第24話 国府田くんは鈍い
翌日には退院し、国府田は昼頃に寮に戻った。その日は授業を休むよう指示されていたので、国府田は自室のベッドで寝転んでいた。病院とあまり変わらないが、石井の父親の再来に怯えなくていいのは気が楽だった。
誰かの足音が近付いてくるのが聞こえた。国府田の部屋の前で止まったようだ。国府田は体を起こした。
「国府田くん、いる?」
聞き慣れた声だった。部屋の中が一気に明るくなったようだった。
「いますよ」
扉が空いた。川屋はいつも通りの眠そうな笑顔だった。
帰ってきた。国府田はやっと、そう実感できた。
「おかえり」
「ただいま」
川屋は国府田の横に腰掛け、2人はベッドに並んで座った。
「授業はどうしたんですか?」
「今日はサボり」
「まぁ、私もそんなところです」
国府田は川屋から、入院していた間の色々なことを聞いた。学校にパトカーと救急車が来たことで近所でも噂が広がってしまい、ホームルームでは度々、口外禁止の指示が出たらしい。また校舎裏の竹林への侵入が改めて禁止され、抜き打ちの持ち物検査の結果、タバコが見つかって停学になった生徒が数名出たそうだった。
国府田は久しぶりに安らかな気持ちでいられた。一つの事件を越えたという実感が、ようやく湧いてきた。
しかし安心は敵だ。国府田は今抱えているリスクに意識を向け直した。
「石井の父親、何か対処が必要でしょうか」
「うーん……いい案が無いんだよね」
川屋は腕を組んだ。
「今までの相手はやりやすかったよね。学生同士、いくらでも隙を見つけられた。学校って秘密空間だし、彼ら自身が人目を避けてたしね。石井くんのお父さんに何かしようとすると街中になるから、監視カメラとかがどうしても邪魔になるんだよねぇ……」
「街中?」
「石井くんの家。F市内のいいとこだよ。駅のすぐそこの大きなマンション」
国府田は川屋に尊敬の眼差しを向けた。川屋はすでに襲撃の計画を立てていたようだ。
「やるんなら帰宅した時の駐車場からマンションの間とかだけど、絶対、監視カメラあるだろうし、誰か通りかかる可能性も高いし……」
「ではしばらくは学校から出ないようにして、少しでも時間を稼ぎますか」
トイレの各所に証拠が残ってしまっていても、時間が経つほど発見される可能性は減るはずだ。それが数ヶ月なのか、年単位なのかは国府田には分からなかったが、必要であればやり切る覚悟はあった。
「そうだねぇ……」
川屋は天井を見上げた。
「どんどん行動が大胆になってるから、無理やり攻めてきそうで心配ではあるけど、他に有効な手段がない気がする」
「分かりました」
国府田の心は落ち着いていた。もはや難題を抱えていた方が安心するようになっているのかもしれない。
室内に静寂が訪れた。川屋は足をぶらぶらさせながら、国府田を横目で見ては目を逸らしている。
「あの、どうかしましたか?」
川屋が何かを言いよどむのは珍しいことだった。国府田が覗き込むと、川屋は更に顔を反らした。
「川屋さん……?」
川屋はしばらく口の端を強く結んで黙っていたが、やがて諦めたように笑った。
「君は本当に何も気にしてないんだね」
川屋は呆れているようだった。国府田は困惑した。
「すみません、何をでしょうか……?」
「知らないよ!」
川屋は国府田の胸を軽く叩いた。
「えぇ、すみません……」
川屋は再び口を閉ざしてしまった。気まずい沈黙をなんとか打破しようと、国府田は話題を探した。
「そういえば川屋さん、どうやって男子校に入学したんですか?」
川屋は突然ベッドの上に倒れ込んだ。呆然と天井を見上げる。
「あれ、どうしました……?」
すぐに川屋は飛び起きた。
「それを! 今! 聞く!?」
「え、あ、はい」
川屋は再びベッドに倒れた。今度は肩を震わせて笑っている。
「国府田くんは本当に凄いね。超絶マイペース。尊敬するよ」
「えぇ、褒めてないですよね、それ」
「本気だよ。君ほど心がタフな人は見たことがない。凄く強い人だと思う」
国府田は頭を掻いた。褒められることには慣れていなかった。
川屋はぽつりぽつりと話しはじめた。
「18歳になったら性別を変えられるって知ってる? 僕は18になったら男になるつもりで、病院から薬を貰ったりしてたんだ。そしたらおじさんにバレちゃって。あ、おじさんっていうのは吉村先生のことだよ」
「え!?」
国府田は思わず大きな声をあげてしまった。川屋は少しだけ笑った。
「おじさんは結婚して名字が変わったけど、僕の父親の弟なんだよ」
国府田にとってあまりに意外だった。川屋と吉村では、見た目も性格もかけ離れている。
「おじさんは、僕の処方箋を見ちゃったんだ。性別を変えるには、子宮摘出とか、後戻りできない手術が必要だから、おじさんは怖くなって校長に相談したみたい。このままやらせていいのかってね。で、校長は、男としての生活を体験してみてから判断しても遅くないだろって」
「そんな特別扱いが可能なんですね」
「実は法律上も問題ないみたいだよ。男子校とか女子校とか、法律で決まってる訳じゃないから、学校が良ければそれでいいんだって。今にして思えば、共学にするために女子の意見が欲しかったのかもしれないけどね。たまに設備のこととか相談されるよ」
川屋は舌を出した。
国府田は過去の色々なことを思い返した。寮での特別扱いも、名簿に名前がないのも、校長の性格に詳しかったのも、全て理由があったのだと納得した。
突然口を閉ざした国府田に、川屋が不安げな視線を向けた。
「気になる?」
「吉村先生、ちょっとかわいそうですね。心労が凄そうです」
「そこなの!?」
川屋は笑いながら、再び国府田の胸を軽く叩いた。
「僕が聞きたかったのは、国府田くんの中で僕の扱いが何か変わりそうかってこと。でも、全然気にしてなさそうで安心したよ」
川屋は声を上げて笑う。国府田はようやく合点がいった。改めて自分の気持ちを省みながら、言葉を選ぶ。
「私にとって川屋さんは、この世に1人しかいない特別な存在です。性別がどちらでも、それは変わりません」
川屋はしばらく目を伏せて、じっとしていた。国府田の言葉の意味を少しずつ受け入れている、といった様子だった。そして国府田に澄んだ笑顔を向けた。
「ありがとう、国府田くん」
「こちらこそ」
国府田の頬も緩んだ。
川屋は複雑な表情で、一瞬だけ自分の口元を触った。国府田は何か大事なことを忘れている気がしたが、気にしないことにした。
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