第12話 川屋くんはデートする
土曜日の放課後、出発前に川屋の部屋を覗いてみたが、既に空だった。何か一人でやる準備があるのだろうか。国府田は一人で駅へと向かった。
待ち合わせ場所は閉店した飲食店の前だった。早めに着き、壁に寄りかかって川屋を待つ。通りは秋晴れの休日を楽しむ人たちで賑わっている。家族、恋人、友人、気の合う仲間と今を楽しんでいる人たちは、いつも遠い存在に見える。いつも何かトラブルを抱え、動けないでいるうちに、それが日常になる。そんな生き方をずっとしてきた。
川屋をそんな生き方に巻き込んでしまっていることの罪悪感が、日に日に大きくなっていた。相変わらず理由は分からないが、川屋はこんな自分の味方でいてくれる。きっとこの先、状況がどんなに悪くなっても変わらないのだろう。そう思わせてくれることに感謝するからこそ、川屋への悪影響を最小限に抑えるのは自分の仕事だと考えていた。
ふと、通りの向かいに立っている少女が、こちらを見ていることに気付いた。地味目のアースカラーの服にキュロットスカートを履いた、ショートカットの少女の目線が、国府田の勘違いでなければ、こちらを向いている。辺りを見回してみたが、ここに居るのは国府田だけだった。
少しの間、国府田は居心地悪く立ち尽くしていたが、心当たりにたどり着いて思わず大きな声を出してしまった。
「川屋さん!?」
「遅いよ気付くの!」
川屋は帽子を被りながら近寄ってきた。
「え、え!?」
近くで見ると確かに川屋だった。以前、女装した写真を突然送られたことがなかったら気付かなかったかもしれない。
「あの、なぜ突然……?」
川屋は国府田の腕を掴んだ。
「まずは服だね。同級生に服装で国府田くんだってバレたくない」
国府田は引きずられるままついていった。自分では絶対に手に取らないジャケットを着せられ、10年早いと思うような洒落た帽子を被らされ、一生入らないだろうカフェで昼食をとる羽目になった。
「はーい笑顔エガオー」
食欲が湧かない国府田と対象的に、川屋は大いに楽しんでいるようだった。既に撮られた写真は数十枚に上るだろう。国府田は観念して、生クリームに埋まったパンケーキを発掘して頬張った。
「今日の変装セットは隠しておいてね。また使うかもしれないから」
川屋が突然真面目な顔をした。
「校内じゃ君は注目の的だからね。こっそり話すなら外の方がいいかなって」
周囲を見てみると、自分たちと似たような年齢・格好の人々が多いようだった。悪目立ちはしていないだろう。普段の国府田と川屋を知っている人ほど、この中に自分がいるとは思わないに違いない。
「確かに、上手い隠れ方ですね」
「でしょう? デート中の高校生にしか見えないと思うよ」
生クリームが鼻から飛び出すのを、国府田は必死にこらえた。
「ちょっと!」
「え、なに嫌なの? 傷つくなぁ、僕この格好、自信あるんだけど」
「いや確かに、違和感は全然ありませんが……」
「それもやめた方がいいね」
「それって何ですか?」
「敬語」
川屋に指を差さされ、国府田は身を引いた。
「敬語で話すカップルはいないでしょ」
「まぁ、それはそうでしょうけど」
「目立つのは良くないよね。ね?」
川屋は心底楽しそうに身を乗り出した。観念するしかなさそうだった。
「分かり……えぇと、分かった」
川屋は満足気に頷くと、国府田のパンケーキをひとかけら奪った。
国府田はまだ落ち着かなかったが、川屋が楽しそうなので我慢することにした。
「校長、味方についてくれてよかったね」
「そうで……そうだね。運が良かった」
川屋は国府田の皿に自分のパンケーキをひとかけら乗せた。先程の対価なのだろう。
「今は問題起こしたくないんだよ。共学になるからね」
「え、そうなんだ」
「知らなかった? 2年後くらいの共学化を目指して準備中だって、新聞に出てたよ」
「知らなかった……」
それから色々な話をした。現状の分析、今後の想定トラブルと対処法、国府田が別室授業となっている間のクラスの様子、学校の裏山に割いた花の名前……
川屋が大口を開けてあくびをした。気付けば夕方になっていた。
「そろそろ帰りましょうか」
「あ、ごめんね。疲れた訳じゃないよ。単にあんまり寝てないだけ」
「いえ、暗くなる前に帰れって言われてるんです」
「あ、そっか。もうそんな時間なんだね。じゃあ着替えて、別々に帰ろう」
川屋は店に残り、国府田は公衆トイレで朝の服装に戻って帰路についた。赤い太陽が山の陰に沈もうとしていて、目につくもの全てがほのかな紅色に輝いていた。
こんなに楽しい時間を過ごすことが自分に許されていいんだろうか。ひとりでにこみ上げてきた涙を無理やり抑えて、粛々と歩いた。
川屋との話し合いで具体的な解決策が出てきたわけではなかったが、現状がそこまで絶望的でないことも確認できた。つまりこれは持久戦なのだ。このまま学校と教育委員会と警察の膠着状態が続けば、いずれ世間はこの事件を忘れ、積極的な捜査は行われなくなり、現場に残る石井の遺伝子も消えていく。それまでひたすら逃げ切れるかどうか、そこが勝負だ。粛々と耐えることが必要だった。
川屋は国府田の心が折れかけていると感じて、危険を押して今日の機会を作ってくれたのだろう。川屋がついていてくれると思えば、いくらでも耐えられる気がする。
学校に戻ると、石井の父親と刑事の佐々木が校門の前にいた。佐々木が笑顔で手を振る。国府田は緊張したが、今までよりは落ち着くことができた。
「もう謹慎は解けたとね?」
「はい、少しだけ」
「今日はデートね?」
「買い物です」
佐々木は一人だけ大きな声で笑った。石井の父は無表情でこちらを見ている。初対面の時に感じた怒りや苛立ちは感じられず、代わりにあるのは静かな迫力だった。
「実は、こないだの話で少し分からんところのあるけんね、もう少し詳しか話ば聞かせてほしかったい」
佐々木が国府田に近寄る。笑顔ではあるが、強烈な圧迫感があった。。
「分かりました。誰か先生についてきてもらいますので、少し待ってください」
「いや、時間はかからんけん大丈夫よ」
佐々木は国府田の行く手を遮った。やはり、教師が同席すると聞けないことを聞きたいようだ。
国府田に湧き上がった感情は、意外にも怒りだった。今まで誰も自分を助けてくれなかったというのに、なぜ自分が加害者になった途端、熱心に罪を暴こうとする者が現れるのか納得がいかない。しかもこんな一方的な態度で接せられなければならない理由があるのだろうか。自分がどんな思いで罪を犯し、自分と川屋がどれだけ苦労して生き延びようとしているのか、この男が知ろうとすることはないのだろう。
押しのけてしまいたい衝動に駆られたが、それでは『作戦』に傷がつく。自分は哀れな子供で、何もできないし何も知らない。そう思い続けさせることが必要だった。この情けなさを自分の中に飼い続けることが自分たちの戦いなのだろう。
石井に教室内でズボンを脱がされ、クラス中の生徒に笑われた時のことを思い出した。あの時は泣いてしまった。泣いたことで更に笑われ、情けなさすぎて死にたかった。二度と思い出したくない出来事だったが、今、涙を流すために、その記憶が必要だ。
「あの、すみません、連絡しないと先生に怒られてしまうので、電話だけしてもいいですか……?」
リアルな『泣きそうな子供の顔』ができたようだった。佐々木は苦笑いをして道を開けた。
「ああ、ごめんな。先生に怒らるっとは可哀そかけん、もう行ってよかよ」
「でもお話が……」
「いや、大丈夫よ。ちょっと分からんこつのあるだけやけん、なんとでんすったい」
「はい、すみません……」
国府田は校門を通った。2人の視線を感じたが、動く気配はない。突破できたようだった。走って逃げたい衝動を抑え、ペースを守って歩き続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます