第11話 川屋くんは集合をかける
寮生活は維持されることになった。校外に出る方が危険だ、という配慮からだった。
ただ、放課後も、食事も、自由時間も、基本的には寮監督室にいなければならないことになってしまった。そうなると、川屋と会う時間は殆どゼロになる。それがとても不安で、寂しかった。自分がここまで人に依存するとは、自分自身でも意外だった。
国府田がそんなことを考えながらとぼとぼと寮に向かっていると、長身のスーツの男性が駆け寄ってきた。多少白髪交じりの髪を、きっちり七三に分けている。真面目さが全身からにじみ出ているような人物だった。
男性はおもむろに国府田の肩を掴んだ。
「君が国府田くんだね」
「……はい」
一瞬、しらを切ろうかとも思ったが、逆に話が面倒になりそうなのでやめておいた。相手は確証を持って聞いているのだろう。警察か、記者か、または……
「石井博志の父です」
一番嫌な予想が正解だった。自分の体全体が強ばるのを感じた。
「ちょっと話を聞きたいんだが、時間をもらえないかな」
「……はい、分かりました」
「ありがとう。では、行こう」
石井の父は国府田の腕を掴んで歩き出した。国府田は腰を落として抵抗した。
「あの、ここではいけないんですか?」
「ここでは話し辛いだろう。君も言い辛いことがあるだろうし。私のオフィスへ行こう」
石井の父はかなり強い力で国府田の腕を引っ張っている。この強引さは遺伝だったのかもしれない。
「すみません、それはできません」
「どうして?」
「外に出ることは禁止されていますので。謹慎中なんです」
「それは大丈夫だ、私から言っておくよ」
強引に引きずられ始めた。国府田の脳内で強烈な危険信号が点灯していた。連れ出されたら、どうなるか分からない。
「すみません、担任に一言……」
「必要ない」
石井の父は振り返りすらしなかった。駐車場がどんどん近付く。車に乗せられたら終わりだと思われた。
その時、背後から聞きなれた声が聞こえた。
「国府田くん、警察呼ぼうか?」
川屋がスマートフォンを持って立っていた。息が切れている。慌てて駆け付けてくれたようだった。
「その必要はないよ。私は教育委員会の者です。彼にちょっと話があって」
「教育委員会の方って、生徒を勝手に外に連れ出す権限があるんでしたっけ」
川屋のスマートフォンから電子音が聞こえた。録画を開始した音だ。
「君、やめなさい」
「お名前と、どういう権限で彼を連れ出そうとしているのか、教えていただけますか?」
石井の父と川屋はしばらく無言で向かい合っていた。やがて、石井の父は目線を外し、車に乗り込んだ。
「今日は失礼します。また来ます」
国府田と川屋は、去っていく高級車を眺めながら息を吐いた。
「石井くんの父親だそうです」
「なーるほどぉ……親子って感じするね。暴力が体に染みついてる」
川屋は呆れていた。国府田は少しだけ、石井をうらやましく思った。自分の親は、息子が行方不明になっても、あんなに必死に情報を集めたりはしないだろう。
それから寮へ戻るまでの短い時間、今日の出来事について色々と話した。一日に渡る緊張が解けて、魂が口から抜けていくような気分になった。
動画の流出元と思われる塚本・牧野については、何の動きも無かったらしい。むしろ関与を隠している様子だったそうだ。なぜ突然の動画公開に至ったのかは謎だったが、あちらが動かないならこちらも刺激をしないのが一番だという結論に至った。
夜、演技術についての本を読みながら、今日、なぜ自分が上手く泣けたのかについて考えた。人前で泣いたのはいつぶりだろうか。人は、自分に味方がいると信じられた時、泣けるのかもしれない。
川屋に「おやすみ」のスタンプを送って、国府田は眠りについた。
結局、警察と一切話さない訳にもいかず、校長と担任の吉村が同席する中、校内で事情聴取が行われた。といっても国府田にとっては同じ説明を繰り返すだけだった。
石井の父も同席しており国府田は冷や汗をかいたが、緊張して上手く説明できないことが逆にリアリティを増しただろう、とプラスに考えることにした。石井の父は終始、眉間にシワを寄せていたが、石井のいじめについて国府田が話すと、彼は全ての表情を失っていた。その姿に一番強烈な恐怖を感じた。
事情聴取が終わる頃には完全に体調を崩してしまった。吐き気がする。人目を避け、芸術楝2階のトイレに入ると、中に先客がいた。思わず色々なものが飛び出しそうになる。
カジュアルなジャケットを着た坊主頭の男性、先程事情を聞かれた刑事だった。確か佐々木という名前だった。
国府田が動けずにいると、佐々木はニヤリと笑った。
「こんにちは、久しぶりやねぇ」
「え……?」
「いや、洒落やん、洒落。真に受けんとって!」
肩を叩かれた。国府田が反応できずにいると、佐々木は笑みを浮かべたまま、目を見開いて周りを見回した。
「ここが映像の場所やな」
「……はい」
「酷か話ばい。よう、やり返そうち思たやんね。何もせんでおったら相手が調子乗るけんね」
「……すみません」
意外な肯定だった。居心地が悪い。
とまどう国府田に背を向け、佐々木は突然、奥の個室を覗きだした。国府田の全身が泡立つ。が、刑事を止めることなど不可能だった。
佐々木は無言で個室の中を凝視している。少しして、佐々木の目線はトイレ中央の排水溝へと移った。
国府田は確信した。この刑事は、石井が死んだと分かっている。捜査が始まってしまえば逃げ場はないだろう。
「まぁ、子供だけで考えんで、大人を頼るのも大事ばい。俺はいつでん話聞くけんね」
そう言い残して佐々木は去った。国府田は吐き気に耐えかね、個室へと駆け込んだ。
『それは運が悪いね』
夜、川屋に事情を話したところ、それが感想だった。
『事件に個人的に興味を持つ刑事なんて、本の中にしかいないと思ってたよ。石井くんのお父さんと個人的に仲がいいのかもね』
『捜査が始まるのは時間の問題でしょうか?』
『望みを捨てるのはまだ早いよ。警察は自由に捜査できないんだ。学校を調べたければ、学校の許可を取るか、調べたら確実に証拠が出るという根拠が要る。今、そこまで思い切るのは難しいんじゃない?』
『あの刑事は自分の意志で調べそうでした』
『大丈夫だよ。警察官はなぜ警察官になるんだと思う?』
突然の質問に窮した。無難な回答しかできなかった。
『街の平和を守るため』
『警察官が皆そう考えてたら、世の中はもっと良くなってるよ。彼らは権力側に回って、合法的に人を殴りたいから警察官になるんだ。だから警察官は皆、権力にとても忠実だよ』
つまり佐々木が自主的に現場を調べることなど無い、ということなのだろう。納得できる理屈ではあったが、不安は尽きなかった。
『既にいくつかの不運があって、今はとても悪い状況です。これからも想定外のことは起こるでしょうし、最悪の場合も想定しておきたいです』
しばらく川屋からの返事はこなかったが、やがて地図のスクリーンショットが送られてきた。繁華街の一箇所にマークがついている。
続いてメッセージが送られてきた。
『明日、授業が終わったらここに集合ね』
意図は分からなかったが、そう言われてみれば明日は土曜日、学校は半日だけだった。何か次の展開の準備があるのだろうか。
国府田は寮監督に外出許可について聞いてみた。警察の聴取も終わったので、暗くなる前に帰ってくるなら許可する、とのことだった。
『行けるみたいです』
ウサギがOKの看板を掲げているスタンプが送られてきた。
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