第9話 国府田くんはクレーマーになる

 朝のホームルームが始まる前に、国府田は校内放送で生徒指導室へ呼び出された。川屋と目線で作戦開始の合図を交わし、生徒指導室へ向かう。

 室内には担任の吉村、生徒指導担当、教頭の3人が座っていた。3人とも、ひたすら険しい表情をしている。

「座れ」

 吉村に促され、国府田は手近な席に着いた。そのまま何も言わずに待っていたが、ため息が聞こえたり、睨まれたりするだけで、誰も話を始めようとしない。矢面に立つことを避けあっているのだろう。ずっと下を向いているせいで首が痛くなった。

 しばらく沈黙が続く。やがて担任の吉村がおずおずと口を開いた。

「なんで呼ばれたとか分かっとるか?」

 国府田は俯いたまま答えた。

「いえ……」

 教頭が苛立った声をあげた。

「分からない訳がないだろう。あんなことをしでかしておいて」

 国府田は俯いたまま返事をしなかった。教頭は勢いづいた。

「君は気は確かなのか? どういうつもりなんだ。なぜ今まで黙っていた?」

 国府田は返事をしない。教頭が机を叩き、バン、と大きな破裂音が響いた。

「答えなさい! 自分が何をしたのか分かってるのか!」

 国府田は沈黙を続けた。教頭は国府田に近寄り、より近い位置で机を何度も叩き続けた。いつ、その手が国府田自身に飛んできてもおかしくなかった。

 教頭の音量はさらに上がっていったが、国府田は耐え続けた。耐えるのは得意だった。今まで経験してきたものと比べれば簡単な部類だ。

「いい加減、認めなさい! 君は同級生の命を奪って、今日までそれを隠そうとしてきた卑怯者だ。そうだろう!」

仰るとおりです、と心の中でつぶやきながら、国府田はうつむいてチャンスを待った。

 更に数分待つと、生徒指導室の扉が開いた。教頭が瞬時に静かになる。

「申し訳ない、遅くなりました」

 明るい色のスーツを着た老人が入室してきた。K高校の校長だ。教師たちが立ち上がって挨拶をしたので、国府田もそれに倣った。

 校長が席に着くと、教師たちも座った。国府田が座らずにいると、校長は笑みをたたえて声を掛けた。

「君も座りなさい」

 校長は気さくな老人として有名だった。とにかく『筋を通す』ことには断固としてこだわる反面、筋を通せば柔軟、先進的とまで言われていた。

 国府田は極力、恐縮そうに着席した。

「さて、君が国府田くんだね。どうして呼ばれたか分かるかい?」

 さて、作戦開始だ。国府田はうつむいて心細そうな表情を作りながら、内心、気合を入れた。

「私が受けている……いじめのことだと思います」

 校長の顔から笑みが消え、担任の吉村は弾かれたように顔を上げて国府田を睨んだ。生徒指導担当と教頭は困惑している。

「君がいじめを受けていると?」

「はい」

「詳しく話してもらえるかい」

 吉村が控えめな音量で口をはさんだ。

「国府田、違う、そうじゃない」

「吉村先生」

 校長の声色が強くなった。吉村は敏感に怒りを感じ取ったのだろう、口を閉じて書類に目を落とした。

「国府田くん、話して」

「は、はい……」

 国府田は事前に整理しておいた内容を、敢えてしどろもどろに伝えた。

 入学後間もなくいじめが始まり、日に日に過激化していったこと。夏休み中に石井に度々呼び出され、性的虐待を受け始めたこと。耐えかねて親に相談したが、学校を辞めることはできなかったこと。

 親が中退を許さなかった理由については、かなり脚色して伝えた。実際には『3年間耐えればいい、休み時間や休日に起こることは勉強に関係ない』という理由だったのだが、『せっかく頑張って入った高校だから諦めないでほしいと言われ、両親を気遣い黙っておくことにした』という設定にしておいた。

 校長は椅子の背もたれに身を預け、天を仰いで大きなため息をついた。

「それが事実だとすれば、卑劣な犯罪だとしか言いようがないな。私の学校でこんなに恐ろしいことが起こっていたとは」

 校長はしばらく沈黙していたが、すぐに身を乗り出してきた。

「君の言葉を疑う訳ではないということを分かってほしい。事が重大だ、私たちは事実確認をする必要がある。吉村君、君は、自分のクラスがこのような酷い状況だと知っていたのか?」

「い、いえ、初耳です」

 吉村はうつむいたまま答えた。肩がこわばっている。

「国府田君、君は吉村先生には相談しようとは思わなかったのだろうか」

「相談はされました!」

 吉村は弾かれたように体を起こし、口をはさんだ。

「ただ、具体的な内容までは聞いておりませんでした。子供同士の人間関係ですから、じゃれあいが行き過ぎてしまったり、過剰に悪く捉えてしまったり、すれ違いがエスカレートすることもあるので……まずは嫌なら嫌だと意思表示をすることが重要だと、伝えました」

 吉村の言葉は、内容に嘘は無かったが、ニュアンスは大きく変えられていた。実際に吉村が言ったのは「お前も男やけん、まずは自分で努力せんか」だ。

校長は腕を組んで考え始めている。問題を事実通りに伝えた国府田と、過小に伝えた吉村からの情報の間で、問題のサイズを測りかねているようだった。

 ここが転機だ。国府田は『作戦』を実行した。

「私は……吉村先生には事実をお伝えしました……」

 国府田は吉村を睨みながら、少しだけ語気を強めた。吉村が睨み返してきたが、校長が止めないため、邪魔をすることができない。

 なぜ、担任教師にまで睨まれなければならないのだろう。本当のことを話そうとするだけで、あまりに障害が多い。そう思うと、自然と涙が出てくる。

「吉村先生は、私の被害妄想だと仰いました。私は、先生は頼れないと思いました」

「いや、それは……」

「吉村君、君は彼に、被害妄想だと言ったのか?」

「あ、いえ、その……具体的な内容までは覚えておりませんが、そのような酷い言葉を使った覚えはありません。ただ、気にしすぎだろうと……」

「被害妄想、と確かに仰いました」

 国府田は胸を張った。涙でぐちゃぐちゃになった顔を、敢えて見せる。

「私の持ち物は何度も盗まれ、校舎内に捨てられています。財布とスマートフォンが何度も遺失物リストに載っているはずです。そのことを吉村先生にお伝えしたら、何度も落としただけだ、被害妄想だ、と仰いました」

 吉村を睨むと、彼は目線を外してうつむいた。思い出したらしい。校長は吉村の振る舞いを凝視している。

「吉村先生には、それ以上の話を聞いて頂けませんでした。ですので、ご存じない内容も含まれていたのだと思います」

 吉村は首が折れそうなほど下を向き、校長は腕を組み目を閉じて考え込んでいる。しばらく沈黙が続いた。

 いい流れができているのではないか、と国府田は感じた。ただ怒鳴りつけられるだけだった状況が、重苦しい沈黙に変わっている。状況は確実に動いていた。

 川屋はこの場に校長が来ることを確信していた。その上で、校長を『酔わせる』ことが重要だと話した。

「校長の決定が全てだから、校長さえ味方についてくれたら大丈夫。そのために、この中で自分だけが正しい判断をしている、と校長が思えるような状況を作ろう。正義に酔わせるんだ」

 そのためのストーリーを2人で話し合った。国府田が身勝手な大人たちに見捨てられ、一人ただ耐えるしかない状況に陥っている、という筋書きは、笑ってしまうほど事実通りだった。

「俺が救わねば、他に誰がこの子を救うのか。ここで決めなければ男じゃない、そう思わせるんだ」

川屋はそうまとめていた。目前の混沌とした状況は、正義を待つには十分だと思われた。

 やがて、校長が重々しく口を開いた。

「それで……君はどう行動したのかね?」

 国府田は下を向いて答えた。

「石井さんをナイフで脅しました」

 その場にいた全員が国府田に注目した。

「土曜日の放課後に、石井さんからトイレに呼び出され、性的な行為をするよう言われました。私は石井くんにナイフを突きつけ、もう構わないでほしい、と伝えました。石井くんが約束してくれたので、私はそこから逃げました」

「すると、君は石井君に危害を加えていないのか?」

「していません」

 校長は眉間ににしわを寄せて黙った。真実かどうか、量りかねているのだろう。

このまま場が膠着すれば逃げ切れるかもしれない、という期待を、教頭が破った。

「その日以降、石井は行方不明だ。そんな偶然があるか?」

 当然の質問だった。これ以上、情に訴えるだけでは防ぎきれないだろう。国府田は次の作戦へと移行した。

「石井さんは本当に行方不明なんですか?」

 教頭は首を傾げた。

「どういうことだ?」

 国府田は肩を震わせながら、より激しく涙を落とす。

「今朝、石井さんが私を撮った動画がネットに出回りました……石井さんが本当に行方不明なら、あの動画が出回るはずはありません。石井さんはどこかに隠れていて、私に復讐しようとしているんじゃないんですか?」

「そんな突拍子もない話がある訳ないだろう」

「ではあの動画はどこから出てきたんでしょうか!」

 国府田は声を張った。場が静まり返った。

 川屋と決めた『悪質クレーマー作戦』の第一段階だ。まずは当初の問題を『面倒くさく』する必要があった。

 川屋は言っていた。

「企業が悪質クレーマーの言うことを聞くのは、対処が面倒くさいからだ。クレーマーを説得するのは難しい、疲れる。でも言うことを聞けば、とりあえずいなくなってはくれる。面倒くささの落差が大きすぎて、変な損得勘定が生まれるんだ。国府田くん、クレーマーになろう」

 とにかく議論をかき回すため、国府田はとことんゴネるつもりだった。動画の出処は調べればすぐ分かるかもしれないが、インターネットに詳しくない老人たちに明確な指針は立てられない。かなりの『面倒くささ』を感じるはずだった。

「教師ってのは、自分は頭が良くて何でも答えを出せると思ってる。すぐに答えが出ない問いからは逃げる生き物なんだ」

 川屋はそう断言していた。

 教師たちは顔を見合わせ、どう反応すべきなのかを探り合っている。仕上げの時だ、と国府田は感じた。この会議に落とし所を与えるため、『単純な対応』を改めて提示しなければならない。

「石井さんにいつ復讐されるかと思うと、怖くて……それなのに、先生たちにまで見捨てられたら、もう生きていられません。そうなる前に死のうと思っています」

 教師たちが一斉に国府田を見た。長い沈黙が訪れた。教師たちは今、石井の生死を追求すべきか、国府田をフォローすべきか、悩んでいるだろう。だが前者は困難で面倒くさく、後者への対処法は分かりやすい。国府田にはギャンブルの結果を待った。

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