第8話 国府田くんは有名人になる
1週間が経った。起こったことと言えば、高校生が先週から行方不明で捜索が行われている、という短いニュース記事が地元新聞社のウェブサイトに載った程度で、大きなトラブルは起こらなかった。
日常には変化があった。これまでは協力関係を隠すために校内では接触を避けていた川屋が、遠慮なく話しかけてくるようになった。もう大丈夫という判断なのだろうか。国府田にとっては、学校に友人らしい友人がいてくれた記憶は幼少期で終わっていたため、戸惑う部分もあったが、喜びの方が大きかった。
放課後は美術室でデッサンの基本を教わった。川屋の言う「芸術家肌だね!」という言葉は全く褒め言葉に聞こえなかった。
意外にも川屋は漫画好きだった。蔵書を貸すと言ってくれたが、国府田の部屋に置くと盗まれてしまうので、川屋の部屋で読ませてもらった。努力と気合いがテーマの少年漫画だった。
川屋の非常識に振り回されることも多かった。画集を一日中眺めていたり、夕日に見とれて我を忘れたりする半面、少々グロテスクなマスコットキャラクターが可愛いとはしゃいだり、教師の鼻毛が出ていたことを思い出して大笑いしたり、おおよそ予想がつかなかった。たまに奇行に走るのも相変わらずで、油断するとノートに落書きをされたり、欠伸をした瞬間に口に菓子を放り込まれたりした。ある日突然、過激な女装写真を送られた時は反応に困った。
反面、川屋の包容力に、国府田は大いに助けられていた。同級生、教師、親、誰に対しても、伝えたいことが重要であればあるほど伝えられないまま生きてきた国府田にとって、川屋は初めて、正面から自分の考えを受け止め、掘り下げてくれる存在だった。
つまり、楽しい日々が続いていた。それが1週間も続くと、国府田は不安を覚え始めた。自分の運命を思えば、そろそろ何か大きなトラブルがあるはず……
そう思いながら更に2日が過ぎたが、何も起こらなかった。川屋に話すと「変な宗教だね」と笑われた。
もう心配しなくていいんだろうか。自分の運命を変えることができたのかもしれない。そう思っていいような気がしてきた。その日はよく眠れた。
翌日、気分良く、寮の朝の点呼を迎える。何人かがこちらを見ている気がした。きっと考えすぎだろう。被害者意識が強くなりすぎて、人の目線に過敏になってしまっているのだ。
朝食の時間でも目線を感じた。嫌な予感がし始めた。派手な寝ぐせなど笑える理由であってほしいと願っていると、川屋が隣の席に座った。薄ら笑いを浮かべている。
「おはよう」
「おはようございます。あの……」
「これ見て。笑えるよ」
国府田は川屋が差し出したスマートフォンの画面を見た。ネットニュースに投稿されたらしい映像が流れる。見覚えのある映像だった。
ナイフを振り上げる自分自身の姿が、何度もリピート再生されていた。SNS上で拡散された回数を表す数字は1万を超えており、見ている間にもどんどん増加していった。
逃げるように食堂を後にし、国府田と川屋は作戦会議を始めた。
動画が公開されたのは個人経営のニュースサイトだった。タイトルは『【衝撃映像】現役高校生同士の殺人事件の瞬間【顔出し】』、高校生行方不明の記事と絡めて、その真相として投稿され、彼は同級生に殺されていたのだ!というセンセーショナルな内容になっている。しかも動画は無音で投稿されており、国府田の『消せ』という言葉が聞こえず、鬼の形相で叫びながらナイフを振り上げているだけにしか見えなかった。投稿日時は昨日の22時。これが昨晩、SNSで広く拡散され、ご丁寧に誰かが国府田の実名を暴露。今朝にはもう国府田は有名人になっていたのだった。
「まず僕たちにとって幸運なのは、先生も警察もまだ動いてないってことだね。作戦を考える時間がある。ネットへの反応が鈍くて助かったねぇ」
川屋は明るく笑った。心の許容量オーバーで感情を失っていた国府田は、少しだけ考える力を取り戻した。
「確かに、時間があるのは幸運なことです。作戦を考えましょう……」
国府田は状況を整理した。映像にはナイフを持った国府田が映っている。場所は芸術棟2階のトイレだと、誰かが気付くだろう。動画は全国に拡散されており、もう消すことはできない。
「なるほど、川屋さん、ここはひとつ……」
「キミだけ自首するってのは無しだってば」
国府田は肩を落とした。堪えていた涙が、ついにこぼれだしてしまう。
「すみません……私に危機感が足りませんでした……」
動画が流出したのは塚本か牧野のどちらかが発端だろう。心理的なブレーキで足りるという考えが甘かったのだ。川屋に偉そうに『罪を重ねずに行きたい』などと胸を張った結果がこれだ。自分で責任を取ることすらできない。情けなくて申し訳なくてどうしようもなかった。
そう時間をかけずに、自分は逮捕されるだろう。殺人、死体損壊、死体遺棄。何年刑務所に入ることになるだろうか。世間からは、死体を切り刻んだサイコパスとして激しく非難されるだろう。刑務所でも強い嫌悪を受け、無事ではいられまい。裁判では四方八方から責められることになるだろう。石井の家族、教師、自分の親、そして共犯になってしまった川屋の家族からも、涙ながらに罵倒されるに違いない……いっそ、誰かが石を投げて自分を殺してくれたらいいのに。
「せめて……今すぐ死んでお詫びを……」
国府田がなんとか言葉を絞り出すと、川屋は国府田の肩を力強く掴んだ。
「それだ、それで行こうよ!」
「……はい?」
国府田が顔を上げると、川屋は満面の笑みを浮かべて人差し指を立てていた。
「作戦を思いついた。そうだな、『悪質クレーマー作戦』と名付けよう」
国府田の足元から巨大な『嫌な予感』が湧き上がってきた。しかし、この作戦に乗るしかないのだろうということは、同時に理解できていた。
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