人は繁華街の裏道で待ち合わせた。
国府田の変装はタンスを漁った塚本にバレている可能性があるため、変装用の服を買い直すことになってしまった。トラブルの度に出費があるのは辛い、という話を川屋に言うと、「こんなことでもないと君は服を買わないだろうから、いい経験だったかもね」と諭されてしまった。
打ち合わせ場所を探して2人は商店街を歩いた。13時を少し過ぎた辺りだったが、飲食店はどこも行列ができていた。
「あ、あれどう?」
川屋が指差したのは中華料理だった。『ジャンボラーメン 30分以内完食の方 無料』と看板が立っており、体の大きい男たちが列をなしていた。
川屋はニコニコと無邪気な表情で国府田を見つめている。
「駄目」
「えー!」
そんな食欲は湧くような状況ではないし、何より目立ちたくない。国府田は川屋を押してその場を通り過ぎた。
結局、喫茶店の列に並び、1時間待って入った。最近川屋が読んでいる漫画の話を聞いている間に、すぐ順番が回ってきた。
大きなパイの上に大きなソフトクリームが乗っているものをフォークで突きながら、川屋は難しい表情をした。
「塚本君はさ、自分で決断して行動するタイプじゃないよね」
「そうですね」
「敬語」
作戦会議の空気に押され、国府田はついいつもの敬語調に戻ってしまっていた。
「ごめん……えぇと、そうだね。いつも誰かの後に続いたり、誰かの指示で動いたり、が多いと思う」
「どうして突然、国府田くんの部屋に忍び込んで家探しをするなんて思い切ったことをしたんだと思う?」
「……誰かの指示?」
「そう!」
川屋は勢いよく指を立てた。
「誰の指示だか当ててみて! 国府田くんも知ってる人だよ」
「えぇ……」
突然のクイズに戸惑ったが、国府田は記憶の中を探った。自分が知っている人物で、塚本と関係があり、国府田の罪を暴いて得をする人物は思い浮かばない。クラスメートも教師も、悪事を許せないなどの普遍的な動機はあるのかもしれないが、塚本に家探しを指示する必然性がありそうな人物はいないと思われた。
「難しい? ヒントはね、校内の人じゃありません」
「……ひょっとして、石井の父親?」
「正解!」
川屋は自分の皿のイチゴを一つ、国府田の皿に乗せた。賞品のつもりなのだろう。
「あの2人が知り合いだったとは」
「最初から知り合いだった訳じゃないと思うけどね。強引なお父さんだったから、どこかで捕まって説得されちゃったんじゃないかな?」
「なんか……見てきたみたいに話すね」
「見たわけじゃないけどね」
川屋はスマートフォンを取り出した。
「国府田くん、ブルートゥースって知ってる?」
「ブルー……? いや、知らない」
川屋はポケットから無線のイヤホンを取り出すと、一つを国府田に渡し、耳につけるようジェスチャーで指示した。
「スマートフォンと、イヤホンとかマイクとかを無線で繋ぐことができるんだよ。ケーブルが要らないの」
川屋がスマートフォンを操作すると、国府田が装着したイヤホンから音楽が流れはじめた。
「へぇ、便利だね」
「でしょ? これ、ちょっとくらい離れてても大丈夫なんだ。だからこんなこともできる」
川屋は再びスマートフォンを操作した。音楽が止み、人の声が流れる。
聞き覚えのある声だった。塚本の声だ。驚いて川屋を見ると、川屋は口に人差し指を当てて国府田を制した。
『はい、すみません……はい、すみません……石井さん、あの……』
塚本は弁解しているようだった。部屋を探したが何も見つからなかったことについて謝っているようだった。
『はい、もう少し探してみます。はい、すみません。……うるせったい、クソが!』
塚本の悪態が聞こえたところで、川屋は再生を止めた。
「これは?」
「まぁ、俗に言う、盗聴というやつだね。ブルートゥースマイクを塚本君の部屋に仕掛けて、聞こえてくる音を録音したんだ」
「昨日仕掛けたんですか?」
「この音声は昨日のものだけど、仕掛けたのはずっと前だよ。電池が切れるから、たまに交換しながらずっと録音してたんだけど、役に立ったね」
いつものことながら、川屋の用意周到さには驚かされる。様々な状況を想定し、事前に手を打っているのだ。
「こうなることを予測してたんですか?」
「僕は、動画がネットニュースに流れた時から違和感を感じてた。塚本君と牧野君は一旦納得したはずだったのに、どうして動画はネットに流れたんだろうってね。しかもすぐじゃなくて、1週間経った後にだよ。何か想定外の人が動いてるっぽいなと思って、とりあえず寮に住んでる塚本君は網を張りやすかったから監視してたんだ。誰かがこの件を意図的に掻き回してるとしたら、このまま状況が落ち着いたら困るだろうから、そろそろ次の手を仕掛けてくるだろうとは思っていた。石井さん、と言っていたのは聞こえたね?」
「はい」
石井の父親に腕を引かれ、車に連れ込まれそうになったことを思い出した。あの勢いで塚本に迫ったら、動画の件などすぐに話してしまっただろう。そこから塚本が石井父の言いなりになっただろうことは簡単に想像できた。
「最初は、動画が流出したら国府田くんが逮捕されて真相が解明されると思ったんだろうね。でも僕たちはそれをかわしたから、今は証拠を探してるんだろう。日記に書いてるとでも思ったのかな?」
川屋は笑っている。しかし、目の奥に底知れない冷たさを感じた。
「川屋さん」
「川屋さん?」
「あ……」
国府田はたじろいだ。あまりの衝撃に、普段の話し方に戻ってしまっていた。
国府田は意を決した。羞恥心は耐え難いが、話さねばならない。
「あの……さっちゃん」
「どうしたの? こうちゃん」
川屋はいたずらっぽく笑った。国府田は一瞬続きを躊躇ったが、踏ん張った。
「塚本さんの消し方を考えてない?」
「すごい! よく分かったね!」
「なんとなく、そんな気が……」
今の川屋から感じられるのは異様な冷たさだけだ。初めて会った時に感じたものに近かった。
「僕たちは証拠なんて持ってない。君のスマートフォンを盗んだって何も出てきやしない。塚本君も石井くんの父親も、すぐに手詰まりになる。手詰まりになった彼らが何をするかは分からないけど、家探しよりもさらに強引で一方的な何かになるだろうね。それは未然に防がないといけない」
川屋の理屈な国府田にも納得できるものだった。だが、同意はできなかった。
「塚本さんには何もしないでほしい」
「どうして?」
川屋は無表情で国府田を見つめた。
国府田の脳裏に、初めての殺人の光景がよみがえった。血まみれのトイレで笑う川屋。絶望から自分を救ってくれた川屋の姿を、今でも鮮明に思い出すことができる。
「学校でこれ以上事件を起こすと、校内の捜査が行われる。これ以上の事件は起こすべきじゃない」
「学校の外でやればいいでしょ」
「今は相手も警戒してる。都合よくいくと思えない」
「警戒されてるのは君だけだよ。僕が動けば大丈夫」
「駄目だ!」
思わず大きな声を出してしまい、国府田自身も驚いた。川屋も目を丸くしている。
「……ごめん。でも、私たちは学校でずっと一緒にいるから、川……さっちゃんも目をつけられてると思った方がいい。危険な目にあうかもしれない」
川屋は少しうつむき、目を合わせずに口を開いた。
「罪悪感を感じているの?」
国府田も川屋から目を反らした。
「当たり前だけど、石井にだって親はいて、いなくなったら悲しむんだ。私一人で我慢していれば、石井たちは幸せなままだった。塚本さんだって同じだ、悲しむ親がいるんだ」
「キミにだって親はいる。立場が逆だったら、泣くのがキミの親になってただけだ」
「私の親は……ちょっと違って。泣くかもしれないけど、それは自分のためだ。私のためじゃないんだ。何日か経ったら大丈夫。必死に犯人を探したりもしない」
川屋が国府田の手を掴んだ。強い力が込められていた。
「僕は泣く。君が消えたら、犯人を必ず殺すよ」
目線が合った。川屋の表情は失われている。国府田は耐えきれず、再び目を反らしてしまった。それでもなんとか言葉を絞り出す。
「今さらだけど、川屋さんを巻き込みたくない。もうこれ以上、私のせいで誰かの人生に傷が付くのは嫌なんだ。次何かあったら自首して、全部自分がやったって話す。それで全部解決するんだ」
しばらく沈黙が続いた。国府田は俯いて、溶けきったソフトクリームを眺めていた。
やがて川屋が口を開いた。静かな声色だった。
「石井くんも塚本君も、害虫みたいなものだ。襲われたら排除するしかない、それだけさ」
瞳の奥に火が灯ったかのようだった。激しい怒りが放たれているのを国府田は感じた。
「害虫の方がまだ、食べるためにやってるからマトモだ。彼らがやってるのは自慰行為だ。自己愛が強すぎるから、人を陥れて、自分は特別なんだと感じることでしか快楽を得られない。存在自体が害なんだ。僕らの前を飛び回るなら、消し去らないとスッキリしないじゃん」
国府田は勢いに飲まれ、何も言うことができなかった。
「今度、自首の話をしたら許さない。君の口を接着剤で塞いでやる」
川屋は席を立った。国府田は動けず、しばらくその場に留まった。
それから土日にかけて、国府田と川屋の間に会話はなかった。土曜の授業が終わったら川屋は姿を消し、見かけることすらなかった。
翌週の月曜日の夜、塚本は寮内で急に暴れ出し、停学となった。その後、覚せい剤を使用したことが発覚し、退学となった。
殺さなかっただけ、自分の気持ちを汲んでくれたのかもしれない……そんな考えが一瞬、国府田の脳裏を通り過ぎた。
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