第25話 国府田くんの犯罪がバレる

 しばらくは、授業が終わった後すぐに寮に戻るようにした。川屋が先を歩き、石井の父が待ち構えていないか確認するようにしたが、遭遇することはなかった。

 2人が放課後を過ごす場所は国府田の部屋へと移った。国府田は消しゴムのデッサンを再開し、川屋は小さい窓から見える外の風景をスケッチしていた。

校内では毎日、色々な生徒が大小様々な事件を起こした。それらの事件は幸い、2人に雑談の題材を提供するだけで、日々の平穏を脅かすものではなかった。

 その日も2人は落ち着いた放課後を過ごしていた。

「テストの準備してる?」

「まぁ少しずつやってます……」

「そっかー……僕もそろそろやんなきゃかなぁ」

「そういえば川屋さんが勉強してるところ見たことありませんね」

「やる気ゼロだったからねぇ……でもちょっと真面目になってみようかなぁ」

「起きて授業を聞くところから始めたら良いと思いますよ」

「お、言うじゃん」

 いたずらっぽく笑った川屋が突然、口を閉ざして扉の外に目をやった。足音が近付いていた。

 足音は部屋の前で止まった。

「国府田くん、いるか」

 聞き覚えのあまりない声だった。だが、答えない訳にもいかない。国府田は川屋に目配せをし、返事をした。

「はい、います」

 扉を開けたのは小柄で細身の男性だった。教頭だ。

 教頭は室内に川屋がいることに驚いたようだったが、その件には触れないことにしたようだった。口の端を絞めて、国府田の方に向き直った。

「明日当校に、いじめ問題の専門家の方がいらっしゃる」

 教頭が言うには、その専門家が、近日世間を騒がせたいじめ問題の関係者として、国府田の話を是非聞きたがっている、とのことだった。

「君も辛い立場だとは思うが、少し時間をもらえるか。校長からも是非にと言われている」

 国府田は横目で川屋を見た。川屋は小さく頷いた。

「分かりました。伺います」

「ありがとう」

 教頭は去っていった。終始、無表情のままだった。国府田は扉に近付き、足音が聞こえなくなったのを確認してから口を開いた。

「大丈夫でしょうか」

「不安はあるよね。教育学に詳しいって人、モンスターばっかりだから」

 川屋は眉をひそめた。

「ただ、校長の名前を出されるとなぁ……」

「校長先生に保護してもらってる身の上ですからね」

 国府田も川屋も、校長には借りがある。無碍にはできなかった。

「まぁ、行ってきます」

「気をつけてね」


 翌日、国府田は自分の選択を心の底から後悔した。

 教頭に連れていかれた会議室で待っていたのは石井の父親1人だった。国府田は教頭に抗議の目を向けたが、教頭は無表情のまま、出口を塞ぐように椅子を引いた。

「座りなさい」

 石井の父の声は冷たかった。そして圧力がある。

 国府田は恐る恐る席につき、石井の父の言葉を待った。

「今日こそ本当のことを聞かせてもらう」

 石井の父は国府田を睨み続けている。国府田は目を逸らし、俯いた。

「私はいつも本当のことをお伝えしています」

 言葉の最後では自然と涙が出そうになってきた。最近は泣きの演技にも慣れてきたようだ。

「それだ! それがおかしい」

 石井の父は机を叩いた。

「君は周囲を騙している。私の前ではすぐ泣いて見せるが、君の行動は真逆じゃないか。ナイフを振り回し、相手を川に突き落として、凶暴な加害者そのものだ!」

 石井の父は立ち上がり、国府田の隣まで突き進んできた。国府田の目の前で繰り返し机を叩く。

「過酷ないじめを受けていたなら、なぜすぐに助けを求めなかった? 本当はいじめなんて無かったんだろう。後から作ったでまかせだ!」

 至近距離で怒鳴られながら、国府田は、眼の前の人物があの石井の父親であることを改めて実感した。迫り方が似ている。

「国府田くん。そろそろ本当のことを話したらどうだ」

 後ろから教頭が口を挟んだ。

「教頭先生、この方は中立な立場ではないと思うのですが」

「生意気を言うんじゃない。素直に言うことを聞きなさい」

 教頭の表情は全く動かない。死んだ魚のようだ、と国府田は感じた。

 逃げ場は無かった。このまま、国府田が音を上げるまで問い詰め続けるつもりなのだろう。不安で足元が崩れ落ちそうだった。

 石井の父が大げさなため息をついてみせた。

「これから一生、嘘をついて生きていくのか? 誰からも信用されない、孤独な人生を送ることになるんだ。それは嫌だろう?」

 孤独な人生、という言葉に、国府田は胸がざわつくのを感じた。この人は何も分かっていない。言っていることが真逆だ。

国府田は罪を犯すまでは孤独だった。今は一緒に嘘を突き通そうとしてくれる友人がいる。生まれて初めて、孤独ではない人生を生きている。今の国府田に、孤独呼ばわりされる謂れはない。

 犯罪者として、罪悪感は常に持っていた。しかし、それを超える強烈な怒りが湧いた。国府田は石井の父を真っ向から睨み返し、大きく息を吸った。

「私が石井さんから日常的に暴力を振るわれていたのは事実です」

 石井の父は更に強く机を叩いた。

「本来、こういう時は双方の言い分を聞く必要があるんだが、残念ながらそれができない。お前が被害を主張し始めるのがいつも、相手が死んで、反論できなくなった後だからだ!」

「今までも話していました。聞いて頂けなかっただけです」

「君の話には現実味を感じられない。男同士で性的虐待だと! そんな残酷ないじめがあったのなら、先生方が気付かないはずがないんだよ。君だって、とっくに学校を辞めるか登校拒否か、逃げ出していたはずだ。君の言っていることはおかしい!」

 石井の父は国府田の肩を掴み、強く押し込んだ。

「本当は、いじめていたのは君の方なんじゃないか? ナイフを振り回して加虐欲求を満たしていたのは君なんじゃないのか。罪をこれ以上重ねる前に、過ちを認めなさい!」

 唾を飛ばしながら石井の父が叫ぶ。国府田はだんだん、違和感を感じてきた。怒りを見せようとしているが、顔がこわばりすぎていて、努めて怒り顔を作っているだけのように見えてきた。

国府田は今さら、石井の父がここまで必死になる理由が分かった気がした。

「見たんですね」

「何をだ」

「息子さんが、私の髪を掴んで、彼のペニスを咥えさせようとする映像です」

「また君の夢物語か。そんなことが現実に起こる訳がないと言っているだろう」

「息子さんはそんなことをするはずがない。自分は親として落ち度があったはずがない。そう思うために、私という悪人の存在が必要なんですね」

「何だ、その口のきき方は!」

 石井の父は国府田の襟を掴み、首を締め上げようとした。国府田はその腕を掴んだ。

「一度起こったことを、なかったことにはできません」

 国府田は石井の父を押し退けながら立ち上がった。

「私の人生はグチャグチャです。今さら何を頑張っても、失った時間は帰ってこないし、辛い記憶も消えないし、人を信じられない。心はねじ曲がったまま、まっすぐには永遠に戻りません。今さら、起こってしまったことを、水に流すことはできないんですよ。それでも生きていたいと思うから、死ぬ気で頑張って、地獄に落ちてしまった自分の人生を、なんとか引き上げようとしてるんです。それを、あなたの勝手な都合で止めることはできません」

 石井の父は顔を歪ませて手を振り払った。キョロキョロと辺りを見回し、小さな声で何かをしきりに呟き始めた。

 そして突然、手近な椅子を持ち上げ、叫んだ。

「ガキがごちゃごちゃ言うな!」

 石井の父は国府田に椅子で殴りかかった。国府田はとっさに自分が座っていた椅子で防いだ。

 石井の父はしばらく暴れた後、ふらふらと会議室を出ていった。腰を抜かしていた教頭が四つん這いでその後を追った。国府田は全身の力が抜けてしまい、その場に座り込んだ。

 これからどうしようか考えていると、廊下から教頭の叫び声が聞こえた。国府田は声がする方へ走った。何か硬いものが割れるような、乾いた音が周囲に響いている。

 音がする方には芸術棟のトイレがある。国府田は速度を上げた。

 国府田が駆けつけた時には、もう全てが手遅れだった。

「博志! 今出してやる!」

石井の父は叫びながら、便器を椅子で殴って破壊していた。彼が椅子を振り回す度に、陶器が割れる音が響く。教頭が足にしがみついて止めようとしていたが、石井の父は暴れ続けた。

 騒ぎを聞きつけたのだろう、大勢の足音が近付いてくる。国府田はその場にへたりこんだ。


 程なく、学校にパトカーが数台来た。

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