第14話 国府田くんは連絡先を聞かれる

 寒さがどんどん厳しくなってきていた。放課後は屋内でもコートが必要になってきた。

 国府田は空気の冷たさに身を固めながら、芸術楝の廊下を歩いていた。一歩進むごとに緊張が強くなり、息苦しくなる。まるで山を登っているようだった。

 国府田は美術室に足を踏み入れた。中では川屋が入り口に背を向け、石膏像をデッサンしていた。

 国府田は川屋の隣に座り、重い唇を無理やり動かして声を発した。

「こんにちは」

 川屋は吹き出した。

「なに、改まって。こんにちは」

 川屋の表情は柔らかいが、目線には冷たいものが走っている。国府田は目を逸らしながら続けた。

「塚本さんのことなんですけど……」

「退学だってね」

 川屋は石膏像に向き直り、デッサンを再開した。國府田と川屋との間に冷たい空気が流れ込んだた気がした。国府田は心が倒れ始めるのを感じたが、なんとか踏ん張って続ける。

「覚せい剤なんていったい何処から……?」

「何処なんだろうね。僕は興味ないけど」

「殺さずにいてくれたことは感謝してます」

 川屋の手が止まった。

「すみません、また手を汚させてしまって。次は私一人でなんとかします」

 川屋はしばらく黙ってスケッチブックを見つめていた。やがて、何かに耐えるように目を閉じると、勢いよく立ち上がった。

「なんのことだか分からないけど、気をつけた方がいいよ。あと1人、牧野さんが残ってる。危機感をつのらせてるだろうから、何かするかもしれないよ」

 川屋はそういい切ると、早足に美術室を出てしまった。国府田は背中を見送ることしかできなかった。

 国府田は、牧野に対してはあまり悪いイメージは持っていなかった。国府田いじめの現場に度々いたのは確かだが、暴力を振るわれたことはなかった。遠巻きに見てるだけで、友達付き合いの一環、くらいのつもりしかなかったように思う。

 石井の父親の言いなりになって危害を加えてくる姿も想像できない。やりたくないことは絶対にしない、気が強い人物という印象がある。教師が何度注意しても改めず、教師側が根負けして放置する、といったシーンを何度か見たことがあった。

 逆に、川屋が牧野に攻撃を仕掛けそうだという心配もあったが、牧野は実家から通学しており手が出し辛いし、この状況であれば牧野も当然警戒しているだろう。このまま何事も起こらないように祈ることくらいは許されるのではないか……

「ここにおったとね」

 突然、美術室の入り口から声を掛けられ、国府田の全身の皮膚が粟立った。声の方を向くと、見知った坊主頭が手を振っていた。

「こんにちは、えぇと……佐々木さん」

「お、覚えてくれたとね! 嬉しかやんね」

 佐々木刑事は大げさに笑みを浮かべた。

「何か御用ですか」

「いや、他の用事で寄ったとばってん、せっかくやけん君に会いたかち思たけんね」

 おそらく塚本の件だろう、と国府田は予想した。校内で覚せい剤が使用されれば、当然、警察は事情を聞きに来るだろう。

「ありがとうございます」

 国府田は頭を下げた。佐々木は何が面白いのか、大声で笑った。

 佐々木は笑みを浮かべたまま美術室の中を見渡し、奥の大きな戸棚で目を留めた。石井の死体を隠した戸棚は、怖くて、あの日以来一度も開けていない。開けたら血痕か何かが残ってしまっていてもおかしくない。国府田は背中に冷や汗をかきながら、佐々木の動向を見ていた。

 佐々木は国府田に向き直り、もう一度笑った。

「君はよう、ここにおれるな」

 発言の意味が分からず、国府田は佐々木の顔を見返した。佐々木の顔から笑みが引いていく。

「君が酷い目にあった場所はすぐそこやろ。誰だっちゃ、少しは嫌な気分になって、足は遠のくもんたい。ばってん君はむしろ、事件の後からこの美術室に出入りするようになったげなやんね」

 一瞬、自分の周囲の重力が消えたような気がした。目まいに襲われたのだった。。

「むしろ、異常がないかチェックしやすかけん、敢えてこの部屋におるとやろか」

 国府田は適切な返事を必死に探した。考えすぎです、どうしてそんな酷いことを、意味が分かりません……通り一遍の返事では、この刑事をかわすことは難しい気がした。

 しばらく沈黙が続いた。国府田が気を失いそうになった時、佐々木は再び大きな声で笑った。

「ごめんごめん、いじめてしもたな。そげん緊張せんでよか」

 国府田は何が起こっているのか分からず、間の抜けた顔で佐々木を見ることしかできない。

「君はいつでん真面目な反応ばしてくれるけん、ついからかいとうなってしまうとよね。いじめた子たちの気持ちが分かってしもたばい」

「はぁ……」

 佐々木はひとしきり笑ってから、今までにない真剣な表情を見せた。

「ひとつ、俺が確信しとるとは、君が被害者ってこったい」

 佐々木は窓から外の景色を見つめた。

「俺もこの高校の出身でね」

「そうなんですね」

「柔道部やった。先輩のいじめが酷かったとよ。しょんべん飲まされたりね。辞めようち思たばってん、辞めたら殺すち脅されて、辞めることもできんでね」

「……どうされたんですか」

「先輩より強うなってやった」

 佐々木は力こぶを作ってみせた。丸太のような腕だった。

「それは凄いですね」

 国府田は素直に感心していた。佐々木がなぜ突然こんな話を始めたのかは分からないが、純粋に興味を惹かれる話だった。

「君も柔道やっとるとげなね?」

「あ、はい、中学校までやってました。ここの柔道部にも最初だけ入ったんですが」

「なんで辞めてしもたと?」

「その……放課後、自由に動けなくなってしまったので……」

 佐々木は国府田に歩み寄り、肩に手を置いた。

「話しとうなかことは、無理に話さんでよかけん。困ったことがあったら、いつでも連絡くれんね。連絡先を聞いてもよか?」

 佐々木はスマートフォンを取り出し、身を乗り出した。国府田は気圧されてのけぞりながら、なんとか言葉を絞り出す。

「すみません、直接お話をするのは先生に止められていますので……」

 佐々木は更に顔を近付けてきた。

「大丈夫たい。お互いに黙っとけば問題なかやろ」

 国府田は全身に汗をかきながら、必死に佐々木の目線を押し返した。かなりの間、国府田は肩を掴まれていたが、やっと佐々木は国府田を放した。

 佐々木は苦笑した。

「悲しかばい。嫌われてしもたな」

「いえ、そういう訳では……」

 国府田は目を伏せた。

「まぁ、また来るばい。元気しとってね」

 佐々木はひらひらと手を振って、去っていった。

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