第10話 国府田くんはナイフを出す
しばらくして、校長が長い溜息をついた。
「よく話してくれた。ありがとう」
校長はスマートフォンを取り出し、ネットニュースに掲載された映像を見始めた。
「不思議だとは思っていたんだ。なぜトイレでビデオを使っていたのか。この前後で何が起こっていたのか。これが殺人事件だと言うなら、遺体はどこに消えたのか? 記事ではこの被害者は石井君だと主張されているが、声も無いし、足しか映っていないのになぜそれが分かる? 情報が無さすぎて、何が真実なのか全く分からない」
校長はため息をついてスマートフォンを伏せ、国府田をまっすぐに見た。
「対して、君が受けた被害は、実際に君の身に起こってしまったことだ。この件については間違いなく、今すぐ対処が必要だな」
教師たちは何も言わない。これが最終決定になりそうだ、と国府田は内心ガッツポーズをした。
校長も疲れたのだろう、しばらくじっと黙っている。国府田も演技の性質上、自分から行動を起こせずにいると、教頭が再び口を開いた。
「校長、委員会の方は……」
「もう何か言ってきているのかね?」
「はい、今すぐ彼を逮捕し、現場検証をして証拠を押さえるよう、県警に要請したそうです」
「石井委員長か……」
校長は天を仰いだ。
そういえば、石井の親は教育委員会の偉い人だった気がする。激しく嫌な予感がした。
校長は苦笑しながら国府田に向き直った。
「国府田君、君が直面してしまった問題については、我々は今さらながら迅速に対応することを約束しよう。ただ、大変申し訳ないが、我々にも立場や政治というものがあってね……警察の捜査に、少しだけ協力してもらう訳にはいかないだろうか」
これはまずい、と国府田は思った。とにかく警察に現場検証をされることだけは避けなければならないのだ。操作が始まれば『少しだけ』などという言葉は通じない。タイルの裏、排水溝の奥、どこかから血液反応が出る可能性は高い。何か、流れを変える行動をしなければならないことは確実だった。
「分かりました」
校長は申し訳なさそうに笑った。しかし直後、国府田がポケットから取り出したものを見て、目を見開いた。
他の教師たちも呆然と国府田を見つめている。国府田が取り出したのは、映像に映っていたナイフだった。
「ご迷惑をお掛けしました。死んでお詫びします」
刃を鞘から取り出し、自分の首に向ける。
「待ちなさい! 何を考えているのかね!」
「先生は結局、私を犯罪者だと思っているのですよね。だから警察に引き渡そうと」
「誤解だ! 少しだけ捜査に協力してほしいと」
「私は犯罪者です。脅迫は犯罪だと知っています。私は逮捕されるんですよね? 退学になり、永遠に犯罪者として生きていくんですよね? だったらこれ以上、親や先生を泣かせる前に、自分で自分を罰します」
「待ちなさい!」
教師たちが皆立ち上がった。生徒指導担当の教師が走ってくる。国府田は意を決して、ナイフを首へと引き寄せた。
生徒指導担当に腕を掴まれ、そのまま引き倒された。ナイフが手から転がり、乾いた音を立てる。そのまま抑え込まれ、動けなくなってしまった。
その場にいた全員が、荒い呼吸をした。やがて校長が、疲れ果てた声を出した。
「そのナイフだね、君が使ったのは」
「はい」
抑え込まれて声が出し辛かったが、なんとか絞り出した。
「教頭先生、このナイフを警察に提出する。検査でも裏付け調査でも、好きなだけやってもらいなさい。それでいいだろう」
「では、彼は……?」
「彼は出頭させない。しばらくケアが必要だ。校舎内にも警察は入れない」
校長の口調は強かった。教頭は反論しなかった。
長い会議が終了した。
国府田はしばらくの間、生徒指導室に隔離され自習することになった。
監視役の教師が出入りするものの、一人は気楽だった。勉強は苦手な方だと思っていたが、一人だと不思議な程スラスラ理解できる。人に囲まれているプレッシャーが苦手だっただけなのかもしれない。
休み時間になると、川屋からメッセージが届いた。ウサギが地面の穴から顔を出しているスタンプだった。どう?ということなのだろう。
『色々ありましたが、概ね成功しました』
『色々って?』
『石井の父親、教育委員会の委員長だそうです。警察に捜査させろと要求してきたそうで』
ウサギが驚いて青ざめているスタンプが送られてきた。
『捜査来ちゃう?』
『いえ、最後の手段が通用したので、それはないようです。ブツだけ提出です』
『良かった、よく通用したね』
『その前が想定よりスムーズだったので』
川屋が考案した『死んでお詫びします作戦』は本来、校長への被害者アピールで使う予定だった。それを使わずに校長を説得できたので、不測の事態に対処する余地が残っていたのだった。運が良かった。
あれだけ暴れれば、国府田が警察や教育委員会の事情聴取中に『いじめの被害について全て暴露した挙句、自殺する』という最悪のシナリオが全員の脳裏に焼き付いたはずだった。校長は教育者であり経営者だ。どちらの立場から見ても、それは校長の人生に致命的な傷をつける事態だろう。全力で避けようとするはずだ。生徒指導担当が、ナイフが首に刺さる前に止めてくれて本当に良かった。
『キミが怖いのは、本気だってことだよね。本当に切腹しそうだもん』
『それで川屋さんが助かるなら、そうします』
『やめてね、ホントに』
クマがウサギに腕ひしぎ十字固めを掛けているスタンプが送られてきた。国府田は頬が緩むのを感じた。
川屋の用意周到さは呆れるほどだった。不測の事態に備えて、国府田が使ったものと全く同じナイフを入手していた。未使用のナイフをどんなに調べられても、何も出てこないのは間違いない。
ふと、国府田のスマートフォンに着信があった。母親からだった。
出たくなかったが、無視すると何度も何度も掛かってくることは分かっていた。
「はい」
『お母さんだけど』
「はい」
『あんた、ニュース見たよ。バカやないの?』
国府田はスマートフォンを少しだけ耳から話した。
「はい」
『はいじゃなくて。あんた何しよると? 皆にうちの子やろって聞かれとるとよ。変な電話もずっと掛かってくるし』
「……すみません」
『人を殺すような酷か子に育てた覚えはなかよ。ホント、バカやないの? お母さんの生活、どげんしてくれると……?』
電話口で母親は泣きだした。泣き落としで同情を買う能力は母親譲りなのかもしれない……近日の自分の行動を思い出し、物凄く嫌な気分になった。反面、人に助けを求めることが苦手なのは、母親への反感からきているのも間違いない、と改めて実感した。
「私は殺してません」
『……ホントね、ホントやね』
「本当です。今、学校でも事情を聴かれて、そう説明したところです」
『そげんね……ならよかばってん……でもどげんしてくれるとね、刃物げな振り回して。お母さん恥ずかしゅうて外歩けんばい』
「すみません、しばらくはご迷惑をお掛けします。ネットのニュースなので、すぐに皆、飽きると思います」
『こういうのはずっと残るとよ。就職する時にも絶対不利になるとに、バカやけん、ホントに……』
まだ母親はぐちゃぐちゃ言っていたが、授業だと言って通話を切った。
体の芯から疲れた。ぐったりと机に体を預けていると、再びスマートフォンにメッセージが届いた。
『諦めないで頑張ろうね』
今さら、本物の涙が溢れてきた。
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